大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

スマホが大好きなママへ

スマホが大好きなママへ




赤ちゃんのボク(ワタシ)から
(kemukemuが想像して代弁)




・ママのこと好きだけど、ボクといるときに「スマホに夢中になっているママ」は、きらい。「悪いママだ」!
食べ物をくれるときだけは、「いいママ」だと思う。

・ボクが、いっしょうけんめいに「マー、マー」と声を出してママに話しかけたり、呼びかけても、泣いていても応えてくれない、ずっとスマホに夢中(ママはスマホながら族なんだ)。ボクは、ママからほったらかされ、無視されている感じがする。ボクに関心をもっていない、ボクは「見にくい赤ちゃん」なのかな。ボクなんて、ボクの存在なんてどうでもいいのかな。ママは、いったい、スマホとボクとどっちが大切なの。

・ボクがママにふりむいてもらい、ママにしてもらいたいことがあって、大きな声をあげても、ママは「うるさい」「泣かないで」と大声で言い、イライラする一方で、相手にしてくれない。ボクをなぐさめてもらえない。ボクの気持ちがわかってもらえない。ボクはママから大切にされていない。
だから突然、ママから声をかけられても、ボクは顔をそむけたくなる。

・ボクが、お乳をもらったり、だっこされたり、バギーで向かい合っているときだって、ボクはじーっとママの顔や目を見ているのに、ママはボクのほうを見ないでスマホに熱中している。ママは気がついていないらしい。ボクに視線を合わせてもらえない。ボクはとても悲しくなる。ボクって、悪い子なの。ボクはママから「愛されていない」、「必要とされていない」、「見捨てられている」。ボクをいやいや産んだのかな。ボクは、生まれてすぐにママの声や顔を覚えているのに。

・ママがスマホをやめて、ちらっとボクの方を見るときがある。でも、それはやっぱりちらっと見るだけで、目線と指先はスマホに集中しながら、「ああ忙しいのに」とか「いまいいところだから、あとでね」という感じで、気持ちがこもっていない。ボクに話しかけてもくれない。そしてまたスマホに集中的に向かう。

・ママは、あるときには気まぐれにやさしいときもあったりする。ママが機嫌がいいときには、ボクをあやしてくれたり、遊んでくれる。でもママがスマホ中、ボクがいても、ボクを無視していることが多い。どっちが本当のママなんだろうと、ボクはわけがわからなくなる。気まぐれママの気持ちがわからない。
ボクにとって、この不安定というのがきらい。そんなとき、ボクはバラバラになっている。
「無条件にママに愛されている」という感じが、ボクには実感できない。だから、いろいろなことに、なにか自信が持てない。

・ボクには、安心できるママ(帰るところ、安全地帯・基地、居場所、土台)が(い)ない。ママから「よしよし」とか「それでいいよ」「うまくできたね」とかの声をかけてもらったり、見守られていない。だからボクは自分の体も感情もよくわからないし、感情をどうコントロールしていいかわからない。ときどきキレそうになるし、ときには、わめきたい。いつも不安だし、イライラしてくる。

・ボクは、本当はママに甘えたいのに。甘えたくても、甘えられない。

・他の人も、きっとママと同じなのかな。もう、大人が信じられなくなる。

・ボクががまんできず、泣き叫んだり、かんしゃくを起こして抵抗しても、「なんてカンの強い子なんだろう」という感じで冷たくあしらわれたり、大きな声で怒られたりする。ボクが泣いているとママが、スマホでネットの動画などを見せてくれる。そのとき、ボクはとりあえず画面を見て静かになるけど、少したってから、「そんなことじゃない、ボクはママに向き合ってもらいたいだけなんだ」という怒りやママを許せない気持ちがわいてくる。

スマホで忙しいママから、一度も「ボク、あれみて、みて。きれいだね」なんて、遠くの方を指をさして声をかけられたこともない。外の世界に、興味も関心もたなくなる。

・ママがいつもボクを無視するので、ボクもママを見たりママに声をかけたりするのを、もうあきらめようと思う。もう期待しない。期待しても苦痛か失望だ。絶望。これからは、誰にも目を合わせない、じっと待ってがまんの子になる。たぶん、泣き叫んでも、誰も助けにきてくれないし・・・ムダの感じがする。。もうママに言葉をかけたくない。何もしたくない。ひきこもりたくなる。それが自分をまもるのに一番安全だから。でも、やっぱりどこかに、このイライラや怒りをぶつけたい。これから先、ボクはどうしたらいいんだろう。

・ボクには、もう、おっぱいも、離乳食もおいしく感じない。

・ママ、 もっとボクをのほうを見て。

・パパはどこにいるの?







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