昭和8年5月号
「少年倶楽部」 昭和8年5月号(復刻愛蔵版)から (「絵ばなし」は画像をクリックして拡大しよう!)
昭和6年の満州事変、7年の上海事変をきっかけに、
軍部の圧力で、雑誌の世界にも軍事色が強まっていく。
この5月号は「愛国大会号」として、
戦争関係の読物の特集が組まれている。
これは、その中の陸軍少佐による「総動員絵ばなし」(全文)。
「敵機に襲はれたら」という見出しの空襲対策の文章で、
「かうして皆が規律よく動けば、空襲もさほど恐るゝには及ばない」?と。
そして非常時の放送局、新聞、雑誌のあり方までふれている。
このほか同じ号に、海野十三の「太平洋雷撃戦隊」という
あたかも太平洋戦争の開始としてハワイの真珠湾攻撃を
想定したと思われる小説も掲載されていた。
次に起きた現実より、マスメディアの動きの方が先行している。
国家総動員法は、この本が発行された5年後の昭和13年(1938)に制定された。
そして、真珠湾攻撃は昭和16年(1941)である。
当時の人々が12月8日に「ついに」、「とうとう」と受けとめたことが、
なんとなくピンとくる。
昭和6年の満州事変、7年の上海事変をきっかけに、
軍部の圧力で、雑誌の世界にも軍事色が強まっていく。
この5月号は「愛国大会号」として、
戦争関係の読物の特集が組まれている。
これは、その中の陸軍少佐による「総動員絵ばなし」(全文)。
「敵機に襲はれたら」という見出しの空襲対策の文章で、
「かうして皆が規律よく動けば、空襲もさほど恐るゝには及ばない」?と。
そして非常時の放送局、新聞、雑誌のあり方までふれている。
このほか同じ号に、海野十三の「太平洋雷撃戦隊」という
あたかも太平洋戦争の開始としてハワイの真珠湾攻撃を
想定したと思われる小説も掲載されていた。
次に起きた現実より、マスメディアの動きの方が先行している。
国家総動員法は、この本が発行された5年後の昭和13年(1938)に制定された。
そして、真珠湾攻撃は昭和16年(1941)である。
当時の人々が12月8日に「ついに」、「とうとう」と受けとめたことが、
なんとなくピンとくる。