メモ (7) 高野公彦
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「朝羽(あさは)振り姉は飛びゆき夕羽ふり帰りこざりきこの庭の上に」
(高野公彦 『水木』)
万葉集などでは「羽振る(はふる)」は、
「溢れる(あふれる)」というような意味で、
揺れて寄せてくるようすのことをいうらしい。
おそらく、魂とか霊とか生き生きした生命力の発動をいうのだろう。
歌人の馬場あき子さんは、
「短歌その形と心」(日本放送出版協会)という本の中で、
「しかし、高野公彦は
この「朝羽振る」という表記の美しさに魅かれてそれをあて、
漢字の意味どおりに「羽を振る」というイメージで使っています。
そのため、亡き姉の魂が、白鳥伝説のように、
白鳥になって翔(かけ)り去ってしまった場面が生まれ、
耽美的な、哀切な感傷の心が、庭上から消滅して、
二度と戻ってくることのない幻像への愛惜を深めています。」という。
朝、羽ををふるように笑顔で出かけ、
夕方にはいつも、ただいまと羽をふるように帰ってきた
しかし、その日は、夜になっても帰ってこなかった
やがて、魂のぬけがらになった姿がみつかった
しばらくは、信じられなかった
もう、羽をふって帰ってくることがないということが
庭も家の中も、何も変わりはないのに
魂は鳥になって空のかなたに飛び立ったのだろうか
でも、鳥になったとしたら どこかで生きている!
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「朝羽(あさは)振り姉は飛びゆき夕羽ふり帰りこざりきこの庭の上に」
(高野公彦 『水木』)
万葉集などでは「羽振る(はふる)」は、
「溢れる(あふれる)」というような意味で、
揺れて寄せてくるようすのことをいうらしい。
おそらく、魂とか霊とか生き生きした生命力の発動をいうのだろう。
歌人の馬場あき子さんは、
「短歌その形と心」(日本放送出版協会)という本の中で、
「しかし、高野公彦は
この「朝羽振る」という表記の美しさに魅かれてそれをあて、
漢字の意味どおりに「羽を振る」というイメージで使っています。
そのため、亡き姉の魂が、白鳥伝説のように、
白鳥になって翔(かけ)り去ってしまった場面が生まれ、
耽美的な、哀切な感傷の心が、庭上から消滅して、
二度と戻ってくることのない幻像への愛惜を深めています。」という。
朝、羽ををふるように笑顔で出かけ、
夕方にはいつも、ただいまと羽をふるように帰ってきた
しかし、その日は、夜になっても帰ってこなかった
やがて、魂のぬけがらになった姿がみつかった
しばらくは、信じられなかった
もう、羽をふって帰ってくることがないということが
庭も家の中も、何も変わりはないのに
魂は鳥になって空のかなたに飛び立ったのだろうか
でも、鳥になったとしたら どこかで生きている!
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