大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

独裁者(3)

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映画「独裁者」の時代的背景(1)


<1933年>

■1月30日 ヒンデンブルグ大統領、ヒトラー国家社会主義ドイツ労働者党党首)を首相に任命。ヒトラー政権誕生。
この時すでに、路上でのユダヤ人襲撃や不当な逮捕、多数の反ユダヤ的宣伝が行なわれつつあった。「ヒトラー政権」はドイツ国民から圧倒的な信頼と支持を受けていた。ドイツ最大の州警察を配下においたゲーリングは、突撃隊(SA)と親衛隊(SS)による補助警察を組織し、反対派の制圧に乗り出した。


■2月27日 ベルリンの国会議事堂放火事件。
ヒトラーはこれを共産党による策謀ときめつけ、弾圧。翌日大統領を動かして、「民族と国家を防衛するための大統領緊急令」を公布し、人身の自由、言論・集会・結社の自由など、ワイマール憲法が定めた基本的人権を停止。

■3月23日  共産党議員の登院禁止、一部社会民主党員を不当逮捕する中、国会で「全権委任法」が成立。これは国会や大統領の合意なしで立法権を行使することを認めるもので、政党は存在価値を失った。ヒトラー、独裁権を得る。7月までに、ナチ党以外の全政党が解散。また、この頃、ドイツ国内に強制収容所が作られた。

■4月1日
ナチス宣伝大臣ゲッベルスの指令により、全国的なユダヤ系の商店、会社、開業医、弁護士などに対する全はじめての全国規模の組織的ボイコット(不買運動などの排斥運動)がいっせいに行なわれた。このとき、SA(突撃隊)員がユダヤ人の商店の前に威嚇するように立ち、ユダヤ人の家にはダビデの星が黄色と黒のペンキで描かれたり、「ユダヤ人」とだけ書かれたはり紙が貼られた。

・・・★映画「独裁者」でSAの暴力的・犯罪的行為が描かれている。

■4月7日
ユダヤ人排斥のため職業公務員再建法が発布され、正式にドイツ国内の非アーリア系官吏や公務員(公立学校の先生含む)、またナチス政権にとって好ましくない官吏は強制退職させられた。

■4月22日
ユダヤ人開業医は国民健康保険から締め出され、ユダヤ人医師のところで診断を受けた者に対しては保険が適用されなくなった。これはユダヤ人開業医にとって事実上の廃業を意味した。

■4月25日
ユダヤ人の学生に対する就学制限が導入され、それ以後は全ドイツの人口に比例したユダヤ人数(約1%)に制限されてしまった。

■4月26日     
ゲシュタポ(秘密警察)創設。ドイツおよびドイツのヨーロッパ占領地におけるレジスタンスやスパイ、反ナチ派などの摘発、ユダヤ人狩りおよび移送、反ヒトラー陰謀の捜査を行う。

■5月2日 全国の労働組合の事務所がナチによって襲撃され、組合員は逮捕、資産は没収され、組合活動は完全に壊滅した。

■5月10日
ユダヤ系または非ドイツ的、マルクス主義的、自由主義的な書物の焼却破棄(焚書)が全国的な規模で組織され、実施された。指揮をとったのはゲッベルスであったが、ナチスを信奉する学生たちが、観衆として動員された。この「焚書」によってベルリンでは2万冊が燃やされた。

■7月14日
ワイマール共和国成立以後にドイツ国籍を得たユダヤ人の市民権、国籍は無効とされ帰化を撤回。これは主に外来者、東方ユダヤ人に向けられた処置であった。これにより、東方ユダヤ人の多くは早期にドイツを去っていった。

■7月14日 「政党新設禁止法」公布。ナチ党以外の政党の存続・結成が禁止される。一党独裁体制の成立。

■10月4日
著作家法成立。9月公布された国家文化省設置法とともに、ユダヤ人はドイツでの文化活動から締め出された。

■10月 編集責任者法により、ユダヤ人を新聞報道の活動から締め出す。

■10月21日  ジュネーブ軍縮会議の決裂を理由として、国際連盟脱退。

■12月1日 「党と国家の統一を保障するための法律」公布。ナチ党と国家の一体化が定められる。


<1934年>

■1月14日 ユダヤ医学生に対する国家試験の禁止。

■1月30日 「ドイツ国再建に関する法」成立。各州の主権がドイツ国に移譲され、州議会が解散される。

■6月7日
ユダヤ系出版社のナチ系出版社への強制買収。

■6月30日~7月1日  「長いナイフの夜」(レーム)事件。
国家反逆の暴動・一揆の鎮圧と称して、国防軍と対立する突撃隊(SA)幹部(レーム)やシュトラッサー、前首相シュライヒャーなど政敵が、ヒトラーの命を受けたSS(親衛隊)により粛清(処刑)される。しかし、迷惑行為、暴力、犯罪的行為をくりかえしていたSAに対する処刑により、国民には恐怖ではなく安堵感を与え、街頭テロの終息に対して期待感が広がった。

■8月2日  ヒンデンブルク大統領が死去。「国家元首に関する法律」が発効し、首相職に大統領職が統合されるとともに、「指導者およびドイツ国首相アドルフ・ヒトラー」個人に大統領の権能が委譲される。これ以降、日本語でヒトラーの地位を「総統」と呼ぶことが始まる。

■8月19日  「国家元首に関する法律」の措置に対する国民投票
投票率95.7%、うち89.9%が賛成票を投じる。


<1935年>

■1月13日 ザール地方が住民投票によりドイツ領に復帰。

■5月16日  ドイツ再軍備宣言。

■7月25日 ユダヤ人の軍役資格の剥奪。

■5月~夏 全ドイツで「ユダヤ人お断り」などの反ユダヤ的宣伝の看板が町村の入口や商店・レストランに増加。

■9月15日 「ニュルンベルク法」成立。
ニュルンベルクでナチ党大会が開かれ、反ユダヤ的な「ドイツ人の血と名誉を守るための法」、「帝国市民法」が成立。ドイツのユダヤ人は公民権を剥奪され、ドイツ人との結婚・性交渉の禁止。各国のマスコミやアメリカなどで、「ニュルンベルク法」に対する批判や非難が起きたものの、有効な措置や公式見解を打ち出せなかった。

■11月14日
ユダヤ人から選挙権の剥奪。

■11月21日
ユダヤ人公証人、医者、大学教授、教員などの職業禁止。


<1936年>

■3月7日 ヒトラーロカルノ条約の破棄を宣言し、ラインラント非武装地帯にドイツ軍を進駐させる。国民投票で99%の票がヒトラーの政策を支持。

■8月1日 ベルリン・オリンピック開催。反ユダヤのポスター等を一時的に撤去するなど反ユダヤ政策は緩和された。

・・・★映画「独裁者」でも一時的な反ユダヤ政策が描かれていた

■9月9日 ヒトラーはナチ党大会で「四か年計画」を発表し、4年以内に戦争準備を整えるよう命令を下す。

■11月25日 日独防共協定調印。





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