大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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「川は流れる」と「下町の太陽」

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「川は流れる」と「下町の太陽」




この2つの歌、
ラジオか、テレビからか、
商店街の中からか、
どこからともなく、
耳に流れてきていたように記憶している。




「川は流れる」 横井弘【作詞】 桜田誠一【作曲】


病葉(わくらば)を 今日も浮かべて 
街の谷 川は流れる 
ささやかな 望み破れて 
哀しみに 染まる瞳に 
黄昏(たそがれ)の 水のまぶしさ

思い出の 橋のたもとに 
錆びついた 夢のかずかず 
ある人は 心つめたく 
ある人は 好きで別れて 
吹き抜ける 風に泣いてる

ともし灯も 薄い谷間を 
ひとすじに 川は流れる 
人の世の 塵にまみれて 
なお生きる 水をみつめて 
嘆くまい 明日は明るく



昭和36年、「川は流れる」は
仲宗根美樹によって歌われヒットした。

流れる川をみつめ、
哀しみの中にも、
ささやかに希望を見い出そうとする・・・





「下町の太陽」 横井弘【作詞】 江口浩【作曲】


下町の空に かがやく太陽は
よろこびと 悲しみ写す ガラス窓
心のいたむ その朝は
足音しみる 橋の上
ああ太陽に 呼びかける 

下町の恋を 育てた太陽は
縁日に 二人で分けた 丸いあめ
口さえ聞けず 別れては
祭りの午後の なつかしく
ああ太陽に 涙ぐむ 

下町の屋根を 温(ぬく)める太陽は
貧しくも 笑顔を消さぬ 母の顔
悩みを夢を うちあけて
路地にも幸(さち)の 来るように
ああ太陽と 今日もまた 




「下町の太陽」は、「川は流れる」と同じ横井弘によって作詞され、
昭和37年、倍賞千恵子によって歌われた。


ここでは太陽は、かぎりなく明るい希望
貧しさからようやく抜け出し始めた高度成長期、
同じ年、「いつでも夢を」や「若いふたり」もヒットした。
夢と希望がもてた時代。
昭和39年の東京オリンピックという目標に向けて、
当時の日本は気分がもりあがり、どこか方向感をもっていた。

そして、歌というものは、
いろいろな人が歌いカバーするものである。
しかし、この歌ほど、
素直で清楚な歌い方をする倍賞千恵子という歌い手なくして、
考えられない歌はない。



作詞家・横井弘による歌詞には、
何かをじっとみつめることによって、
愁いや哀しみ(悲しみ)をかかえる中にも、
「帰りたいけど 帰らない 帰れない」とつぶやきつつ、
とりあえず出発し、
どこかに希望を見い出そうというものが多い。
それが、聴いているものの心にストンとなじむ。

「あざみの歌」、「哀愁列車」、「心の窓に灯を」
「虹色の湖」、「夕焼け雲」 ・・・・




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