大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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白い馬の季節

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「白い馬の風景」(季節中的馬) 監督ニンツァイ (東京・岩波ホール




監督のニンツァイは、この映画を撮るきっかけを、次のように語っている。

「何年か前に故郷に帰った際、以前の緑で限りなく広がる偉大な草原は、
徐々に風と砂埃の影響を受け、傷だらけの破けた一枚の皮のようになっていました。
嵐の中で震えている遊牧民と牛や羊たちに、私の心は衝撃を受けました。
遊牧民の生活の中に入った時、彼らの真っ黒な瞳を見ても、
もっと多くの憂いや不安を抱えているのを感じました。それは一体何なのでしょうか。
ものすごい勢いで全世界を取り巻いてゆく強大な文明、
もしくはすみずみまで浸透してくる商業文明なのでしょうか。それとも・・・・。
とにかく世界各地のあらゆる文明が、
かつての青い空、緑の大地や遊牧民を取り囲んでしまったのです。
自然と融合していた彼らは茫然となりました。歩くことさえ出来なくなるほど、
進むべき方向も分からなくなるほどでした。私も茫然となりましたが、
少し落ち着いてから、遊牧民以外にも、
世界各地で同じように季節の風の中で震えている多くの人がいることを知りました。
そしてこの映画を撮ることを決意したのです。」
(映画のプログラムから)


この映画は、
消費経済化・近代化、そして草原の砂漠化の波の中で、
危機に瀕しているモンゴル民族の伝統と人々やくらしを、
ある家族を通して描いている。

砂漠化により草原がなくなり、失われつつある人々の生活基盤。
草原から離れることは、遊牧民が町への定住化することを意味する。
もともと、遊牧民は市街を好まず、草原にいることを好むといわれる。
遊牧民族にとって、町は心やすらぐ土地ではない。
歴史的に、モンゴルの自給自足の遊牧民と農耕定住民・商人である漢民族とは対立していた。
この映画で流されるウルゲンの涙は、
自分の代々の土地、自由に移動していた土地が「国家の所有」と聞かされ、
きっと、漢民族から草原を守りたい、中国の手から抜け出したいという思いと
くやしさがあったにちがいない。
清の時代から、漢民族の農民を草原への入植させる政策がとられてきた。

本来、遊牧民は、移動し、身軽さがある。
物もたくわえないといわれる。
物欲が少ないし、物への執着が希薄だった。
定住民のような城壁や街はいらない。
また、もともと貨幣をもたなかったという。
遊牧と農業や商業は、もともと暮しのしかたがちがうだけに、
相容れないものなのだろう。

遊牧民族にとっての天は近い。 
見えるのは空や雲と草原だけで、人影はまばらな世界。
そこから、自然と人生との運命を支配する天への崇拝が生まれた。
モンゴルなどの遊牧民族にとって、頭上をおおう天空そのものが神であった。
だから、神霊は上から降りてくる

もとは部族によって草原がきめられていて、
場所は夏と冬の区別があり、それによって移動していたという。

ジンギスカンは、「内なる父」でもあった。

モンゴル人は商売をきらう。
この映画でも商売になれていないインジドマーやウルゲンが描かれていた。
映画に出てきたコーリャン酒の商品宣伝隊は商業主義の波の象徴である。

モンゴル人は、山羊、羊、牛は殺して食べるが、馬は殺さない。
自然死にまかせるのだそうだ。
遊牧騎馬民族にとって、馬は、モンゴル人の伝統と遊牧文化そのものだった。
馬は騎馬民族としてのかれらの誇りであり、心の安らぎであるようだ。
馬は、故郷であり、先祖の魂がこもっている。
モンゴル馬で、ポニー(小型馬)と呼ばれる。

映画では、この白い馬が重要である。
馬を取り返したものの、シャーマンのような叔父さんに説得され、
白い馬を天の精霊・神にささげる儀式が行われた。
白い馬を聖なる天に返し、天で水と牧草により自由に走りまわることを祈る。
白い馬は自由になり、人がかってに扱うことはできないという。
きっと、馬に飾られた青、赤、黄緑色の布が天にささげた聖なる馬を
あらわしているのにちがいない。
しかし、あたかも老親や故郷を見捨てるようなつらさとうしろめたさ・・・。
見捨てることは、見捨てられることでもある。

舗装された道路を、ひっきりなしにトラックがほこりをまきちらし通っていく横を、
ウルゲント息子フフーが手をつないで、草原をあとにし町に向かう。
しかし、白い馬のサーラルが、
舗装された道を主人のあとを追っていくかのようにゆっくりと歩いていく。
この最後のシーンは、
この身は永遠に残らないが、白い馬に象徴される民族の魂は死なない、
魂は永遠に残ることを示唆している。

最後に歌われる女性の歌は、大きな救いである。
このアカペラ(だから)の歌はすばらしい。

(女性の歌)
 天の風は 穏やかではない
 わが身は永遠に残らない
 霊水を飲んだわけではないのだから
 今のうちに幸せに生きよう
 空の風は 自由に吹き抜けていく
 この身は永遠に残らない
 霊水を飲んだわけではないのだから
 今のうちに幸せに生きよう

しかし、人は、形もなく魂だけで生きられるのであろうか。

映画は、時代と社会に流される。内モンゴルのある一家族を描いている。
伝統にこだわる男性、現実的に生きようとする女性、・・・
そして、映画に出てくる風景は、多くはない。
だが、民族や国境を越えた普遍性をもつ感動作になっている。
この映画は、大きな時代の流れの中で滅びゆくもの、去り行くもの、
見捨てたものへの挽歌でもある。
また、失っていくことと、新しい環境、時代への不安。
しかし、どんな時代になっても、民族の魂は生きている。

司馬遼太郎は「草原の記」というエッセイで、
オゴタイ・ハーンの
「永遠なるものとはなにか、それは人間の記憶である」という言葉を紹介している。
栄華も財宝も城郭もすべてはまぼろしである。重要なのは記憶であると。





ここで終わるはずであった。

しかし、この内モンゴルの人によってつくられた映画は、
内モンゴルから世界への問題提起と鋭い告発が隠されていると思うので追加したい。

内モンゴルの草原の砂漠化は、なぜ起こったのか、
少しネットなどで調べて、整理してみた。
映画では、少し背景として出てくるが、政治的な問題にも発展しかねないせいか、
語り口は静かである。
しかし、来日した監督のニンツァイ、ナーレンホア(妻役の女優)夫妻は、
日本でのインタビューでは、はっきり問題を伝えようとしていた。


内モンゴルの砂漠化は、実は大変な環境問題で、
中国、韓国、日本へも、黄砂として影響している。


内モンゴルの砂漠化は、樹木の過伐採、草原の過剰利用、草原の畑地への転用(開墾)や
家畜の過放牧が原因で多年草牧草が消滅し、急速に進んでいるといわれる。
土地の再生能力を超えた過剰な開墾・放牧である。


食糧生産を優先する中国政府の政策に伴う農地開墾により、
内モンゴルへの漢民族の移住が始まり、人口は爆発的に増加した。
その結果、生活形態の変化や人口増加は、過剰な土地利用を生み出した。
すき(犁)を入れて開墾すると、30センチぐらいの黒い表土が耕される。
そうすると多年草の根もなくなってしまうという。
2年目、3年目ぐらいまではいい収穫もできるが、
モンゴルというのは風が強いところで、5年ぐらいたつと風化してしまうそうだ。
そして、表土の下に砂状の土があって、それが出てくる。
こうして砂漠化が起きる。
いったん開墾された土地の多年草の表土は二度と回復できないという。


もう一つは過放牧である。
人口の大量流入、遊牧生産方式の廃棄と商品経済・市場経済の浸透に伴って、
過放牧になったといわれる。

もともと内モンゴルの草原地帯における入植と農地化の波は、
19世紀の中頃の清の時代からはじまり、
100年も経たないうちに大半の地域が農地と化し、
遊牧民は定住するか乾燥地帯に追いやられた。

新中国政府の改革開放政策実施以後、
遊牧民に対しては定住促進の措置がとられ、
中国内地で行なわれた草原をある範囲で分ける土地請負制請負制度を、
内モンゴルで、そのまま実行したという。
内モンゴルでは、1982年に家畜の分配が行なわれ、
2年後の1984年に牧草地の使用権を牧民に分けようということになった。
それまで遊牧というのは一部の牧草地を休ませながら交替で使う仕組みだったが、
限られた牧草地を各個人に分け与えることによって、
家畜がごく狭い範囲から出られなくなってしまった。
そして多くの地域では囲いをつくって、家畜をその中に閉じ込めた。
ある1人がある土地を請け負ったとして、子ども2人が産まれたらその土地をさらに分けあう。
その子どもが産まれたらまた分けあう。それが続くとどんどん土地が細分化されていく。
そして、放牧する場所をある程度、固定されると、
場所によって砂漠化がより進行するということがある。

過去の放牧の形態であった遊牧は年に4回場所を変えていたという。
内陸部に暮らす遊牧民は牧畜を生業とし、数千年にわたって営んできたが、
草原は砂漠化しなかった。
彼らが遊牧民として移動しながら牧畜し、
ぜい弱な土壌を傷めずに持続可能な生活スタイルを取ってきたからだ。

やがて、内モンゴル地域の砂漠化が進行し、その影響で3月から5月にかけて
毎年強い砂塵が北京を襲い、視界が数十mしかきかない状態にまでなる。これ
が黄砂である。
これに対して、中国政府は、やっと2000年から耕地を森に戻し(退耕還林)を、
また2001年から「禁牧」政策を本格化するなど、植林を最重要課題の一つと位
置づけて取り組みはじめたという。


また最近は、日本からも、
内モンゴルへの植樹、緑化運動による支援が民間レベルで行われている。
しかし、砂漠地域での緑化は、遊牧生活にあまり関心をはらわず、
農産物の栽培をどのように促進するなど、
緑化=農耕開墾を意味しているような印象が強いが、
本来、砂漠化を防止するためには、農耕を中止し、
定住から再度移動放牧に回帰しなければならないという発想がないことを
批判する内モンゴル出身の研究者の声もある。


そのほか、中国での学費の問題がある。
義務教育だったはずの学費のすべてを、個人が負担しなければならない。
現在、中学生の一年間の学費が1500元に上昇し、小学生も年間1000元以上の
学費を払わなければならなくなっているらしい。
これは、内モンゴル自治区の貧困家庭の年間収入に匹敵するという。
映画に出てくる子どもの学費のことが、はじめ理解できなかったが、
こんな事情があったのだ。


映画の底には、モンゴル民族と漢人の対立も含め、
内モンゴルの砂漠化の原因として、
過開墾と遊牧民が移動できないための結果としての過放牧という
中国政府のこれまでの政策に対しての内モンゴル側からの疑問が隠されている。



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