「おくりびと」
「おくりびと」(監督:滝田洋二郎)
「おくりびと」は
「送られる人」と「送る人」をつなぐ。
送る人からのメッセージを送られる人に渡し、
同時に、送られる人のメッセージを送る人に伝える。
そして、逝くものが安らかに新たな世界に旅立てるよう、
心をこめて、静かに身支度をととのえる。
一方、「食べる」ことは「生活する」ことであって、
そこからユーモアも生まれる。
生と死の間にあって、
人は、なお食べなければ生きてゆくことができない。
しかし、送った人も、やがて送られる人になる。
本木雅弘は、
約20年前から自分の中に蓄積していた「生と死」に対する思いを、
映画で納棺師を通して、形にあらわした。
深みのある音色を出すチェロは、音域が人間の声に近いといわれている。
たしかに、日本は日本であって、インドではない。
日本の納棺師という心と形がなければならない儀式を行う仕事に着目し、
そこから、だれにも訪れる死を、ユーモアをこめて、
送られる人、送る人、そしておくりびとの視点で、
その交流をあたたかく見つめる。
映画を観た人を、
それぞれの立場への共感と死と向き合う生に対する肯定へと導く。
映画は、一見、淡々と地味に描かれている。
しかし、観るものに、静かな緊張と感情の高まりを与え、
そして、最後にどこかほっとさせられる、
人のぬくもりというものを感じさせる日本映画の傑作のひとつとなった。
本木雅弘に、「演技させられている」のではなく、
自らかかえていたテーマを形にあらわそうという真剣さと自然を感じた。
この映画は、発案者の本木雅弘なくしてはできない映画である。
本木雅弘は、20代の終わりに、
写真家・藤原新也の本「メメント・モリ」の影響を受けて、
インドに行ったという。
実は私も、昭和58年この本の発売後、すぐに購入し読んでいる。
しかし私は、本木雅弘とちがい、
本を読んでから15年後、インドのベナレス(ヴァラナシ)に行った。
だから、「深い河をさぐる」という本の遠藤周作との対談での、
本木雅弘のインド・ベナレスでの感想や受けとめ方は、
私にも、なんとなくわかるような気がする。
私も、ガンジス河岸のベナレス(ヴァラナシ)に泊まり、
そこにある火葬場に、3日間通った。
何かを考えることなど、できなかった。
ただ見ていただけだった。
そこでは、死が日常的に見えるものとしてあり、自然だった。
死者を送る簡単な儀式もあった。
そして、インドにも「おくりびと」がいた。・・・・
私は、言葉にあらわせない感慨をもった。
しかし、私の場合、インドからの影響ではなく、
身近な人々の思いがけない死によって、
生と死に対する見方が大きく変わった。
「メメント・モリ(死を思え)」といわれなくても、
思うようになった。
以下は、
藤原新也「メメント・モリ」から(抜粋)
「いのち、が見えない。
生きていることの中心(コア)がなくなって、
ふわふわと綿菓子のように軽く甘く、
口で噛むとシュッと溶けてなさけない。
しぬことも見えない。
いつどこでだれがなぜどのようにしんだのか、
そして、生や死の本来の姿はなにか。
今のあべこべ社会は、生も死もそれが本物であればあるだけ、
人々の目の前から連れ去られ、消える。
街にも家にもテレビにも新聞にも机の上にも
ポケットの中にも偽者の生死がいっぱいだ。
本当の死が見えないと、本当の生も生きれない。
等身大の実物の生活をするためには、
等身大の実物の生死を感じる意識をたかめなくてはならない。
死は生の水準器のようなもの。死は生のアリバイである。
月の明りで手相を見た。生命線がくっきり見えた。
肉親が死ぬと、殺生が遠ざかる。
一片の塵芥(ごみ)だと思っていた肩口の羽虫にいのちの圧力を感じる。
草を歩けば草の下にもいのちが匂う。
信仰心というのはこんな浅墓な日常のいきさつの中で育まれるものか。
老いた者の、生きものに対するやさしさは、
ひとつにはその人の身辺にそれだけ多くの死を所有したことのあらわれと
言えるのかもしれない。
よく気をつけて見ていると、
足もとに、いつも無限の死がひそんでいる。
つかみどころのない懈慢(けまん)な日々を送っている正常なひとよりも、
それなりの効力意識に目覚めている痴呆者の方が、
この世の生命存在としてはずっと美しい。
ひとがつくったものには、ひとがこもる。
だから、ものはひとの心を伝えます。
ひとがつくったもので、ひとがこもらないものは、寒い。
死を思え。 」
・・・・・・・
「おくりびと」は
「送られる人」と「送る人」をつなぐ。
送る人からのメッセージを送られる人に渡し、
同時に、送られる人のメッセージを送る人に伝える。
そして、逝くものが安らかに新たな世界に旅立てるよう、
心をこめて、静かに身支度をととのえる。
一方、「食べる」ことは「生活する」ことであって、
そこからユーモアも生まれる。
生と死の間にあって、
人は、なお食べなければ生きてゆくことができない。
しかし、送った人も、やがて送られる人になる。
本木雅弘は、
約20年前から自分の中に蓄積していた「生と死」に対する思いを、
映画で納棺師を通して、形にあらわした。
深みのある音色を出すチェロは、音域が人間の声に近いといわれている。
たしかに、日本は日本であって、インドではない。
日本の納棺師という心と形がなければならない儀式を行う仕事に着目し、
そこから、だれにも訪れる死を、ユーモアをこめて、
送られる人、送る人、そしておくりびとの視点で、
その交流をあたたかく見つめる。
映画を観た人を、
それぞれの立場への共感と死と向き合う生に対する肯定へと導く。
映画は、一見、淡々と地味に描かれている。
しかし、観るものに、静かな緊張と感情の高まりを与え、
そして、最後にどこかほっとさせられる、
人のぬくもりというものを感じさせる日本映画の傑作のひとつとなった。
本木雅弘に、「演技させられている」のではなく、
自らかかえていたテーマを形にあらわそうという真剣さと自然を感じた。
この映画は、発案者の本木雅弘なくしてはできない映画である。
本木雅弘は、20代の終わりに、
写真家・藤原新也の本「メメント・モリ」の影響を受けて、
インドに行ったという。
実は私も、昭和58年この本の発売後、すぐに購入し読んでいる。
しかし私は、本木雅弘とちがい、
本を読んでから15年後、インドのベナレス(ヴァラナシ)に行った。
だから、「深い河をさぐる」という本の遠藤周作との対談での、
本木雅弘のインド・ベナレスでの感想や受けとめ方は、
私にも、なんとなくわかるような気がする。
私も、ガンジス河岸のベナレス(ヴァラナシ)に泊まり、
そこにある火葬場に、3日間通った。
何かを考えることなど、できなかった。
ただ見ていただけだった。
そこでは、死が日常的に見えるものとしてあり、自然だった。
死者を送る簡単な儀式もあった。
そして、インドにも「おくりびと」がいた。・・・・
私は、言葉にあらわせない感慨をもった。
しかし、私の場合、インドからの影響ではなく、
身近な人々の思いがけない死によって、
生と死に対する見方が大きく変わった。
「メメント・モリ(死を思え)」といわれなくても、
思うようになった。
以下は、
藤原新也「メメント・モリ」から(抜粋)
「いのち、が見えない。
生きていることの中心(コア)がなくなって、
ふわふわと綿菓子のように軽く甘く、
口で噛むとシュッと溶けてなさけない。
しぬことも見えない。
いつどこでだれがなぜどのようにしんだのか、
そして、生や死の本来の姿はなにか。
今のあべこべ社会は、生も死もそれが本物であればあるだけ、
人々の目の前から連れ去られ、消える。
街にも家にもテレビにも新聞にも机の上にも
ポケットの中にも偽者の生死がいっぱいだ。
本当の死が見えないと、本当の生も生きれない。
等身大の実物の生活をするためには、
等身大の実物の生死を感じる意識をたかめなくてはならない。
死は生の水準器のようなもの。死は生のアリバイである。
月の明りで手相を見た。生命線がくっきり見えた。
肉親が死ぬと、殺生が遠ざかる。
一片の塵芥(ごみ)だと思っていた肩口の羽虫にいのちの圧力を感じる。
草を歩けば草の下にもいのちが匂う。
信仰心というのはこんな浅墓な日常のいきさつの中で育まれるものか。
老いた者の、生きものに対するやさしさは、
ひとつにはその人の身辺にそれだけ多くの死を所有したことのあらわれと
言えるのかもしれない。
よく気をつけて見ていると、
足もとに、いつも無限の死がひそんでいる。
つかみどころのない懈慢(けまん)な日々を送っている正常なひとよりも、
それなりの効力意識に目覚めている痴呆者の方が、
この世の生命存在としてはずっと美しい。
ひとがつくったものには、ひとがこもる。
だから、ものはひとの心を伝えます。
ひとがつくったもので、ひとがこもらないものは、寒い。
死を思え。 」
・・・・・・・