大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

かごめかごめ (1)

イメージ 1

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かごめかごめ


かごめ かごめ
かごの なかの とりは
いついつ でやる
よあけの ばんに
つると かめが すべった
うしろの しょうめん だあれ


「かごめかごめ」の記述で最も古いとされている資料は、
安永8年(1779年)に発刊された黄表紙「かごめ かごめ 籠中鳥」
(市場通笑 作、鳥居清 画 後付題:一升鍋底抜男)である。
(資料画像は、早稲田大学図書館「古典籍総合データベース」で
公開されている。
インターネットで「古典籍総合データベース」&「かごめかごめ」で
検索・アクセスし、画像資料NO.17クリック拡大参照可能)

ここでは、籠から出られない遊女のことを歌っていて、
遊郭に身売りされた娘はいつになったら出てこられるのだろうと
親兄弟が案じている歌だと解釈されている。

しかし、黄表紙(きびょうし)は、
江戸時代中期の1775年以降に流行した草双紙
(一種の大人の絵本、絵解き、漫画)のジャンルの一つで、
言葉や絵のはしはしに仕組まれた遊びの要素を読み解くことに
楽しみがあったり、よく知られている作品の文体や韻律をまねて、
まるで違う内容をその形にもり込み、
そこに滑稽味や風刺を生みだしたといわれる。
「もじり」や茶化し、軽妙な風刺や奇想天外なパロディにより、
遊里を題材に、世の中や人間のありさまを、
おもしろおかしく揶揄(やゆ)するものが多かったらしい。

だから、この資料の
「かごめかごめ」の籠から出られない遊女のことを歌っているという解釈は、
たとえ、それが江戸中期の文献であっても、
もともとパロディの目的をもった創作(現に作者がいる)であると考えられる。
そもそも後付題が「一升鍋底抜男」とは、
明らかに、おとぼけとパロディを意識している。

(ただ、この江戸時代の戯作の歌のイメージ・解釈がそのまま、
大正14年発表されヒットした歌謡曲「籠の鳥」に通じているか?)

さて次に、この資料に描かれている浮世絵をみると、
真ん中の子どもは目かくししたり、しゃがんでいない。
また手をつないで囲み廻っている子ども(5人)は
なんと外側を向いていた。
その周りを踊るようにはやし立てている子どもが一人、
さらにその遊びを楽しそうに見る抱っこされた幼児と母親が描かれている。
これは一見、当時の「かごめかごめ」の風景のようだが、
真ん中の子どもを囲み廻っている子どもたちが中心の方向ではなく、
外側を向いて廻るという動作には無理があり、不自然である。
黄表紙の挿絵であることから、
この絵は当時の子どもたちの遊びとしての「かごめかごめ」の
実際の情景描写ではなく、
おそらく、大人の観点から創作された
囲われ籠から出られない遊女という解釈に合わせ、
中心の人物の自由を束縛しているイメージを強調するため、
周りの子どもたちを逆向きにした
絵解きパロディである可能性があると思われる。

さてさて、
上の歌詞は最近まで伝えられているごく一般的なものだが、
時代や地方によって詞が異なっていたようだ。
文献では、この「かごめかごめ」は江戸中期以降に現れているが、
「鶴と亀」「滑った」については、明治以前の文献で確認されていず、
また「後ろの正面」という表現は、
明治末期以前の文献では確認されていないという。

ところで、江戸時代中期のもともとの歌詞(唄い文句)は、
どうだったのだろうか。
宝暦・明和年間(1751~72)の内容のものを
収録したと言われている童謡集「竹堂随筆」
(文政3[1820]年頃編纂)によれば、
下のようであったらしい。


かァごめかごめ
かーごのなかの鳥は
いついつでやる
夜あけのばんに
つるつるつッペェつた
なべのなべのそこぬけ
そこぬいてーたーァもれ


後に、「つる」から亀を連想し、
「つッペェつた」が「滑った」に自然に変化したのだろう。
また、「うしろのしょうめんだあれ」が文句として追加されたのは、
明治以降「かごめかごめ」が「あてもの遊び」としての面が
本格化したためだろうと思われる。

ここでいう「なべのなべのそこぬけ」だが、
「日本のわらべ唄」(上笙一郎)によると、
下のような「なべなべ底ぬけ」というわらべ唄による遊びが
全国的にあった(現在まで伝わっている)。
ふたりで向き合って両手をとりうたいながら、
反(かえ)りましょうで手をつないだままぐるりと反転、
中合わせの態勢となって、それを何遍もくりかえす。
おそらく、上の江戸中期の「かごめかごめ」バージョンでは、
このわらべ唄のフレーズが継ぎ合わされていたのだろう。

なべ なべ 底ぬけ 底がぬけたら 反(かえ)りましょう
たらい たらい   底がぬけたら 反(かえ)りましょう


古代には「こういえばこうなる」という信仰、
言葉に呪力があるという信仰、
いわゆる言霊(ことだま)信仰があったという。
単純な命令または禁止の言葉で、こうしたいという願望を表現した。
わらべ唄にも、大人の世界の影響を受けて、
呼びかけ唄、呪い(まじない)唄の要素が強く残っているといわれる。
また即興による問答やかけ合いなどを交えた単なる言葉遊びがある。
だから、その唄の言葉は、唱え言葉 囃し言葉や、
尻取り、連想、はぐらかし 戯れ言、
無意味な言葉の連なりになる場合もある。
とのこと。
さらに、わらべ唄の言葉(歌詞)は、全国に広がり、
そして時代を経て伝わっていく中で、
電報ゲームのように変形していく。



(次回へつづく)

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