大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

善き人のためのソナタ

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渋谷・シネマライズ
映画「善き人のためのソナタ




1984年、東西冷戦下の東ベルリン。

この映画は、相互監視社会を描き、
あたかも緊迫感あふれるサスペンスドラマとして仕上がっている。
2時間余りという映画の時間の長さを、まったく感じなかった。
緊張感を持続し、ぐいぐいと見ているものをひっぱっていく。
すぐれた作品である。

主人公ヴィースラーは、盗聴し監視する側の人間である。
両手でヘッドフォンの音に耳をかたむける主人公は、
その衣装といい、東京裁判の被告のようでもある。

このヴィースラーが、静かな変化していく。
ヴィースラーはヘッドフォンを通して、
壁の「向こう側」の人間らしいつぶやきとささやき、息づかいを聴く。
ブレヒトを読み、そして「善き人のためのソナタ」に耳をかた向ける。
音楽や詩などの芸術や愛にふれる。

そして、単に歯車や機能でない血の通った人間としての
自分の行動への疑問や迷い、
その先にある自由への渇望の感覚に目覚めたのだろうか。
監視するということの人間の傲慢さからの離脱か。

寡黙な主人公の表情が、
国家への忠誠心からくる無表情から、
憂いや苦悩、迷いをかかえた表情へと少しずつ変化していくように
私には見えた。
口をきりっとひきしめながら、
何かをじっと見すえる目が印象的だった。

そして、ベルリンの壁の崩壊。
反体制分子と目された人々の監視に関する個人情報の記録は、
東ドイツは「壁」崩壊後、本人に限って、閲覧ができるようになった。
(申請の窓口は、ガウク事務所)
映画のラスト近くには、監視された人々が
その記録を熱心に読むようすが描き出される。

監視したヴィースラーと監視されたドライマンの共感と心の交流。
せつなく、やりきれない思いが、
ラストの主人公の変化と新たな出発によって、
いつしか希望に変わり、見ている側は救われる。

たとえ、その時代や体制に悪や憎むべき問題があったとしても、
そこで生き、暮らした人間にとっては、おそらく、
地域・建物・生活・自然や家族の風景、当時の芸術や時代の空気は、
やはり、なつかしい「故郷」ともいえるものであり、
体制が変わったからといって、容易には捨てがたく、
全面的に否定することはできないものだ。
きっと、同じ時代の空気を吸った者としての接点があるにちがいない。


しかし、なぜ、相互監視社会が生まれたのであろうか。

あの「新しい歴史教科書をつくる会」の西尾幹二は、
以前、「全体主義の呪い」(新潮社 1993・平成5年)を
出版していた。
ベルリンの壁崩壊後、著者が東欧を旅し、
全体主義とは何か、自由とは何かを問うものであった。
いちはやく、旧東ドイツのシュタージの問題にも注目していた。
出版されて早い時期に、この本を読んだ私は、
全体主義下の相互監視社会と「シュタージ」という言葉が
印象に残り、その綿密な取材と精緻な分析に感心したものだった。
(それだけに、その後の著者の変貌と飛躍?に驚いた)

映画を見る前に、あらためて、もう一度読み直してみた。

西尾幹二によると(以下は少し長いが、旧東ドイツにふれた文章の抜粋やら要点)

************

1950年代の東欧では反対派に対する仮借ない粛清と処刑が
さかんに行われていたが、1970年代以降は減る。
1970年代、80年代の東欧では、
生産性における東側の敗北が民衆レベルで広く認識されるようになった。
西欧諸国との広範囲な経済交流なしでは、
もはや東欧経済が成り立たなくなってきていた。
その結果、西からの情報の流入を阻止し得ないものとなった。

旧東ドイツは「プラハの春」以後、
国家保安に対する過剰神経症に陥っていた。
保安に対し病的なまでに警戒心を抱いていた。
小心で神経過敏、自らの基盤の不安定を恐れるがゆえに、
安全が病的なまでの追求対象となり、
ちょっとでもそれが欠ければ過剰な防衛反応を引き起こすイデオロギーと化した。
シュタージには、積極的な自己主張の理念は内包されていない。
どことなく自信がなく、人間の弱みを見つけると、襲いかかり、冷酷無比な性格を示す。
体制が内側から崩壊することへの恐怖は時間とともに募る一方だった。
国家の安全に対する心配は高まり、ますます神経質にならざるを得ない。
接触と交流機会が増えれば、必然的に危険人物に対する監視の目は厳しくなる。

2つの体制が政治的経済的に接近する必要が生じていた。
東ドイツの体制は内部危機を強く意識し、表向き国際社会に自由化の
サインをみせなければならなかった分だけ、裏で陰険な締めつけに走らざるを得なかった。
市民に対する抑圧や統制のやり方に変化が生じ、
粛清や処刑から官僚機構の隠微な締めつけによる恐怖の形式に変化した。
さらに、市民が市民を無言で相互に監視して密告し合うシステムの
全国的なネットワークを完成する。
国民自らの警戒心で自らを複雑にしばる新しい抑圧の形式が、
社会の隅々にまで行き渡る時代になる。
権力者たちは自らの権力に潜在する欠乏を予感し、
それを」解消するために、国民に不安を及ぼし恐がらせる装置、
秩序を守るための手段である国家保安省(シュタージ)を必要とした。

東ドイツでは成人のほぼ3人に1人が秘密警察に監視され、
20人に1人が非公式協力者を演じていた。
間接暴力、恐喝、恐怖の一大体系だった。
反体制的改革運動グループのリーダーたちまでが、非公式協力者だったり、
運動を無力化する進言をしたりして、秘密警察とぐるであった。
改革グループ内部の同士結婚で夫が活動家の妻の動静を密告していたなど
1992年以降次々と明るみに出された。
密室社会の相互監視の目に見えないネットワークである。
他人も正当には見えてこない。他人の人格と出会わない世界では、
自分は成立しない。記号的単位になる。
ただひたすら、人が人を追跡し、監視し、観察し、密告し、そして記録した。
反体制運動の強い同志意識で結びついていたと信じていた仲間によって、
逐一行動を報告されていた物理学者もいた。
シュタージに服従すれば、将来が安全なだけでなく、
人生全体に有利な条件さえ待ち構えていることが暗示される。
社会主義国家建設の大義が語り聞かされて、
罪の意識を抱く必要のないよう配慮される。

シュタージ問題は、ドイツ人の心の問題でもある。ナチスにつづいて、
再びドイツを襲った新たな運命的な課題である。
再び自問自答しつつ、過去を掘り起こし、書類の山と格闘して、問題を分析し、解明し、
見たくない不愉快な歴史に直面しなければならないという点で、
第二次世界大戦後に似ている。
告発、弁解・・
加害者が雲隠れし、犠牲者の風を装おうとしている点でも似ている。
旧東ドイツの権力機構が崩れたとき、
党幹部や政府筋がいっせいに責任回避に用いた言葉は、
スターリンのせいでこうなった」「悪いのはスターリニズムだ」であったという。
自己潔白の申し立て、自己欺瞞、自己逃避。
自分自身は、当時の活動家はなかった、ただの犠牲者だったと。
参加者であり、推進者であったはずの国民自らが、
にわかに自分は被害者であり、犠牲者であったと言い出して、
ひたすらそこからの「解放」を演出し始めた。心理的自己隠蔽劇。

東の人間が物質の氾濫、情報の過剰にいきなり出会ってとまどうという経験をする。
亡命先で、自分の昔の体質に固執、過去への異常なまでの執着。
未知の文明に出会った瞬間の衝撃と、そこから生じた未来への不安から、
過去の社会主義的な暮しの中に「精神的な豊かさ」を思い出そうとしたり、
東の「精神の優位」にこだわる。自分を混乱から守ろうとする自己防衛である。

神なき世界、神が死んだ世界において、人間にはすべて許されている。
超越者から脱した自由人の傲慢の頂点に、必然的に全体主義的人間が成立する。
全体主義は、神となった人間の極限的な「自由」を欲望する知的傲慢の上に花開いた。
全体主義は、犯罪の意識をも失った犯罪行為を必然的に誘発し、
これに対し抵抗しようにも、主体の自由は存在しないのだ。
いかなる罪を犯しても、その罪の主体は不明である。

************


西尾幹二は、全体主義の例としてナチス共産主義の体制のみをあげているが、
しかし、シュタージに類する問題は、
どこの国や社会にも起きうるものではないだろうか。

戦時中の日本には隣組制度があった。

「国民一丸」となっての「戦争の遂行」というはっきりとした目的があるときは、
住民同士の「密告」や「相互監視」が奨励されてきた。
そこでは、治安維持の名の下に反体制思想活動の弾圧と取り締まりが行なわれ、
また隣組のように相互監視の性格を帯びた国民管理の方法もとられていた。
隣組制度は、「誰かが誰かにいつも見張られている」相互監視の社会で、
戦争遂行のために作られた行政の末端組織であった。
戦時訓練への動員や物資の配給などを仕切っていただけではなく、
この組織を通じて日本全国の一人残らず、住民同士の相互監視下に置くための組織だった。
相互監視と相互牽制によって、「赤化分子」のあぶり出しや、
「不満分子」の抑制にも効果があった。
隣組は、市民の逸脱を効果的に抑止し、相互の親密な「助け合い」を生み出すのと同時に、
「異質なもの」(異端・非国民)をすばやくキャッチする役割を果たした。
・・・
といわれている。

もちろん、戦時体制でなくても、
閉鎖社会で、秩序や体制が内部から崩壊することをおびえ、
体制を守るために、他からの情報流入を阻止し、
「敵」を日常的に設定することにより、全体主義的体制になりうるのではないか。


物質と情報の過剰な情報化社会、ネット社会の現在、
私たちは、いま、本当に自由であるのか。
「監視されているかもしれない」といった、ばくぜんとした不安、
気持ち悪さ、恐れの感情をときどき感じないだろうか。
旧東ドイツ、そして戦前の日本と似てきてはいないだろうか。
この映画を見て、ふと、こんなことを思った。
なんて、少し考えすぎか。