独裁者(4)
前回「独裁者」(3)からのつづき
映画「独裁者」の時代的背景(2)
<1937年>
■3月14日 ローマ教皇ピウス11世、ナチスの教会政策と人種差別を批判する回勅をドイツ司教団に送る。
■4月15日
ユダヤ人の数々の職業禁止。
■4月26日 スペイン内戦中、 ナチス・ドイツ空軍がゲルニカを無差別空襲。
■11月5日 ヒトラーが、総統府での軍幹部と外相を集めた秘密会議で戦争遂行計画を明らかにし、東ヨーロッパにゲルマン民族の「生存圏」を樹立する必要性を力説した。
<1938年>
■1月26日 ヒトラーの戦争遂行計画にためらったブロンベルク国防相を解任。28日にはフリッチュ陸軍総司令官も解任され、ナチス党による国防軍支配が強固になる。
・・・★映画「独裁者」で戦争遂行計画に反対だったシュルツ。
■3月12日 ドイツ軍がオーストリアに侵入。翌日、同国を併合。
もともと反ユダヤ主義感情が強いオーストリア国民の大多数は、第一次世界大戦の戦勝国によって阻まれた「独墺合併」の悲願を実現してくれるものとして、ドイツ軍を歓迎した。そして国民投票が行なわれ、99.7%の国民がドイツ・オーストリアの合併に賛成した。
・・・★オスタリッチ(オーストリア)に移住・亡命したユダヤ人の迫害が映画「独裁者」で描かれていた。そして、最後の演説のあとのアンナやユダヤ人の同居人へのメッセージ「ハンナ・・・僕の声がわかるかい?・・・・・」
■3月28日
ユダヤ教の宗教団体は公法団体としての地位を取り消される。
■4月26日
ユダヤ人の財産の登録義務、財産の没収下準備。
■6月15日
「反社会分子」に対する6月行動、約1500人のユダヤ人が強制収容所に。
■7月6日~15日 エヴィアン会議
アメリカのルーズヴェルト大統領の提案により、32カ国の代表がドイツからの難民問題を協議するためジュネーヴ湖のほとりのエヴィアンに集まる。しかし、アメリカ自体がさまざまな問題をかかえていたため消極的で、他の国に対して、難民を受け入れるよう圧力をかけることまでしなかった。結果として、どの国も移民枠の拡大を行なおうとしないこと、どの政府も難民に助成金をだすつもりがないことが明らかにした。新たに提案された救援計画は、すべて民間団体によるものばかりだった。
■7月23日 ユダヤ人に特別の身分証明書交付。
■7月25日
ユダヤ人医師、ユダヤ人の患者のみ診察可とした。
■8月17日
ユダヤ人に「サラ」か「イスラエル」の名を付けるよう強制。
■9月27日 ユダヤ人弁護士の営業禁止。
■9月29日 ミュンヘン会談でチェコスロバキアのズデーテン地方を獲得。
■10月5日
ユダヤ人の旅券没収、以後大きく赤字で「J」とのみ表記。
■10月26日
在独ポーランド系ユダヤ人約1万7000人、国外へ強制退去。
■11月9日 「水晶の夜」事件発生。
ナチ政権による全国的組織的な迫害。ドイツで数百のシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)が焼き打され、96名のユダヤ人殺される。ユダヤ人の商店、デパートなどの略奪、破壊、2万6000人のユダヤ人が逮捕され、強制収容所へ送られる。砕け散った窓ガラスが月明かりに照らされて水晶のように輝いたことから「水晶の夜」と言われている。
・・・★映画「独裁者」のユダヤ人の建物が焼かれているシーンは、この事件のイメージか?
■11月25日
ユダヤ人子女の公立学校への通学禁止。
■12月 ユダヤ人企業・商店の強制売却(「アーリア化」)に関する行政命令。
<1939年>
■1月24日
ゲーリング、ユダヤ人の国外移住のための「ユダヤ人出国中央本部」の設置を指示。
当初、ナチの反ユダヤ人政策の目標は、強制的な移民によってドイツ国内からユダヤ人を一掃することだった。一方、ユダヤ人のほうもドイツから離れることに必死で、1938年までに、ドイツ在住のユダヤ人の4分の1にあたる15万人がドイツを去ったとされる。しかし、1938年にドイツがオーストリアを併合すると、約18万人のユダヤ人が新たにナチの管轄下に入り、抱え込むことになった。
・・・・・★1月「独裁者」の製作開始
■1月30日
ヒトラー、大ドイツ帝国議会で、再び世界大戦になった場合のヨーロッパの「ユダヤ人種の絶滅」を告知・予告した。
・・・・・★映画「独裁者」の独裁者ヒンケルも演説で、「ユダヤ人の絶滅」という言葉を使用していた。チャップリンは、ここにヒトラーの危険性を察知していたにちがいない。
■2月17日 ユダヤ人の所有する一切の貴金属拠出令。
■3月15日 ドイツ軍、チェコスロバキアに侵攻。「ボヘミア・モラヴィア保護領」を設置
■8月23日 独ソ不可侵条約の締結
・・・・・★9月9日「独裁者」の最初の撮影
■9月1日
ドイツ、ポーランドへ侵攻、第二次世界大戦勃発。ユダヤ人に対する夜間外出禁止令。イギリスとフランス、ドイツに対して宣戦布告。
■9月23日
ユダヤ人かラジオなど放送機器の所有禁止、拠出令。
■9月27日
国家保安本部(RSHA)を設置、テロ・抑圧措置の統合機関となる。
■10月1日までにポーランド全土を制圧。ポーランド総督府を設置。
■11月23日
ポーランド総督府、在住ユダヤ人に「シオンの星」(白地に青いダビデの星)を描いた腕章の着用を義務化。
<1940年>
■2月12日 ユダヤ人のポーランドへの強制大量移送開始。
■4月9日 ノルウェー、デンマークに侵攻。デンマークは降伏し、保護国下に置かれる。5月にはほぼノルウェー全土を占領。傀儡政権が設置される
■5月10日 ドイツ軍がオランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、フランスに侵攻開始
■5月17日 ヨーロッパのオランダ軍がドイツ軍に降伏。
■5月28日 ベルギー降伏。
■6月~8月
ドイツ外務省と国家保安本部、ユダヤ人のフランス領マダガスカル島への移送を計画。
しかし、その後、英本土占領の見込みが失われ、移送のための船舶・航路の確保は絶望的となったため、この計画は廃棄された。ユダヤ人は行き場を失う。
■6月21日 フィリップ・ペタンを首相とするフランス政府、ドイツに休戦申し入れ。北部をドイツの占領下に置き、南部はヴィシー政権として存続。
■9月27日 「日独伊三国軍事同盟」成立。
■10月2日 ユダヤ人をすぐに移住させることができなかったため、一時的に拘留するためのワルシャワなどにゲットー(ユダヤ人居住区)の設置命令。
・・・・・★10月15日、英米での「独裁者」の公開。日本はドイツ、イタリアと三国同盟を結んでいたため、作品は輸入されず。
■11月16日 ワルシャワ・ゲットー、自由な出入りはできなくなり、外部から完全に遮断。
*1941年以降は次回につづく
・・・・・・
映画「独裁者」の時代的背景(2)
<1937年>
■3月14日 ローマ教皇ピウス11世、ナチスの教会政策と人種差別を批判する回勅をドイツ司教団に送る。
■4月15日
ユダヤ人の数々の職業禁止。
■4月26日 スペイン内戦中、 ナチス・ドイツ空軍がゲルニカを無差別空襲。
■11月5日 ヒトラーが、総統府での軍幹部と外相を集めた秘密会議で戦争遂行計画を明らかにし、東ヨーロッパにゲルマン民族の「生存圏」を樹立する必要性を力説した。
<1938年>
■1月26日 ヒトラーの戦争遂行計画にためらったブロンベルク国防相を解任。28日にはフリッチュ陸軍総司令官も解任され、ナチス党による国防軍支配が強固になる。
・・・★映画「独裁者」で戦争遂行計画に反対だったシュルツ。
■3月12日 ドイツ軍がオーストリアに侵入。翌日、同国を併合。
もともと反ユダヤ主義感情が強いオーストリア国民の大多数は、第一次世界大戦の戦勝国によって阻まれた「独墺合併」の悲願を実現してくれるものとして、ドイツ軍を歓迎した。そして国民投票が行なわれ、99.7%の国民がドイツ・オーストリアの合併に賛成した。
・・・★オスタリッチ(オーストリア)に移住・亡命したユダヤ人の迫害が映画「独裁者」で描かれていた。そして、最後の演説のあとのアンナやユダヤ人の同居人へのメッセージ「ハンナ・・・僕の声がわかるかい?・・・・・」
■3月28日
ユダヤ教の宗教団体は公法団体としての地位を取り消される。
■4月26日
ユダヤ人の財産の登録義務、財産の没収下準備。
■6月15日
「反社会分子」に対する6月行動、約1500人のユダヤ人が強制収容所に。
■7月6日~15日 エヴィアン会議
アメリカのルーズヴェルト大統領の提案により、32カ国の代表がドイツからの難民問題を協議するためジュネーヴ湖のほとりのエヴィアンに集まる。しかし、アメリカ自体がさまざまな問題をかかえていたため消極的で、他の国に対して、難民を受け入れるよう圧力をかけることまでしなかった。結果として、どの国も移民枠の拡大を行なおうとしないこと、どの政府も難民に助成金をだすつもりがないことが明らかにした。新たに提案された救援計画は、すべて民間団体によるものばかりだった。
■7月23日 ユダヤ人に特別の身分証明書交付。
■7月25日
ユダヤ人医師、ユダヤ人の患者のみ診察可とした。
■8月17日
ユダヤ人に「サラ」か「イスラエル」の名を付けるよう強制。
■9月27日 ユダヤ人弁護士の営業禁止。
■9月29日 ミュンヘン会談でチェコスロバキアのズデーテン地方を獲得。
■10月5日
ユダヤ人の旅券没収、以後大きく赤字で「J」とのみ表記。
■10月26日
在独ポーランド系ユダヤ人約1万7000人、国外へ強制退去。
■11月9日 「水晶の夜」事件発生。
ナチ政権による全国的組織的な迫害。ドイツで数百のシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)が焼き打され、96名のユダヤ人殺される。ユダヤ人の商店、デパートなどの略奪、破壊、2万6000人のユダヤ人が逮捕され、強制収容所へ送られる。砕け散った窓ガラスが月明かりに照らされて水晶のように輝いたことから「水晶の夜」と言われている。
・・・★映画「独裁者」のユダヤ人の建物が焼かれているシーンは、この事件のイメージか?
■11月25日
ユダヤ人子女の公立学校への通学禁止。
■12月 ユダヤ人企業・商店の強制売却(「アーリア化」)に関する行政命令。
<1939年>
■1月24日
ゲーリング、ユダヤ人の国外移住のための「ユダヤ人出国中央本部」の設置を指示。
当初、ナチの反ユダヤ人政策の目標は、強制的な移民によってドイツ国内からユダヤ人を一掃することだった。一方、ユダヤ人のほうもドイツから離れることに必死で、1938年までに、ドイツ在住のユダヤ人の4分の1にあたる15万人がドイツを去ったとされる。しかし、1938年にドイツがオーストリアを併合すると、約18万人のユダヤ人が新たにナチの管轄下に入り、抱え込むことになった。
・・・・・★1月「独裁者」の製作開始
■1月30日
ヒトラー、大ドイツ帝国議会で、再び世界大戦になった場合のヨーロッパの「ユダヤ人種の絶滅」を告知・予告した。
・・・・・★映画「独裁者」の独裁者ヒンケルも演説で、「ユダヤ人の絶滅」という言葉を使用していた。チャップリンは、ここにヒトラーの危険性を察知していたにちがいない。
■2月17日 ユダヤ人の所有する一切の貴金属拠出令。
■3月15日 ドイツ軍、チェコスロバキアに侵攻。「ボヘミア・モラヴィア保護領」を設置
■8月23日 独ソ不可侵条約の締結
・・・・・★9月9日「独裁者」の最初の撮影
■9月1日
ドイツ、ポーランドへ侵攻、第二次世界大戦勃発。ユダヤ人に対する夜間外出禁止令。イギリスとフランス、ドイツに対して宣戦布告。
■9月23日
ユダヤ人かラジオなど放送機器の所有禁止、拠出令。
■9月27日
国家保安本部(RSHA)を設置、テロ・抑圧措置の統合機関となる。
■10月1日までにポーランド全土を制圧。ポーランド総督府を設置。
■11月23日
ポーランド総督府、在住ユダヤ人に「シオンの星」(白地に青いダビデの星)を描いた腕章の着用を義務化。
<1940年>
■2月12日 ユダヤ人のポーランドへの強制大量移送開始。
■4月9日 ノルウェー、デンマークに侵攻。デンマークは降伏し、保護国下に置かれる。5月にはほぼノルウェー全土を占領。傀儡政権が設置される
■5月10日 ドイツ軍がオランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、フランスに侵攻開始
■5月17日 ヨーロッパのオランダ軍がドイツ軍に降伏。
■5月28日 ベルギー降伏。
■6月~8月
ドイツ外務省と国家保安本部、ユダヤ人のフランス領マダガスカル島への移送を計画。
しかし、その後、英本土占領の見込みが失われ、移送のための船舶・航路の確保は絶望的となったため、この計画は廃棄された。ユダヤ人は行き場を失う。
■6月21日 フィリップ・ペタンを首相とするフランス政府、ドイツに休戦申し入れ。北部をドイツの占領下に置き、南部はヴィシー政権として存続。
■9月27日 「日独伊三国軍事同盟」成立。
■10月2日 ユダヤ人をすぐに移住させることができなかったため、一時的に拘留するためのワルシャワなどにゲットー(ユダヤ人居住区)の設置命令。
・・・・・★10月15日、英米での「独裁者」の公開。日本はドイツ、イタリアと三国同盟を結んでいたため、作品は輸入されず。
■11月16日 ワルシャワ・ゲットー、自由な出入りはできなくなり、外部から完全に遮断。
*1941年以降は次回につづく
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