大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

魂のゆくえ

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*写真は書庫「その他(写真)」から

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人は死んだら、魂はどこへいくのだろう。
魂のゆくえ


古代の人は、森や山の中に、山の上の空のかなたに、
または海のかなたにいくと考えた。
山は葬所で、死者の霊魂がたまる場所だった。
火葬になってからは、空に漂う雲の彼方とも考えられた。
海に近いところでは、魂は海のかなたにいると信じられた。
そして、先祖、祖霊になる。

死は、魂が霊として肉体を離れることだった。
古代の人は、死者とともに生きていた。
生きている者の影のように、死者が寄り添っていた。
生きている者と死者に断絶がなかった。
あの世もこの世も、ひと続きの世界だった。
病気や老衰は、魂が体から離れ去ろうとすることだった。

生命力が衰えないよう「見る」ことが重要だった。
自然の生命力にふれ、それを身につけ、人の生命力を強化する。
花見 国見、山見である。
そして霊力をもつ白鳥や鴨などの水鳥を見て、繁栄を予祝した。
玉の緒(キラキラ光ったビーズのような玉が細いながらもつながった紐)も
つけた。玉は魂であり生命だった。そこに紐をとおす。
糸には命をつなぎとめる呪力があった。
糸をむすぶことによって、それを結びとどめようとする魂の呪術である。

雲、霧、風、虹、煙、陽炎、鳥、蛾、蝶などに生命力、霊力としての魂を感じた。
蝶のようにヒラヒラしているものに、魂を感じたのである。
共通しているのは、ぼおっと浮かぶ感じ、ゆらゆら上に立ち上っていくイメージ、
ヒラヒラ、チロチロ、そして直線的ではなく、静かな風や波のような動きだ。
「漂う」という言葉が、ピッタリあうだろうか。

魂を呼ぶこともできた。
幡、領巾(ひれ) 木綿(ゆふ)、たすき、扇や衣を
ゆらゆら動かすと、魂と交信でき、魂を呼ぶことができた。
やがて、そこに魂がたちどまるようになる。
採り物として、葛(かづら)(蔓草)や青葉の枝などを手にもつ。
それらを頭につけ、かざることもある。
楽器を鳴らして、魂を呼んだ。
瓢箪(ひさご)、太鼓、鉦をたたき、鈴や弓を鳴らすことによって、
魂を呼び、導くことができると信じられた。
鳥の音のような石笛は亡霊を呼ぶとされた。

この鳥と魂との結びつきは深い。
魂が鳥になって山に行く、海のむこうに飛んでいく。
特に鳥は、人の霊魂が一時的に変化した姿だと考えられた。
霊魂は、鳥のように天上に飛び去る。そしてまた、渡り鳥のように帰ってくると。
鳥が死者の魂を運ぶ、鳥が魂をのせていくといってもいい。
だから、巫女の衣装には、鳥の翼や飛翔のイメージがある。

一方、死者の霊が悪霊や怨霊となって、悪いものをもってくるのを恐れた。
特に非業の死をとげた霊である。
満たされない生を終えて今なお成仏できない霊や浮かばれない霊、
迷える霊である。
疫病の流行も、地震や洪水などの天災も、悪霊や死霊の祟りのせいとされた。
だから、死霊を鎮め、送り出さなければならない。
悪霊のこの世に対する怨みを解き、「あの世」にいかせる呪術が必要だった。

口寄せによって、亡霊を呼んで、本人に代わりうらみ、つらみを語り、
語ることによって亡き霊を鎮め、しのぶ。亡き霊は救われる。
そして、死霊の祟りを恐れ、怨霊をまつり、慰霊するようになった。

先祖の霊魂もマレビトとなって、やって来る。
死は「向こうの世界」の世界への旅であった。
先祖もマレビトも遠いところから旅姿で、やってくる・

死霊とおなじように、自然の中にも悪霊がいる。
霊魂を呼んで、鎮めて送るようになる(神送り)。
これが鎮魂である。
良い精霊には鼓舞激励し、悪霊を鎮め調伏して、
その土地に住む人間の生命も更新されると信じた。
神楽や踊念仏が行われた。
田植えのときの豊穣祈願を願う楽舞、田楽も、
農耕をさまたげる悪霊を鎮める鎮魂呪術だった。

まず化粧をし、別の世界に入る。
そして、霊魂を呼ぶ。
木や柱などを目じるしにして、その周りを回る。
叫ぶことも、呪文をとなえることもある。
言葉にも、霊魂がこもっていた。言霊(ことだま)。
あるときは、野にふして地霊にふれることもある。
大地にふすことによって、亡き霊にも、また新しい生命の種にもふれる。
悪霊をはらうため、鈴やガラガラを鳴らす。環もつけた。
揺り起こし、揺り動かしたり、たたいたり、棒で突いたり、
掛け声や鳴り物で囃したりして、
そして、踏むことによって地の悪霊を押さえ、良い精霊をふるい立たせる。
踊る、跳び上がる、乱舞、舞う、回る、これらも霊魂を呼ぶ呪術だ。
やがて、霊(神)が下りてくる。
そして、踊りで鎮めながら、霊魂の世界である他界へ送り出す。

また、歌い、詠むことによって、魂とふれあう。
念仏を唱えて、悪霊をはらう。
笛、太鼓、鉦の囃しや活発な踊りなど、
生の躍動が悲しみからの解放となり、死者への魂をしずめることへと結びつく。
そして、仮面をかぶることにより、自ら呼んだ霊魂になる。
いつのまにか、霊の世界に入り、亡き霊や先祖になっている。
道を練って、霊を流し、境界へ送る.
途中、家や、土地などをほめる。
ほめると、ほめられたものは言霊によって繁栄するからだ。
さいごに、亡くなった人の霊魂との名残を惜しむ。
いまもつづく盆踊りは、本来、死者を弔い、魂を鎮め、
また死者と生きている者の語りの場であった。



昔は、いつも亡くなった人の霊や魂がそばにいた。
いまは、霊や魂を実感できない時代だ。
しかし、本当は、見ようとすれば見ることができるのかもしれない、
感じる心があれば、感じることができるのかもしれない。





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