大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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昔の広告 (115) 昭和44年

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「若い生活」 昭和44年9月号から       (*クリックして拡大!)
寺山修司抒情シリーズ 新書館





故 寺山修司さん  昭和10(1935)年-昭和58(1983)年
青森県弘前市に生まれ、
中学1年から小説、短歌発表。早稲田在学中「チェホフ祭」で新人賞。
詩人、歌人俳人、エッセイスト、小説家、評論家、映画監督、作詞家、
劇作家、演出家。劇団「天井桟敷」を主宰した。

亡くなって約25年になるが、いまだに人気が高い。


実は当時、私はこの詩人がどういうわけか好きになれなかった。
「書を捨てよ町へ出よう」、「家出のすすめ」や
「初恋・地獄篇」、
そして「時には母のない子のように」も。

しかし、
当時なにげなく、
「見ていて下さい はるかな父さん・・・」と、
口ずさんでいた「戦争は知らない」の作詞者が
うかつにも最近になって、この人だったと改めて知ったとき、
そして、下の詩にふれたとき、
もう一度、この人を見直してみようと思った。

寺山修司さんの父親は、昭和16年出征、その後戦死した。


「幸福が遠すぎたら」

さよならだけが人生ならば 
また来る春は何だろう
はるかなはるかな地の果てに
咲いている野の百合何だろう
さよならだけが人生ならば 
めぐり会う日は何だろう
やさしいやさしい夕焼と 
ふたりの愛は何だろう
さよならだけが人生ならば 
建てた我が家なんだろう
さみしいさみしい平原に 
ともす灯りは何だろう
さよならだけが 人生ならば
人生なんか いりません。




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