大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

かごめかごめ (6・了)

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・・・・・                     (写真は書庫「大道芸」から)



まだ終わっていなかった「かごめかごめ」


さて、神を招き、地上に降ろすには、
降りる場所、広場がなければならない。
そして、その中央に神がよりつく「中心」が必要である。
中心は、人(巫女・巫者など)だったり、立てた柱だったり、
花傘だったり・・・
そのまわりを輪になって、神を呼ぶための歌を歌い、踊る。

神が憑いた巫女自身も舞う。
はじめはゆっくりまわり、そのうちかけ巡り、恍惚の境に入り、
興奮、陶酔し、神と遭遇し、神を招き、やがて一体化する。
そして、神の託宣を行う。

神がかりの際の動作をくりかえすことから、
舞踊は生まれたといわれている。
「おどり」は飛び上がる動作で、「まい」は旋回運動だ。

民俗学者折口信夫は著書「古代研究」で、
盆踊りや子どもの遊びの「なかのなかの小房主」(表記は原文)に、
神降ろしの形式としての、「天の御柱廻り」の遺風をみている。
*天の御柱(みはしら又はおんばしら)とは、
神霊が昇り 降りするために立てる高い柱で、天と地を結ぶ。


神を降ろすには、輪と中心が不可欠で、
さらに中心か輪の側のどちらかが、
まわらなければならない。

「かごめかごめ」は、輪遊びである。

やがて、子どもの遊びでは、
降ろし、呼ぶものは神から地蔵や鬼に変わる。

ところで、「かごめかごめ」バージョンのほかに、
輪による鬼遊び(鬼きめ・鬼ごっこ)や問答・あてもの遊びとして、
全国で普及していたのは、平安時代末期からの地蔵信仰の影響か、
地蔵などが出てくるものであった。
地蔵は、
死者の霊の道案内や亡き者を救う役割(巫女と共通)をもっていた。
また、子どもたちを救う菩薩として愛されてきた。
お地蔵さんに祈ったり、聞いたり・・・
「仏教民俗学」(山折哲雄)によると、
地蔵はもともとは修行僧の形だったが、
その後、小僧・童児の姿になったという。
だから、子どものわらべ唄と遊びの中では、地域によって、
小仏とか小法師、坊さんなどと言い換えられているのも
ふしぎではない。

以下は、すべて歌い出しの例
「まわりのまわりの小仏は」(江戸・東京)
「中の中の小坊さん」(全国)
「中の中の地蔵様(さん)」(福島・長野・山梨)
「中の中の地蔵さま」(埼玉)
「中の中の小法師」(静岡)
「中の中の黒仏」(岐阜)
「はとの浜の弘法大師」(兵庫)
「中の中の小僧さん」(徳島)
「坊さん坊さんどこいくの(ね)」(全国)
「京の京の大仏さんは」(京都)

さてさて問題は、同じ地蔵が出てくるものでも、
別系統の、というか、
むしろ、神降ろし、神の口寄せという伝統的な、
オーソドックスな姿を残している、
「地蔵憑け」といわれている「神がかり」・「神憑き」遊びである。
この遊びは、関東から東北地方にかけて多いという。


ここで、民俗学者柳田国男の「子ども風土記」の文章を、
もう一度みてみる。

福島県海岸地方の地蔵遊び「御乗りやあれ地蔵様」
『これは輪の子どもが口をそろえて「中の中の」の代わりに、
「御乗りやあ地蔵様」という言葉を唱える。
「乗る」とはその児(地蔵様)に乗り移って下さいということで、
そうするうちにまん中の児は、しだいに地蔵様になってくる。
自分ではなくなって、色々なことを言い出す。
そうなると、他の子どもは口々に、
「物教えにござったか地蔵さま 遊びにござったか地蔵さま」と唱え、
みんなで面白く歌ったり、踊ったりするが、
元は紛失物などが見つからないのを、
こうして中の中の地蔵様に尋ねたことあったという。・・・・
仙台付近の農村で、田植休みの日などに若い男女が集まって、
大人ばかりでこの地蔵遊びをしていたそうである。
これとても遊びで、信心からではなかったが、
まん中にややお人よしというような若い者を座らせ、
ほかの者が輪になって何か一つの文句をくりかえしくりかえし唱えていると、
しまいには今いう催眠状態に入って、
自分でなくなって色々の受返事をする。
・・・それが昔の世にひろく行われた神の口寄せというものの方式だったので、
つまりは子どもがその真似をくりかえして、形だけでも、
これを最近まで持ち伝えてくれたのであった。』

しかし、この「神降ろし・神がかり」ごっこという遊びは、
神と信仰を失った時代では、一歩、方向がずれると、
「遊び」を越え、
引っぱり出された子どもを単におもしろがる「いじめ」に発展する。

私は、上の柳田国男の大人ばかりでの地蔵遊びの文章の部分の、
『まん中にややお人よしというような若い者を座らせ』というところに注目する。
やはり、標的は選び出される!

また、同じ柳田国男の「山の人生」(下の文章)で、
昔から、「いじめ」に近い現実があったことに驚かされる。

『昔は七歳の小童が庭に飛び降って
神経驚くべき言を発したという記録が多く、
古い信仰では朝野ともに、これを託宣と認めて疑わなかった。
それのみならず特にそのような傾向のある小児を捜し出して、
いたって重要なる任務を託していた。
因童というものがすなわちこれである。
一通りの方法で所要の状態に陥らない場合には、
一人を取り囲んで多勢で唱え言をしたり、
または単調な楽器の音で四方からこれを責めたりした。
警察などがやかましくなって後は、
つとめて内々にその方法を講じたようだが、
以前はずいぶん頻繁かつ公然と行われたとみえて、
いまもまま事と同様にこれを模倣した小児の遊戯が残っている。
「中の中の小坊主」とか「かアごめかごめ」と称する遊びは、
まさしくその名残である。』「山の人生」(大正15年)

柳田国男でさえ、ほとんど意識していない「地蔵憑け」、
「因童」(よりわらわ)遊びという名の
「いけにえ」(からかいのターゲット)選び、集中攻撃、「いじめ」、「差別」・・・・。
しかも、わらべ唄というという囃しをともなって・・・・
大正時代まで、これが、「頻繁かつ公然と行われた」とは! 
柳田国男は、ノンキに神の児童への託宣、「因童」の風習の名残りというが、
これこそ、「都市伝説」ではない本当にあった「こわーい話」。


しかし、現代でも、この「かごめかごめ」スタイルは生き残っている。

「かごめかごめ」の発祥地といわれる野田市がある千葉県の知事(当時・堂本暁子)は、
平成18年10月の定例記者会見で、
千葉県内での学校のいじめ問題について、
次のように発言している。
「・・・いじめというのはあくまでも一つの暴力だと思います。
言葉による暴力、手を上げ、物を取るとか、
いじめのあり方はよくこんないじめがと思うほど、
椅子の上に鋲を置いておいて座ったらば鋲が刺さってしまったとか、
かごめかごめをやっているようなふりをしていて、
先生が来たらかごめかごめだけども、
先生の目がなくなると真ん中にいる子供を蹴っ飛ばすとか、
私たちの想像を絶するようないじめがいろんな形であります。・・・」          

ここには現在の子どもたちがおかれた状況をふまえ、
柳田国男より一歩すすんだ認識がある。

なるほど、「かごめかごめ」の輪は、
「いじめ」のカムフラージュにもなりうる!


一方、現代の大道芸パフォーマーをとりまく人の輪は、
あたたかく「神の意思」を聞こうとしているかのようである。
安心! 安心!



長かった「かごめかごめ」の旅、これで、おしまい。



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