大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

昭和20年10月号 (はじめに)

イメージ 1

イメージ 2

昭和20年10月号から表紙と裏表紙の広告





昭和20年8月15日 終戦(敗戦)
終戦を日本人がどう、うけとめたか。
野坂昭如は、自らの体験を含め、当時の文化人の日記の調査や聞き取り作業により、
NHK人間講座「「終戦日記」を読む」(後に日本放送出版協会から出版)でまとめた。
平成17年6月、野坂昭如は、まえがきとあとがきに次のように書いている。

「・・・つくづく日本人は戦争を知らなかったと思う。・・・
日本人は戦争を天災の類いとみなしている。・・・・
日本人は、戦争を伝えていない。「しようがなかった」で済ませようとしている、
それでも良い。しかし、体験者は、もはや七十歳以上だが、
後世に語りつぐべきだ。まさに死なんとするや、
その声は、片寄っていようと、「良し」と考える。
・・・・・・・
繁栄を遂げたこの国に、現在物は溢れかえっている。
だが未来の姿は見えない。
これはぼくらの世代の責任でもある。
少しでも戦争を知る人間は、戦争について語る義務をもつ。
もはや残された時間に限りがある。
ぼくはぼくなりにあの戦争と向き合い、書き続けることこそ、
自分に与えられた業だと思い定めている。」


さて、昭和20年4月号から休刊していた文藝春秋終戦後、10月号から復刊した。
10月号は9月20日印刷納本とあるので、
おそらく、原稿は終戦直後の9月上旬から下旬にかけて書かれ、
集約されたものだろう。
この10月号のそれぞれの文章は、
(おそらく)当時、事態を十分に整理する時間がないまま発表され、
当惑と混乱と悲しみ、自責の念や複雑な思いなどを語るものが多い。
しかし、それだけに正当化や合理化をまぬかれた率直な感想を
示しているといえるかもしれない。

私なりに、
その冊子の中から、少しずつ文章を公開することにより、
(没後50年という著作権の問題もあるが)
戦争を知らない子供たち」とされた世代の一期生として、
「あの戦争はなんであったのか」を考える手がかりとしていきたい。
もちろん、雑誌に発表されたものが、当時の人々の感想や受けとめ方の
すべてではないのは当然である。
が、当時の知識人・文化人の受けとめ方の一部を「記録」しておくことは、
無意味ではないと思う。
「戦争」というものの重さをはかるために。

戦争へ向かう「勢い」の前には、
単なるノスタルジーやなつメロなどは簡単に吹き飛んでしまう!?。


裏表紙の広告
「承詔必謹」という戦前・戦時中使用されていたスローガンが、
終戦直後は、まだ使用されていた。
全体の広告の雰囲気も、戦時中の広告とあまり変わらないようにみえる。
おそらくGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の意向・指示、検閲が
各マスコミに浸透する直前と想像される。