大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

中井久夫語録(戦争)7

中井久夫(1934年生)

戦争と平和 ある観察」(2005)

*『樹をみつめて』みすず書房(2006)
または『戦争と平和 ある観察』人文書院(2015)から




「 しばしば「やられる前にやれ」という単純な論理が訴える力を持ち、先制攻撃を促す。虫刺されの箇所が大きく感じられて全身の注意を集めるように、局所的な不本意状態が国家のありうべからざる重大事態であるかのように思えてくる。指導層もジャーナリズムも、その感覚を煽る。
 日中戦争の遠因は、中国人の「日貨排斥運動」を条約違反として執拗に責めたことに始まる。当時の日本軍官民の態度は過剰反応としか言いようがない。実際、同時に英貨排斥運動も起こっているが、英国が穏やかにしているうちに、日本だけが標的になった。
 戦争への心理的準備は、国家が個人の生死を越えた存在であるという言説がどこからともなく生まれるあたりから始まる。そして戦争の不可避性と自国の被害者性を強調するところへと徐々に高まっていく。実際は、後になってみれば不可避的どころが選択肢がいくつも見え、被害者性はせいぜいがお互い様なのである。しかし、そういう冷静な見方の多くは後知恵である。
 選択肢が他になく、一本道を不可避的に歩むしかないと信じるようになるのは民衆だけではない。指導層内部でも不可避論が主流を占めるようになってくる。一種の自家中毒、自己催眠である。1941年に開戦を聴いた識者のことばがいちように「きたるべきものがきた」であったことを思い出す。その遙か以前からすでに戦争の不可避性という宿命感覚は実に広く深く浸透していたのであった。換言すれば、一般に進むより引くほうが百倍も難しいという単純きわまることで開戦が決まるのかもしれない。日本は中国からの撤兵を迫られて開戦に踏み切った。・・・・」



「 戦争の前には独特の重苦しい雰囲気がある。これを私は<(軍神)マルス感覚>と呼んだことがある。いっそ始まってほしいというほどの、目には見えないが今にもはちきれそうな緊張感がある。・・・・・・
 そのせいか、戦争開始直後には反動的に躁的祝祭的雰囲気がわきおこる。太平洋戦争の開戦を聞いて「ついにやった!」「ざまあみろということであります」と有名人が叫んでいた。太平洋戦争初期の戦争歌謡は実に軽やかな旋律であって無重力的ともいうべく、日中戦争時の重苦しくまさに「自虐的」な軍歌と対照的であった。第一次大戦でも開戦直後には交戦国民のすべてが高揚し、リルケのような抒情詩人さえ陶酔的な一時期があった。」






(つづく)

・・・・・