大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

タルコフスキー語録(1)

イメージ 1

タルコフスキー日記機廖淵ネマ旬報社)から



人間の生の長さがごく短いといことを考えてみれば、
無限の理念が考え出されたというのはすばらしいことだ。
この理念そのものが無限的である。・・・
人間はこの地球上で自分が無限と対峙していることを理解したのだ。・・・
人間には絶対に到達したいという強い願望がある。


人間は人間をコントロールできないのである。
できるのは、破壊することだけだ。
そしてきちがいじみた恥知らずの物質主義が、この破壊の総仕上げをする。
個々人の心のなかに神が存在し、
永遠なるもの、善きものを受容する能力があるにもかかわらず、
相対としての人間は、破壊することしかできない。人々を結びつけたものが、
理想ではなく、物質的理念だったからだ。
人間は自分の肉体をすばやく守ってきた。
だが、魂をいかに守るかについては考えなかった。
教会(宗教ではない)もその役を果たせなかった。
文明化の歴史の途上で、人間の精神的な部分は、
動物的な、物質的なものから、ますます遠ざかっていった。
そしていまや、われわれは、
無限の空間の暗闇のなかに遠ざかっていく汽車の灯をかろうじて見ることができるだけだ。
われわれの存在の第二の部分が、呼び戻しようもなく、永遠に遠ざかっていくのだ。


誰であれ、救われるためには、個々人として救われなければならない。・・
自分を救うことができてはじめて、他のすべての人を救うことができる。
むろん精神的な意味において。


人間は完全に堕落させられた。より正確に言えば、
みんながお互いを少しずつ堕落させてきたのだ。
そして、魂について考える人はー今日に至るまで何世紀にもわたって、
-肉体的に抹殺されてきたし、いまも抹殺されつづけている。


戦後どういうわけか文化は崩壊し、消滅してしまった。
世界的規模で、精神的規範も一緒に消えた。
わが国では、それは何よりもまず文化の徹底した野蛮な破壊の結果、
起こったということは明らかである。


善と悪の戦いは、人間が地上的生を営んでいるかぎり、存在しつづけるだろう。
人間に必要なのは海の向こう岸にたどりつくことだ。
海の水、これは悪であり、船とオールは善である。
力のあらん限り漕ぎ続ければ向こう岸にたどりつくことができるだろう。
オールを手放したら破壊してしまう。


静寂、陽の光、花、風、涼気、静けさ!
私は横になり、目の前のこのすばらしい景色を眺めている。
私の心には、幸福を手に入れたという幸福の感覚が満ちている。


この世界的な破壊に対置できるのは愛だけだ。
・・・それと美。世界を救えるのは愛だけだと信じている。
もし、愛がなければ、すべては滅びる。すでに滅びかけている。