大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

「朝はどこから」

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「朝はどこから」            *画像は書庫「その他(写真)」から




あるとき、この歌が話題になった。
歌える人と歌えない人がいる。
まったくこの歌を聴いたことのない人、
聴いたことはあるが、
ある市のゴミ収集車のテーマソングとしてメロディだけ知っている人、
さまざまだった。
49歳の人は知らなかった。
56歳の人は知っていたし、歌える。
この差は、何なのか。


そこで、kemukemu探偵団は調べた。

終戦翌年の昭和21年5月、
荒廃した日本人の心に夢と希望を与えようと歌番組「ラジオ歌謡」が
NHKラジオ第1放送からスタートした。
「ラジオ歌謡」とはこの番組で流された歌をいい、
昭和37年まで16年間続いたという。
「朝はどこから」は、この5月に発表された。
いってみれば、輝かしいラジオ歌謡第1期生だった。

「朝はどこから」作詞: 森まさる 作曲:橋本國彦

詞は昭和21年3月、朝日新聞社の懸賞募集による当選歌で、
曲は同年5月12日からNHKラジオ歌謡として作曲、放送された。
作曲の橋本國彦さんは、
戦前、「大日本の歌」や「勝ちぬく僕等少國民」などの
「国民合唱歌」を発表していた。
戦後は戦時下の行動の責任を取って母校(東京音楽学校 現・東京芸術大学)を辞め、
この「朝はどこから」などの歌謡曲や、
戦火に倒れた人々を追悼するために
独唱と管弦楽のための「三つの和讃」を発表したという。
昭和24年(1949)、胃がんのため44歳で他界。



昭和29年「高原列車は行く」で爆破的なヒットをした岡本敦郎さんは、
実は、この「朝はどこから」でデビューした。


さて、49歳の人は、この歌をなぜ知らなかったのか。
49歳と56歳の間に何があったのか。
なにか、受け継がれていない断絶があったはずである。


ある時期(不明)に、
このラジオ歌謡が小学校の音楽の教科書にのった。
そして、いつか消えた。
それはいつのことだったのだろうか。

ネットで調べると、おっと、
ある人がブログでラジオ歌謡と音楽の教科書の写真をとりあげていた。
kemukemuは見た!
「小学校5年 音楽」(学校図書)昭和39年改定とかすかに読めた。
もちろん、「朝はどこから」は掲載されていた。
この教科書は、翌年の昭和40年に発行されている。
ということは、昭和40年度に、小学校5年生だった人は、
教科書で習っているはずである。

問題は、いつ教科書から消えたかである。
49歳の人は歌を知らなかった。
49歳の人が小学校5年生だったのは、
逆算すると、昭和43年度あたりだろうか。
なぜかわからないが、
このとき、音楽の教科書から消えていた!
教科書を所蔵している京都府立図書館の蔵書データベースをみると、
小学校の音楽の各社の教科書は、いっせいに昭和41年改定し、
昭和42年に発行されている。
おそらく、このときに「朝はどこから」が消えてしまったと推定できる。

だから、昭和42年以降に小学校5年生になった人は、
まったく、音楽の時間に習っていない。
つまり、歌を知らないのが自然である。
逆に、現在51歳以上(昭和31年生まれ以前)の人は、
リアルタイムできっと知っているし、歌えるはずだ!?
実は、私も歌えるし(1番だけ)、私にとってもなつかしい歌である。


歌やメロディは、親から子へ、
そして、年長者から若い人へと伝わっていく。
また、ゴミ収集車のメロディとしても。
文化庁は世代を超えて歌い継ぎたい歌として募集をし、
101曲が選考され、「日本の歌百選」として、今年1月に発表した。
そこに「朝はどこから」も入っていた。



「朝はどこから」作詞: 森まさる 作曲:橋本國彦

1 朝はどこから 来るかしら あの空越えて 雲越えて
  光の国から 来るかしら いえいえ そうではありませぬ
  それは 希望の家庭から 朝が来る来る 朝が来る
  おはよう おはよう

2 昼はどこから 来るかしら あの山越えて 野を越えて
  ねんねの里から 来るかしら いえいえ そうではありませぬ
  それは 働く家庭から 昼が来る来る 昼が来る
  今日は 今日は

3 夜はどこから 来るかしら あの星越えて 月越えて
  お伽(トギ)の国から 来るかしら いえいえ そうではありませぬ
  それは 楽しい家庭から 夜が来る来る 夜が来る
  今晩は 今晩は



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