大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

7月7日 (3)

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「歴史公論」 昭和12年12月号    (*必ず画像をクリックして拡大!)
画像は編集後記




この紙面で注目したいのは、1段目の後半である。
当時ある会合で、次のように発言した人がいたということである。
「われわれは決して政治家や軍人の口車に乗ぜられることなく、かれらの言語とか行動には特に充分の検討を加へなくてはいけない。支那事変の導火線となった盧溝橋事件の如きも、わが軍に非があるのかも知れない。ただいたづらに戦争熱を煽ふるやうな挙国一致を尻押しをする決議には飽迄反対する。」
そして、これに対して、この編集者は、
「この人はただちに某氏に面詰され、その非を悟ったのであるが、今日の非常時下にあって、かうした認識をもつものが一人でもゐるといふことは、洵(まこと)に慨嘆に堪へない。」と歎く。
つづいて、
「われわれ日本人は、軍人や政治家に煽動されるやうなことは絶対ないし、彼らの言行には、信頼してよいと思ふ。」としている。

盧溝橋事件は満州事変と異なり、日本の関東軍の謀略ではなかったが、
全体としてどちらが冷静であったかは、その後の日本の歴史が証明している。
これをみても、当時、たとえ少数の冷静な認識をもった人がいても、
それを周囲の人々が封殺してしまう時代の空気やふんいきがあったことがわかる。
昭和12年当時、まだ軍国一色となっていなかっただけに、
これは、本当に残念なことである。

逆に、日中戦争が日本を一色にするための契機になったともいえる。
事変・戦争による挙国一致は、
中国においても同じで、「救国」・「抗日」をスローガンに団結していく。
(→第二次「国共合作」昭和12年9月)

さて、2段目の後半に「国民精神戦」のことがとりあげられている。
おそらく、中国の抗日姿勢の手ごわさ、強さを感じ始めているからだろう。





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