大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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硫黄島からの手紙

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硫黄島からの手紙」を観る



実は、この映画を見てから半月経つ。
なぜか、「父親たちの星条旗」のようには、すぐに感想をかけなかった。
しかし、今年中に、
感動の渦を巻き起こした硫黄島ブームの中で、
批判覚悟で、あえて水をさし、書いておかなければならないと思った。


映画を見終わって、
父親たちの星条旗」と同じ監督の作品なのだろうかと思うほど、
私にとっては「えっ」という違和感というか、
何かシラケタ気持ちが残ったのである。
たしかに、映画として、ドラマとしてはよくできていて、
感動させるところもある。
が、しかし、戦争のこういう描き方でいいのだろうかと疑問をもった。
そして、少なからず失望も。
それは、「父親たちの星条旗」にあった戦時につくりあげられる「英雄」や
「美談」との距離や戦争そのものに対する批判的精神が、この映画では見られず、
むしろ、主人公の栗林中将と西郷という一兵士の人間ドラマの展開に終始し、
結果的に2人を英雄化し、美談の主人公にしてしまっている(?)点である。
2人のラストシーンは、まさに、もっともらしいフィクションであった。

購入したプログラムのコピーにも、
「5日で終わるとされた戦いを、36日間、戦い抜いた男たち。
世界中の誰よりも、強く、愛しく、誇らしくー
私たちはいま、彼らと出会う。」と。
監督のクリント・イーストウッドは、
アメリカ軍は3,4日でこの島を占領できると考えたのに、1ケ月以上も
守りぬいた指揮の見事さ、妻と息子と娘にあてた手紙にも心をうたれた」のが、
この作品を手がけるきっかけだったという。

36日間ももちこたえた作戦指揮、
最後の一兵となっても戦いをやめるなと命じて無謀な万歳突撃を禁じ、
品格があり、部下や家庭を思い、アメリカ通の栗林忠道中将、
そして、「まだ見ぬ子を胸に抱くため、
どんなことをしても生きて帰ると妻に誓った」西郷というごく普通の
徴兵された兵士の組み合わせ。
2人は軍人や兵士である前に、家族思いの夫であり、
子煩悩な父であったということが強調される。
戦争に参加した人物の人間的な側面にスポットをあて、
感動的にまた美しく映像で語るのである。
私には、映画の一見、感動的で美しいということに
、わりきれない思いがある。
本当に、この映画は戦争そのものを問うものであったのだろうかと。

調べてみると、戦前の雑誌や教科書には、
「悲劇の英雄」とそれを支えた妻や母たちが軍国美談として多く描かれていて、
それらが理想の人間像とされた時代があった。
木口小平」、「乃木大将」、「広瀬中佐」、「爆弾三勇士」、
「水兵の母」、「一太郎やあい」の老母・軍国の母・・・・
教科書などが教えようとしていたのは、清廉、信念、至誠、温情、忠誠、忠義、愛国、
お国のためによろこんで息子をさしだす母=軍国の母、心優しい上官像、人格、武人、
従順貞淑・・・・

そして、満州事変が起きてからは、大将クラスと同時に、並行して、
ごく普通の兵隊(一兵卒)が、その人間的な側面とともに当時の雑誌などに
さかんにとりあげられるようになる。
一例をあげる。(「少年倶楽部」昭和8年5月号から)注:現代仮名づかいにした
●「わが陸海軍の名将」(平田晋作
荒木貞夫
荒木中将ほどたのもしい、そしてなつかしい将軍がどこにいるでしょうか。
なんだか「叔父さん」とよびたくなるでしょう?
西洋人は、中将のことを「鉄人(アイアンマン)」とよんでいますが、
大変な間違いです。荒木さんはそんな冷たい人ではありません。
日本人らしい血と涙を、胸の内いっぱい持っている英雄です。・・・・
悪い支那兵をこらしめる時でも、
荒木さんは、心の中で「可哀相だ。」と泣いているのです。
この涙こそ、本当の日本軍人らしい涙です。強いばかりが武士ではありません。・・・」
●「金鵄勲章の勇士」(見出しのみ抜粋)
「痛手を忍んで指揮を続く、敵兵営の土壁に登る、死んでも銃を離さず」

この映画は、ドラマ性に富み、映像も美しい。
しかし、軍人や兵士の描き方が、
戦前の日本と変わらないのではないかという疑問が残る。
監督はアメリカ人であるにもかかわらず。
父親たちの星条旗」で戦争での「英雄」を否定した?と思っていたら、
クリント・イーストウッド監督は、この「硫黄島からの手紙」では、
みごとに、日本人のためにヒロイズムを復活させたように見える。
「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」(梯久美子著・新潮社)を読んでみると、
映画は、この本をベースにしていることがわかる。


「・・・・僕は子供の事を一番考えて仕方がない。
貴女の手紙を見て何だか涙が出て仕方なく、一人で泣けて来る。
けれども仕方ない。貴女のことについては決して心配はしない。
心情がわかって居る。貴女の心の底がわかって居るからね。
身体を大切にしてまってくれ。
若し身体が具合が悪かったら、すぐ手当てをしてくれよ。身体が一番だからね。
あまり心配や骨を折らずに妻子共共に元気でいてくれ。
子供も病気だったら、すぐ医者につれて行ってくれよ。
くれぐれも頼む。両親はどうだね。母の病気はどうかね。
変わった事があったらすぐ知らせよ。
小生もすぐ知らす。走り書きにて。・・・十月三十日   」
○○○○:昭和18年1月、東部ニューギニアで戦死。陸軍兵長
(「戦没農民兵士の手紙」昭和36年発行・岩波新書から)