大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

パリ,テキサス

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11月11日・吉祥寺「バウスシアター」にて
「パリ,テキサス」(監督 ヴィム・ヴェンダース



ネットで検索し、20年ぶりにもう一度観る。
私の足元の状況も大きく変わった。
あちこちさがし、やっと、当時のパンフレットがみつかった。


名作には、必ず印象に残るシーンがあるものだ。
この「パリ,テキサス」も例外ではない。

主人公トラヴィスが、原風景のような荒野のなかから突然とあらわれる。
地平線の一点をみつめて、線路の先に向かって歩く。
息子ハンターと父親トラヴィスがいっしょに並んで歩く。
父親が息子といっしょにジェーンを探しに出発するシーン。

そして、話すことが互いの匿名性の中で保障される場、
ふれられるのを拒否しながら関係をたもつことができる
ピープショー(のぞき店)でのトラヴィスと妻ジェーン。
客側からしか見えないマジックミラー越しに二人はモノローグする。
ラヴィスは、必死に背負ってきた過去を、いまの思いを語ろうとする。
ジェーンには、他に行く所がなかった。
夫のトラヴィスと同じように過去を背負って生きていた。
男たちを通して、トラヴィスを感じ、見つづけていた。
「どの男の声も、あなただった」と。
ジェーン役のナスターシャ・キンスキーの名演技に、思わず涙した。
室内の灯りを消してはじめて、トラヴィスとジェーンがお互いの顔を見合う
が、互いに相手の顔を見ると言葉が出ない。
みつめあうことは、むずかしい。
やはりモノローグのように、向き合わずに語ることしかできない。
(この店でのシーン、音楽を入れていないので、かえって「語り」がいきていた)

「話す相手を前にしているよりも、もっと深いコミュニケーションができていると
思うときがあった。とても親密な声がほんとうに体の中にあるという実感だ。
相手が見えないことになれてくると、想像力が視覚よりも強いことがわかる。
聞こえてくるものをはるかに強く感じ、とらえることができる」と
ジェーン役のナスターシャ・キンスキーは、インタビューの中で答えている。
(パンフレットから)

息子ハンターへの別れの言葉を、カセットテープに吹き込むシーン。
ホテルの室内で母親ジェーンが息子ハンターと再会する。
母子の再会をみとどけ、トラヴィスがヒューストンの街を去っていく
ラストの夜景の映像。
いずれのシーンも、映像が美しい。心象風景のようでもある。


一方、橋の上から「世界の終わり」を叫び、警告する男、
ラヴィスとハンターが母親を探す途中に立ち寄るドライブイン
ひっそり立つ巨大な恐竜、
ジェーンが訪れるヒューストン銀行のふしぎな建物、
のぞき部屋のある建物の壁画、
まったく音がしない、荒涼とした都市の風景・・・
アントニオーニやフェリーニの世界を思い出した。

また、色彩も効果的だ。登場人物の洋服の色。
母親ジエーンを探すときの息子と父親のそろいの赤い服
最初にトラヴィスピープショーの店で再会したときの互いの赤い服
2回目にトラヴィスピープショーの店で会った時の互いの黒い服
母親と息子が再会したときの互いの黒い服
赤から黒へのつながりながらの変化、こわれているようで深くつながっている。
こわれたものをつなぎ、再生の物語を象徴している。

男と女の間で、一度こわれたものは、作り直すことはできない。
トラヴイスは、母親と息子を引き離したのは自分であるとして、
子どもを母親に、母親を子どもにかえし、それぞれの過去の束縛から解放する。
同時に、ジェーンと息子ハンターをあきらめ、自分をも解放する。
そして、自分ひとりで壊れたものの正体をみつめ、
また、一人でヒューストンの街を去っていく。
安息の場所としての、
自分が生を受けた場所「パリ,テキサス」(テキサスのパリ)へ。
原点としての「故郷」へ。

男と女の間にかつてあったが、一度こわれたものは、
どんなに愛していても、どんなに思いがあっても、
築きなおすことはむずかしい。
たとえ夫婦であっても。
一緒にいると、また互いを傷つけ合ってしまうかもしれないから。
しかし、親と子の結びつきは強く、
それがひとつの再生の糸口ともなるのである。

人は、さすらうだけではない。
再生の希望と方向をもち、どこかにたどりつきたいと思っている。
「何ごとが起ころうと、神のみぞ知る、ありとあらゆる紆余曲折にかかわらず、
常に前に進む。生活もまた方向をもちうる」(ヴィム・ヴェンダース
道はどこかにたどり着くための手段であって、
これは、ヴィム・ヴェンダースのいままでのような「旅の物語」ではない。

この映画には、男と女の、母と息子、父と息子、育ての親と子の関係が
哀しくも美しい映像で、みごとに描かれている。
絶望からの愛の再生の物語といっていい。
ひとつの喪失の確認は、別の再生でもある。

ライクーダーのギターがすばらしい。