大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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父親たちの星条旗

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映画「父親たちの星条旗」を観る



監督のクリント・イーストウッドはいう。(プログラムから)
「私が観て育った戦争映画のほとんどは、悪玉と善玉がはっきり分かれていた。
だが、人生はそんなものではないし、戦争もそんなものではない。
この2本の映画は勝ち負けを描いたものではない。
あの戦争が人間に与えた影響と、本当なら
もっと生きられたはずの命を若くして落とした人々を描いている」
監督が描くのは、英雄ではなく、無名の兵士たちだ。
テーマは、はっきりしている。

そして、この映画の主人公のジョン・ブラッドリーは、
「戦争を語るものは、戦場を知らない。
戦場のことが語られることは少ない。
アメリカ軍は兵士を見捨てないというのは、ウソだ。
英雄はいない。英雄はつくられるのだ。」と晩年、語る。

戦争の遂行のために、「英雄」はつくられる。
戦争で死んだ人も、生き残った人も英雄になる。
戦争遂行のためのアメリカ国民の精神と戦意昂揚、
戦時体制や戦時経済の正当化のために、
アメリカ全土での戦時国債キャンペーンのために、
一儲けしようという企業のために・・・。
写真も、場合によっては、
記念の国旗などのシンボルを大きくし、もう一度撮り直される。
アメリカだけではない。
日本でも、戦前、爆弾三勇士、九軍神などの英雄と多くの美談がつくられたという。
戦争遂行の推進者にとっては、戦争を完遂するためには、美化と正当化が必要となるのだ。

戦場のことが、語られることが少ないのは、
戦友を見殺しにした、見捨てたというと良心の呵責や
生き残ってしまったという負い目、うしろめたさが
あるからなのかもしれない。
多くの戦友の死、
自分だけが生き残ってしまった、なぜ、・・・
見てしまったこと、思い出したくない、ふれてほしくない・・
したがって、簡単には語れない、あるいは語らないのだろう。
戦友のために。自分のために。

衛生兵だったジョン・ブラッドリーは、
「衛生兵!(コーマン)」という声に死ぬまでうなされた。
そして、行方不明になった誰からも愛された若いイギという兵士のことに。
これは、おそらくアメリカ兵だけの問題ではない。
戦争は、戦場を体験したすべて人間にトラウマと心の傷を与える。
心の奥の深いところに入った記憶というのは、しぶとく残る。
戦場を知らない他人がずかずかと入れる領域ではない。

戦争が、あるいは戦場が人間にもたらすものは何か・・・
この映画は、硫黄島での無名の兵士の一人一人の思いを中心にすえる。
戦場での実態と国旗掲揚にまつわる国家的英雄づくりを通して、
戦争と戦場は、かかわった個人にとっては、
トラウマの体系であるということを描くことによって、
戦争そのものを批判的に問う秀作となっている。
ベトナム戦争イラク戦争を経てきたアメリカの良心ともいえる作品だ。

曇り空のようなモノクロ調の戦場・戦闘場面(非日常)と
カラーのアメリカ本土での戦中・戦後(日常)が対比され、
フラッシュバックのように表現されているのは、効果的だ。
そして、それぞれがのどこを切りとっても、印象深い鮮烈な映像である。
エンドロールの左には、当時の実際の戦場写真が次々と映し出された。
この意表をつく展開によって、
硫黄島の戦いはドラマではなく、まぎれもなく事実であったことを知らされる。


一昨年、私は
硫黄島戦没者関係団体の役員に、
仕事がらみで、話を聞く機会があった。
1時間ぐらいのつもりが、実に5時間に及んだ。
私は、その人が語り、つぶやくのを静かに耳を傾けるだけだった。
その人は、昭和19年6月、硫黄島に到着し大阪山砲台で守備、その1ケ月後、
すぐ近くの北硫黄島に派遣され、島の守備や遭難乗組員の救助などの任務にあたった。
この島でも、アメリカ軍との戦闘で戦死者が出たという。
昭和20年9月父島に帰還し、12月に日本本土に。
そして、戦場でのさまざまな驚くべき事実も聞いた。・・・
ただ、戦後一貫してその人の脳裏にあるのは、硫黄島時代の戦友のことであった。
もし、硫黄島本島に残っていれば、自分は戦いで果てていた。・・・
その人は、亡き戦友のために、戦後の昭和28年から、
毎年、硫黄島での遺骨収集作業や遺族への遺品返還活動をおこなっている。
「戦死した戦友の、島から故郷に帰りたいという願う魂の叫びが聞こえる。・・・」と。
さいごには、静かに
「戦争では最初に失われるものは「真実」だ。
本当のことや真相はなかなか伝わらない。」と語っていた。

戦後、硫黄島で、何回か日米合同慰霊祭が行われている。
敵対していた国同士が合同で慰霊式典を実施するのは、
世界でも、この硫黄島だけという。


硫黄島戦における日米両軍>
昭和20年2月19日~3月26日
日  本:戦死 20,129人 戦傷 1,023人(軍属含む)計21,152人
アメリカ:戦死  6,821人 戦傷 21,865人       計28,686人 (投入61,000人)
硫黄島」(武市銀治郎著)より