大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

7月7日 (2)

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「歴史公論」 昭和12年12月号    (*必ず画像をクリックして拡大!)
画像は「支那事変談叢」から抜粋




<1枚目>
「排日教育の絶滅を期せ」という過激な見出しのもとに、
この筆者(編集者)は、
当時の抗日教育の状況を中国の教科書により紹介している。
そのおかげで当時の中国の抗日のスタンスを確認することができる。
2段目より、「支那一流の逆怨的言辞を弄している」として、
初級小学校社会教科書から転載する。
しかし、これにより、
当時の中国は日本のどのような動きに対して抵抗していたかがよくわかる。
中国の日本に対する怨みは深く、満州事変よりはるかにさかのぼる。
3段目の最後の方に、
「民国二十年九月十八日(注:満州事変)日本の軍部は理由をつくって瀋陽を占領し・・・」とあり、
中国側としては、当時すでに、満州事変が日本の軍部の謀略であることをキャッチしていたと感じられる。


<2枚目>
2段目
「中国が始めて列国の侵略を受けた時は、日本も侵されるわけだったが、日本は奮発し欧州文化を受け入れて自ら強くなった。かくして久しからずして外に対して侵略手段を施したのである。即ち日本の資本主義が発達するに従って国外へ侵略する事を考へた・・・」
明治維新以降の日本の動きを、簡潔にとらえている。
アジアの中で唯一列強の侵略をまぬかれた日本は、
西欧をとりいれることによってアジアを脱し、自ら帝國主義列強の国となっていく。(「脱亜入欧」)
やがて、遅れて出発した日本では、
膨張主義を共通にもつ軍部と資本主義経済が手をにぎり、侵略が始まる。


この筆者は当時の中国の教科書を紹介し、排日教育の現状を報告している。
しかし、なぜ当時中国がこのような排日教育をしているかについては、
深く考察していない。
そして、見出しに排日教育の「絶滅を期せ」とまでいうわりには、
どういう理由からなのかを十分説明せず、説得力をもっていない。
それは、何よりも(画像1枚目の2段目にあるように)頭から
支那がいかに屁理屈を並べて自国に都合のいいことばかり云っている」と、
決めつけているからだろう。

当時の中国の教科書が戦前の日本の教科書と同じように、
いくらか政治的なプロパガンダの要素を含むにしても、
筆者は中国の教科書を通して、反日に対する情報を得られる立場にあった。
にもかかわらず、
中国のナショナリズムに対しては黙殺または軽視している。
背景には、日清戦争後の中国に対する蔑視、
アジアの盟主としての日本の優越感などがあったのだろうか。
もしかしたら、これは、この筆者のみならず、
当時の日本人の一般的な見方だったのかもしれない。





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