大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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「懺悔」 (3)

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「懺悔」(グルジア映画 監督:テンギズ・アブラゼ 東京・岩波ホール




革命の勝利の瞬間から、仲間割れ・内部抗争が始まる。
権力の集中による権力の安全・安定化をはかるため、
まず一党独裁制を確立し、党と国家を一致させる。
そして、党内分派活動を禁止する。

権力の集中には、
単一指導者による支配、個人崇拝の確立が必要である。
スターリン称賛のためには歴史の捏造、偽造もする。
スターリン神話はつくられた。

子供たちは、学校でも、共産主義青少年組織の会合でも、
重要な記念行事や公的な祝典でも、
スターリンに捧げる讃美歌を合唱し、詩を朗読した。

レーニンの弟子、
偉大なる天才的指導者、
われわれの栄光にかがやく教師、
国の父、
諸民族の父、
社会主義の昇る太陽、
大地を豊饒にする者、
勝利の父 ・・・

個人崇拝を確立して、
社会主義社会建設、工業化のための犠牲と努力への呼びかけ、
農民の強制的集団化をすすめる。
このなかで、民衆の怒りと絶望と怨恨は抑圧された。

ロシアの文化的な遅れは、英雄神話、英雄崇拝を受け入れる土壌である。
自分たちを導き、より幸福な未来を用意してくれる強力な指導者にして
半神という人物像の中に自分たち自身の弱さからの逃避と慰めを見出す。

権力者にとって、それでも、たえず敵への恐怖と嫌悪がつきまとう。
敵には、外部の敵と内部の敵がある。
特に重要なのは、内部の敵である。
内心の戦慄から、異端審問の精神をもって、
異端の排除、反対派の抹殺をはからなければならない。

粛清のはじまりである。

異端の発見には、告発や密告がてがかりになる。
偽りの証言、でっちあげが一つの体制となった。
復讐と裏切り、信頼の崩壊、猜疑心・・・
われわれは人をその言葉や外見で判断してはならない、
反逆者を生かしておくことは危険と訴える。

声は圧殺され、ただ沈黙だけがある。
論争は消失し、意見の交換もなくなった。あるものは無関心に。
そして、スローガンのオウム返し。

不安と恐怖と絶望の状況、恐怖政治、警察国家が始まった。

政治警察、秘密警察の自動車のブレーキの音、
徹底的な家宅捜査と有無をいわせぬ逮捕令状なしの拉致、
家族や弁護士とも連絡がとれない孤立無援下での拷問と自白の強制、
家族たちの裏切りと密告、
身体的拷問だけでなく精神的耗弱をねらうさまざまな拷問技術、
肉親や子供を人質にとっての圧迫、
ほんのわずかな批判的な口ぶりや不注意な言葉を理由に検挙(逮捕)する。

一方で、
新しい粛清を求めて叫ぶ「人民」の支持がある。
ひざまずき、積極的に粛清に参画する意識をもった大衆がいる。
「狂犬どもを撃ち殺せ」の合唱、「人民の敵」狩りに狂奔する労働者がいる。

裁判は、結論がはじめからできている。
でっちあげ、芝居のような法廷審理によるか、通常の審理なしの処刑。

1924年1月 レーニン死亡
1929年暮れ  ソ連の町中にスターリン肖像画、個人崇拝へ。
1932年11月 スターリンの妻、スターリンに抗議して自殺、
          妻の家族をも弾圧
1934年12月 共産党幹部キーロフ暗殺される
1936年8月 「モスクワ裁判」といわれる公開裁判、
        同志キーロフの暗殺を首謀者として党の幹部に死刑が宣告された。
1937年5月、赤軍粛清
        (→「懺悔」(1)(2)の画像・新聞記事)

投獄、シベリアへの追放、国外追放、強制収容所へ、
大量虐殺、処刑、獄死、


粛清の際のレッテルは、
人民の敵、陰謀者、反革命分子、貴族、謀反人、外国の手先、スパイ、愛国心の衣をまとった反革命家、自由の破壊者、反対派の首謀者、党に対する犯罪者、旧体制の共犯者、破壊活動家、反乱者、猫かぶり、ファシスト、悪魔、反キリスト、裏切り者、破壊活動とテロルの教唆者、狡猾で醜い犯罪者、殺人者、ゲシュタポの手先、シオニスト・・・


検挙された者に、自説の撤回、自白をせまる。
権力者の無謬性を証明するために。
教会的儀式を忠実に模したような自説撤回の慣行を党に導入した。
自白は「懺悔」のようになる。
自白には家族が人質となる。
国家への反逆、背信、首謀者を認めさせる。
抗議の声をあげられず、
無力さ悲嘆や絶望の叫びも牢獄からもれることはない。

自白を拒否した者は、強制収容所に送られる。
拷問の苦しみは、虚偽の自白と自分自身と他の者への告発をして許される。
それでも、処刑されることにかわりはない。
強制収容所では、多くの人が、
反革命的扇動、サボタージュ、労働拒否、脱走未遂などで処刑された。

一方で、国をあげて阿諛追従の合唱。

自白した者の中には、
状況が変化して反スターリン闘争の再開を期待したり、
真実と正義が勝つことを信じる者もいた。
被告自身も罪を容認することによってのみ、革命家の名誉が保持された。
検事たちの非論理的な追及にオウム返しに、それを認めていく。
ソ連ファシズムの脅威の前に、国内をひきしめ、
反革命分子の摘発活動を積極的に評価し、国家を守るため、
その犠牲となって殺されることに意義を付与し、死を受けいれた者もいた。
拷問により、ほとんどが身体的・精神的苦痛においつめられた。

ゲ・ペ・ウ(旧ソビエト連邦スターリン政権下で、反政府的な運動・思想を弾圧した秘密警察)は、
裏切り者の親族まで反逆の罪を犯した者として扱う権限をもち、
妻、両親、子供さえも収容所送りになることがあった。
大量処刑、大量追放をくり返した。

権力者は、自分の追随者、側近への恐怖から、
さらに粛清による支配力の強化しようとする。

疑惑と陰謀の不安、告発→拷問→自白→自己告発→裁判→粛清の悪循環

西側の労働運動と左翼知識人は、
ヒットラー同盟者としてのスターリンに期待していたためか、
モスクワ粛清に講義の声を挙げることに慎重で、混乱、狼狽した。
自白を信用し、ゲ・ペ・ウの取調べ技術や裁判の背景になにかを感じとるものがいなかった。
スターリンの支持者は、
フランス、スペイン、イギリス、アメリカの知識人への影響力をもち、
粛清への抗議は抑圧された。
また、粛清を支持した文学者も多かった。

粛清に、はずみがつき、ソ連は悪夢にとらわれた。
もう、安全な者はだれひとりとしていなかった
あらゆるところ、あらゆる人に敵やスパイを見た
審問官、刑吏、政治警察の長官、秘密情報機関にも。



1953年3月 スターリン死亡
1956年2月 フルシチョフスターリン批判
1964年10月 フルシチョフ追放
1985年3月 ゴルバチョフ書記長就任


大粛清は、旧ソ連の人々の良心の問題といわれた。
スターリンという一人の男の意志だけがいっさいを決定したのではなかった。
支持した多くの人々がいた。



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このグルジア映画は、この時代の精神状況をみごとに描いた傑作である。
その寓話や暗喩は、恐ろしく感じるとともに、
「大粛清」の圧倒的なリアリティをもっている。
映像的にも、詩的で印象に残るすぐれた場面が多い。

主役の独裁者のヒゲは、ヒットラーのヒゲでもある。
そして、ときどき反射して光るメガネの片方のレンズが不気味だ。


しかし、「懺悔」(ざんげ)という言葉ほど、
日本人から遠いものはないかもしれない。
「懺悔」は本来、重い言葉で、キリスト教的な「罪」を前提としている。
日本では、戦後、戦争「責任」を問うことはあっても、
「罪」を問うことはなかった。

グルジアは、スターリンの出身地でもある。

映画の登場人物は語る。
「(掘り返した事は)事実ですが無罪です。・・・・
掘り返した事が罪だとは考えません。・・・・
私の目的は彼に対する復讐ではありません。・・・」

歴史を掘り起こすことは「記憶する」ことである。







スターリンの粛清については、
「大粛清・スターリン神話」(アイザック・ドイッチャー著)を参考にした。




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