大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

パンズ・ラビリンス (1)

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パンズ・ラビリンス」(監督:ギレルモ・デル・トロ





この物語は、スペイン内戦が終わったところから、はじまる。
スペイン内戦は、1936年7月に勃発し、
1939年3月末フランコの叛乱軍のスペイン全国の制圧によって終わった。
1944年。フランコの圧制に対して山奥にたてこもり、ゲリラとして抵抗していた。
しかし、内戦の残した傷跡は、ずっと続いていたのである・

仕立て屋だった少女の父は、スペイン内戦下に死んだ。
そのには、内戦にまきこまれた数多くの一般の市民の死があたことが、
暗示されている。

少女の母親は、再婚する。
フランコ独裁体制の樹立という時代にふりまわされ、
孤独の中で生きていくためには権力をもった側の大尉に
従わざるをえなかったのかもしれない。
母親のどこかさびしげな表情がそれを語る。

義父となるフランコ軍の軍人ビダル大尉は、
自分の戦う土地で子供を産ませるために、母をよびよせた。
おそらく、その後、自分の勇姿をみせるために。
ゲリラに対して冷酷、残忍で、時間にも全ての面にも几帳面な男だった大尉でも、
父の形見の懐中時計を肌身離さず持ち歩く。
また、彼はつねに死を予感している。
父の死の時間と自分が死ぬ時間を気にし、
自分の命が危険にさらされる時、その懐中時計にそっと手を触れるのだ。
父親とつながっていることを確かめるかのように。
自分の最後を息子に伝えたいという父親らしい気持ちも持ち合わせていた。
一方で自分の父親に対する憎しみもふっとかいまみせる。
彼も、時代に翻弄され、戦争の傷をおっている一人なのかもしれない。


少女は、母のことではなく自分の跡継ぎしか考えていない義父になじめなかった。
しかし、半分血がつながっている弟に
「生まれてくる時は母を苦しめないでね」とお願いする。


少女は、童話が好きで、魔法やおとぎの国を知っている。
大人には見えないものが、少女には見えるのだ。

少女は森へ向かう山道で、休憩の時、不思議な石の破片を見つけた。
すぐ近くにあった石像の目の部分で、
それを石像にはめ込むと中から大きな昆虫(妖精が出てきた。
目にはふしぎな力がある。
目は生き返るための重要な鍵にもなるし、
魔よけにもなる。
昆虫の妖精の案内によって少女は魔法の世界へ。

人間も妖精も動物も混こうする世界 夢の世界。
人間の想像力は大地に属する石・岩の表面にイメージをみる。
そのとき人間からの話しかけがはじまり、石は生きてくる。

植物と人間が同じ生命でむすばれているという信仰は古代からあった。
だから、植物に神があらわれると信じられた。
木の股から生まれる人間のイメージもあった。
木の股を女性のまたとみなしていた地域もあった。
古代のアステカの絵によると、の最初の人間裂けた樹の幹から生まれている。
樹木の生命と人間の結びつきは深く、樹は誕生の場とされた。

マンドラゴラスが火にくべられ、焼かれるとき、
少女には赤い血が流れているマンドラゴラスの悲しい叫び声が聞こえる。
そのとき、赤ん坊は生まれたが、母が死んだ。

マンドラゴラスという植物の根には、
呪術的ないしは医薬的効能があると信じられていた。
魔女、人妻、娘が探し求める植物だった。
「マンドラゴラスの根は人間ないしは自然の生命力に直接的影響力をもちうる。
すなわち、それは娘を結婚させる力をもち、
恋愛には幸運を、婚姻には多産をもたらす力をもつ。」
ルーマニアにおけるマンドラゴラス信仰」(エリアーデ
満月の日に採取し、蜂蜜と砂糖、塩、パン、ブドウ酒などを加え、
マンドラゴラスに話しかけ、呪文をとなえ祈願する。
足、手、腰の痛み熱病などの治療に用いられたという。
映画では、ミルクがかけられていた。


チョークで扉を描くと、扉が開く 向こうの世界へ抜けられる。
鏡の向こう側の異次元の魔法の世界ヘ
鍵や鏡、扉は現実世界と非現実・幻想の世界とを結ぶ秘密の通路である。


迷宮:ラビリンス
迷宮は渦巻、螺旋と関係が深い。
というより、渦巻・螺旋そのものなのかもしれない。
渦巻は、復活・再生をあらわす呪術と古代からいわれていた。

迷宮にいるパンという牧神(牧羊神)の山羊の角には、
螺旋、ゆるんでいくぜんまいがあらわされ、映画でも目の上にはそれぞれ渦巻があった。

迷宮は、あるときには洞窟になる。
バシュラールは「大地と休息の夢想」でいう。
「実際、洞窟というものは、そのなかでひとが夢みることができる隠れ家なのである。
それは保護された休息、平和な休息の夢に意味をあたえる。」と。

少女にとっても、隠れ家であり、休息の夢をみる場であった。

森の中の遺跡・廃墟。
門をぬけて洞窟の奥へいく。
胎内めぐりであり、迷宮の中心へいく。 
数々の試練がまちうけている。中心にいくには遍歴が必要なのだ。
森や大木の中の洞窟へいくことは胎内回帰である。

洞窟は大地につながる。
人間が大地から生まれたという信仰・伝説・迷信は世界中にあった
子供は地の底,洞穴、洞窟、岩、峡谷、
さらにまた泉、小川から来ると信じられたという。
人は死んで母なる大地に帰り、故郷の土地に葬られることを願うものである。

迷宮は、出入口が閉ざされれば単なる墓場だが、出入口は開いているのだから再生の場で、
迷宮の中心で生が死に、死が生に逆転するところであるという。
死は再生のためにあった。
死への旅が進化への旅であり、より高い次元に再生していくのである。
迷宮の渦巻は永遠の死と再生のシンボルであり、
渦巻としての迷宮(冥界)を通りぬけて再生する。
洞窟は、古代から神託を仰いだり予言を求めたりする場所とされていた。
古代では、洞窟はけっして魔法の国やファンタジーではなく、現実だったのだ。


大尉が迷宮にやってくるというのは、
現実がファンタジーの世界にまで侵入してきたことを意味する。
少女は、迷宮の牧神パンにいけにえ・犠牲として、
自分と血がつながる弟を渡さなかった。
魔法の国の女王になることを選ばず、現実に生きることを選んだ。
少女にとって、さいごの試練であり、それは少女の成長だった。
しかし、息子を返した義父という現実に撃たれてしまう。
少女は、自らを犠牲にし、父と母のいる天国へ旅立った。

しかし、一人の少女だけではない。
ここには、スペイン内戦の中で犠牲になった多くの人の血がすけてみえる。

スペイン語公用語としていたメキシコには、
1939年、スペインから亡命した反フランコ派による共和国政府がおかれていた。
国家としてスペイン共和国側を支援した数少ない国の一つであるメキシコは、
約25万人の亡命者を受け入れた。
スペインからの亡命者がメキシコの文化や学術界に果たした役割は大きいといわれている。
きっと、この映画もその流れをくむものだろう。
その意味では、この映画は、スペイン内戦で亡くなった人たちへの鎮魂歌である。


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