大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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キルティプルの人々(ある家族)

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1995年 ネパール




カトマンズから車で約50分の人口約1万人の静かな町、
キルティプル。
かつて、13~17世紀に栄えたネワール文化を支えた木工、金工、織物の
職人集団の町だったという。


この町の建物をみながら歩いていると、
ある建物の中で彫金の作業をしていた
日本語を勉強中という青年から声をかけられた。

家に寄っていかないかといわれ、
すぐに、その青年(一番上の写真の左から2人目)の家にあがった。
家には、お母さんやおばあちゃんがいた。
お菓子や少し酒をごちそうになった。
そのうち、青年から「家に泊まっていけば」と言われ、
私は特に予定がなかったので、その好意の申し出を受けることにした。
荷物をその家に置き、
その青年の案内で、町の中を散策した。

家族のこと、建物の彫刻、日干し煉瓦、寺院、
ヒンズー教のこと、
女性は十代で結婚することが多いこと、
などなど・・・・を聞かせてくれた。

観光関係の人ではなく、
そこに暮らす地元の人と直接話できたことは、幸運であった。
その青年も、勉強中の日本語が私に伝わりうれしそうだった。
青年は日本への関心を強くもっていた。

夕方になり薄暗くなったので、青年の家にもどった。
夕飯は青年の親戚の家で、ごちそうになった。
青年の友人、家族、親戚が集まってきた。
その数、10数人。
こんなことがネパールの旅の中であったことが、
私には不思議だった。
若い人たちがネパールの歌を歌って歓迎してくれた。

この地球上で、見ず知らずの異国の旅人を、
歓待してくれたことに、
私はとても幸せな気分になった。

その家に泊まった次の日も、
青年はお昼ごろまで、町を案内してくれた。
友人の売店、隣町、広場での民族楽器演奏・・・・

その後、私はお礼に青年に日本からもってきた記念品をわたし、
握手してその青年と別れた。
それは、「世界ウルルン滞在記」の世界だった。
カトマンズ行きのバスに乗り、町をあとにした。

帰国してから、写っている家族や友人の数分の写真を焼き増しして、
その青年に送った。
1か月ぐらいたって、その青年から手紙が来た。
日本語で書かれてあり、地元のお祭の写真が同封されていた。


ネパールのこのキルティプルという町と町の人々、
それは、もう遠い日の思い出となってしまったが、
そのときの幸せな気分と感謝したい気持ちは、いまでも強く残っている。




(「ネパールの人々」了)

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