大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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「いまここにある風景」

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「いまここにある風景」(監督:ジェニファー・バイチウォル)





カナダ人の写真家、エドワード・バーティンスキーが現代の中国を訪ね、
産業の現場の風景を撮る姿を描いたドキュメンタリー。


巨大工場の生産ライン
廃棄された電子機器のゴミの山と手作業による分別
港湾地区の無数に積み上げられたコンテナと造船所
船舶解体現場(バングラデシュ
世界最大の三峡ダムの工事現場
上海の都市計画展示館に設置された世界最大の都市模型
都市部の路地で暮らす人々と裕福な不動産業者の邸宅
黒いピラミッドのような石炭採掘場

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バーティンスキーという写真家が撮った廃棄物、廃墟の写真は
なぜか美しい。


建設のための破壊、
生産と消費のあとに残る産業廃棄物
そして、そのリサイクル


中国が、先進国で消費される製品のリサイクルの場としての役割を
担っているという。
中国やインドなどで処理される廃棄物の多くは、
欧米、日本、韓国などが発生国といわれている。
中国の現実は、日本とつながっている!


この映画は、
産業の急速な発展にともなう環境の破壊、廃棄物の処理の問題を、
写真と映像の力によって、たしかに静かにとらえている。


が、しかし、
この映画には「産業の風景」だけがあって、
残念ながら、そこに生きている人間がかすんでいる。
もともと風景の中に生きている人間をみようとする視点がないのだろう。

工場で働く人たちも、まるでモノと同じようなとらええ方である。
そして、
三峡ダムの建設現場で破壊された建物の瓦礫のそばを馬をひく男性、
電子機器の廃棄物の前で遊ぶ子どもたち、
玄関の前のおばあさん、
廃墟の中で黙々と縫い物をするおばあさんにも、
チップをわたし、
写真家または監督のイメージに沿った撮影のために、
あらかじめその位置にいてポーズをとってもらう「ヤラセ」だった!?
また、それを映像としてかくそうともしない。
産業の風景のための単なるアクセント・点景でしかない人間・・・

私には「世界の終わり」を示す廃墟や廃棄物の写真よりも、
こちらの方が衝撃的だった。
ここには、あの中国映画「長江哀歌」にあった、
「どんなに世界が変わろうと、人は精一杯に生き続ける」という視点が、
ほとんど欠落している。

この写真家は、「産業の風景」には関心があっても、
その風景や環境の中に、生き、悩み、苦闘する人間がみえないのだろう。

それが、
このドキュメンタリー映画の底を浅くしているような気がする。

もしかしたら、映像化せず、
写真集だけにとどめておいた方がよかったのかもしれない。



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