大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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「故郷(ふるさと)」

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・・・・                       (*写真は書庫「その他(写真)」から)


故郷(ふるさと)
【作詞】高野 辰之 【作曲】岡野 貞一



兎(うさぎ)追いし かの山
小鮒(こぶな)釣りし かの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき故郷(ふるさと)

如何(いか)にいます 父母(ちちはは)
つつがなしや 友垣(ともがき)
雨に風につけても
思い出(い)ずる故郷

こころざしを はたして
いつの日にか 帰らん
山はあおき ふるさと
水は清き ふるさと



「故郷」(ふるさと)は、大正3年(1914)、「尋常小学唱歌 第六学年用」に登場する。
この歌は、その後歌い継がれ、いまでは年代を超えた愛唱歌である。


「兎(うさぎ)追いし かの山 小鮒(こぶな)釣りし かの川」、
そんな故郷での経験のないものにとっても、
歌っていると、圧倒的な既視感によって原風景となり、
あたかもそれを経験したかのような感じになってくる。
そして、なぜか懐かしい気持ちがしてくるのである。

ここでの「ふるさと」は、子供時代と父や母、友人、
それをとりまく自然環境、山の青さや川の水の清らかさでイメージされる。

村や町から都会へ、子供から大人へ・・・
農村から都市という「世間」への大量の人口移動は、「故郷」を意識させる。
望郷の思いと故郷喪失。
いまは、どうしているだろうか、
ふるさとをあとにして、残された父母や友達に対しても思いやる気持ち・・・
雨や風という思い通りにいかない苦難・苦労や世間のきびしさのなかで、
悲しいこと、つらいことを経験し、
いっそう、子供時代のふるさとが思い出されてくる。

「こころざし」は、なんらかの「夢」、「目的」である。
発表された当時は、明治以降の日本の近代化、都市化の中で、
立身出世の夢、成功によって「故郷に錦をかざる」というイメージが
多少意識されていたのかもしれないが、
「こころざしを はたして いつの日にか 帰らん」の歌詞とメロディには、
「帰りたいが、おそらく帰れないだろう」という諦めにも似た静かな気分が感じられる。
あの楽しかった子供時代にはもう帰れない。過去の夢。
帰ったとしても、自分がいた「ふるさと」は荒れ、
もはや異郷になっているかも知れない。
過去は、あくまで美しい。

しかし、どこまでも「山はあおき ふるさと 水は清き ふるさと」
ふるさとの「自然」は、永遠にあってほしい。
自然は、いつでもあたたかく迎えてくれる安住の地としてのふるさとであってほしい。

憧憬のしるしとしての「ふるさと」
夢のなかの「ふるさと」


絵になる歌、情景がみえてくる歌である。
その絵の中に、それぞれの思い出がぎっしりつまっていて、
歌うと私たちの気持ちをやさしさに包んで、ほっとさせてくれる。
それぞれの故郷のイメージを代入することができる「ふるさと」の歌。
「ふるさと」は、数ある「故郷」を歌った曲の中でも、
もっとも愛唱される名曲となる秘密はここにある。


もう帰ることはない「子供時代」は永遠に過去となり、
山や川も生き続ける「自然」として永遠となり、回想される。
そんな永遠の支えにより、
歌のイメージは、悲哀と漂流感をまぬかれ、救われている。


一方、都会に生まれ育ち、
はじめから自分には田舎や故郷がないと感じている人にとっては、
故郷は、どこかにあるにちがいない幻の、めざすべき「ふるさと」になる。
が、それでも人が風景の中に生まれ、人とともに育つかぎり、
「ふるさと」は、きっとある。
「ふるさと」は、単に空間だけではなく、時間をも含めるのだろう。
そして、「心のふるさと」も・・・

かつて詩人の寺山修司は童謡について、次のようにいっていた。
「すぐれた「童謡」というものは、長い人生に二度あらわれる。
一度目は子供時代の歌として、二度目は大人になってからの歌としてである。・・
子供時代は、遠きにありて唄うものであっても、帰るところなどではない。
ひとは、子供時代を唄うことによって、みずからの現在地をたしかめる。
「童謡」は、大人の中によみがえることによって、
はじめて人生の唄としての値打ちを獲得するのだ。」(「日本童謡集」まえがき)


また、作詞者の高野辰之の出身である長野県で、
やはり少年時代を過ごした猪瀬直樹
著書「唱歌誕生 ふるさとを創った男」のなかで、次のように書いている。
「誰も若い日にさまざまな夢を抱く。だが実際に生きてみると、
夢はあくまでも夢にすぎないことがわかってくる。
妥協とか挫折、という意味ではない。
夢はしゃぼん玉のように手で触れると消えてしまうものなのだ。
消えた夢についての想いが募るとき、人は酒に酔い歌を口ずさむ。
「夢は今もめぐりて/忘れがたき故郷・・・」
故郷とは、自分の若い日の夢が行き先を失い封印されている場所のことだ。」
また、猪瀬直樹によれば、作曲者、岡野貞一は敬虔なクリスチャンであり、
このメロディには賛美歌の音階がしのびこんでいるという。


人がより積極的に生きていくには、何らかの支え、心のよりどころが必要である。
「ふるさと」は、そのひとつである。

しかし、「ふるさと」を意識するには、距離があることが前提になる。
すでに過去となり、もう帰ってこない時間、
そして遠くなり、もう帰れない空間としての故郷との距離。
その場所を遠く離れて、遠く離れた場所から、
自分が生まれ育った、失われた場所や時間をふりかえるとき、
「故郷」が強く意識される。
遠く隔ててもなお、断ちがたい「ふるさと」
現実の故郷は、何の断りもなく変わり続けている・・・・。
その意味で、この歌は、子供時代の歌としてよりも、
故郷を何らかの形で離れたり、いろいろな経験を積み、
折りにふれ、自分の基盤をふりかえってみることが多い
「大人になってからの歌」にふさわしいのかもしれない。


「自然」や「ふるさと」には、
「神」のない日本人にとって「永遠」のイメージがあり、
われわれ日本人の支えともなっているのかもしれない。

しかし、「自然」や「ふるさと」イメージは、
それだけに戦前は、
忠君愛国という天皇制や国家主義を支える基盤ともなったようである。
「産土」(うぶすな)という言葉も多く使われた。
「ふるさと」が守るべき「ふるさと」として国家から強調されるときには、
政治的シンボルとして機能を発揮する。
やがて、国家の側からの国土や祖国を守る愛国心ナショナリズムの強調、
国土防衛意識の醸成へと動いていく。
回想の世界としての「ふるさと」による団結の強化。


が、いま、この歌をうたうとき、
生まれ育った場所を思うと同時に、
当時、小学校の教室で、この歌を歌っている風景が思い浮かぶ。


なお、作詞は高野辰之、作曲は岡野貞一の二人のコンビは、
文部省が明治の末から大正の初めにかけて推進した
「小学唱歌教科書編纂」において、重要な役割を果たし、
他に「春が来た」、「紅葉」、「春の小川」、「朧月夜」といった作品を出した。
いずれも名曲である。




<蛇足>
*つい先日、知人から、
知人の友人の認知症のお母さんが2,3日間、行方不明となっているので、
情報提供願いのチラシまきや捜索活動に協力してほしいという連絡があり、
2日間参加した。
しかし、結果的には、警察により残念な形で発見された。
場所は、線路に近い土手の下だった。
すべって転倒し、動けなくなって、助けを呼ぶこともできなかったのだろう。
その付近は、私も知人もいっしょに捜索したが、
気がつかなかった場所だった。
もっとも、私と知人の視野には、「線路」に近づくという発想はなかった。
そのとき私は、その人はなぜ、
わざわざ線路のある方向へどんどん歩いて行ったのだろうとふしぎに感じた。
認知症の症状がある人の単なる異常行動なのだろうと思った。
が、帰宅してネットで調べてみると、徘徊行動の中で、
線路に近づくという行動が意外に多いということがわかった。
これは、おそらく、認知症の人が徘徊により、
めざすのは、帰るべき、または帰りたい「ふるさと」・「家」であって、
まず電車の音を聞き、線路に沿って歩いていけば、
その「ふるさと」に着けるのではないかという切なる思いからなのかもしれない。
どんなに認知症が進んでも、いろいろな思い出がよみがえる歌、
現在の自分の感情が共感できる歌は、歌うことができるのを、
私はボランティア活動でいったあるグループホームで見ている。
「ふるさと」、「赤とんぼ」、「里の秋」、「荒城の月」・・・
認知症の人でも、しっかりと回想し、歌詞の意味は頭に入っているのである。
徘徊する認知症の人が無意識のうちに線路をめざしていくのは、
きっと「線路」は、帰るべき「ふるさと」へ通じる道だからだろう。
この行動の底にある心情は理解しておく必要があるような気がする。
だれでも、いつかは老い、
過去への回想が大きなウエイトを占め、
ふたたび、「ふるさと」をめざすようになるのだから。





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