大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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「荒城の月」

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「荒城の月」                  *画像は書庫「その他(写真)」から
(初出は明治34年刊行「中学唱歌集」)             




荒城の月
[作詞]土井晩翠(明治31年頃作詞) [作曲]滝廉太郎(明治33年作曲)


春高楼(こうろう)の花の宴(えん)
巡(めぐ)る盃(さかずき)かげさして
千代(ちよ)の松が枝(え)わけ出(い)でし
昔の光いまいずこ

秋陣営(じんえい)の霜の色
鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照りそいし
昔の光いまいずこ

いま荒城の夜半(よわ)の月
替(かわ)らぬ光たがためぞ
垣に残るはただ葛(かずら)
松に歌うはただ嵐(あらし)

天上影(かげ)は替らねど
栄枯は移る世の姿
寫さんとてか今もなお
嗚呼(ああ)荒城の夜半の月



月は澄み、花の宴、月見の宴、
つぎつぎに渡りゆく雁の姿を映しては消えていく剣に
月は照りそい ・・・・
いま城跡には過去の栄光を偲ぶものはなく、
わずかに自然だけがその面影を残す
それは「時」の影
栄枯盛衰、栄えるものは滅び
国も山河も、時代も、人々も移りゆく
運命のはかりがたい悲劇
無常の世(世界)の中にあっても、
変わらず 常なるもの
それは、天上からの月や星の光
光は、遠い昔もいまも変わりはない
そして、未来も光は天上にあることだろう
暗闇の中で、地上にくまなく射し、照らす光
それは、希望であり、救い


この歌のキーワードは、光(かげ)である。
「かげ」は、微妙に使い分けられている。
「かげ」は古語で、動きのある「光そのもの」または「光に照らし出された姿」の意。
盃にさす「かげ」は照らす光であると同時に、
光の裏にできる将来の悲劇を予言する陰影をも含むか。
かげには、また死者の霊、魂という意味もあるという。
「光」(ひかり)は、「光るもの」、自ら「輝きをもつ光」。
「昔の光」の光は、滅びゆく過去の栄光や武士の姿を照らした光か。
「影(かげ)」は、この場合、「姿・形」。

地上の鏡(剣や水)は、天上の姿や月を「映」し、
一方、地上の「移る世の姿」は、
天上の月に幻影として「写」し出される。

なお、古代語の「カゲ」は、
もともとは霊力・霊威を表す指示的言語であったが、
後に霊力のある呪物にも用いられるようになった語で、
生命力・霊力を意味する「カ」と霊気を意味する「ケ」の複合語という。
(「日本語に探る古代信仰」土橋 寛)
ふだん何気なく使っている「おかげさまで」という言葉も、
馬鹿にできない。
そして、「もののけ姫」の「け」も霊気か。



この歌は、過去への、歴史への
そして、歴史に散った人々や物への哀悼、鎮魂の歌だとしても、
ただ世の「無常」をうたった歌ではない。
「栄枯は移る世の姿」にあって、
なお、天上の姿と光は変わらない
暗(やみ)のむこうに光がある
そんな希望をうたった歌である。
第4節に、土井晩翠の思いが凝縮されている。

晩翠は、長女に「照」と名をつけている。





土井晩翠の第一詩集「天地有情」(明治32年)から

「希望」
  
沖の汐風吹きあれて
白波いたくほゆるとき、
夕月波にしづむとき、
黒暗(くらやみ)よもを襲ふとき、
空のあなたにわが舟を
導く星の光あり。
ながき我世の夢さめて
むくろの土に返るとき、
心のなやみ終るとき、
罪のほだしの解くるとき、
墓のあなたに我魂(たま)を
導く神の御声(みこえ)あり。
嘆き、わづらひ、くるしみの
海にいのちの舟うけて
夢にも泣くか塵(ちり)の子よ、
浮世の波の仇騒ぎ
雨風いかにあらぶとも、
忍べ、とこよの花にほふ――
港入江の春告げて
流るゝ川に言葉あり、
燃ゆる焔に思想(おもひ)あり、
空行く雲に啓示(さとし)あり、
夜半の嵐に諫誡(いさめ)あり、
人の心に希望(のぞみ)あり。




・・・・・