大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

「満州」語録 了

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*写真:「最新 満洲寫真帖」(昭和13年発行)から
上 「チチハル 満州人街南大街」
下 「五龍背温泉」




●『さらば大連』 北小路 健

私の胸の中にある「大連」も紛う方なく「過去」のなかにある。
追憶のなかにだけ確かな存在感をもつ幻となった。
しかしかつてここを「故郷」として育った者が、
せつないほどの郷愁に駆られるとしても少しも不思議はあるまい。
だが考えてみると「大連」も「旅順」も、
まことに定めなき運命に弄ばれたものである。
もともと中国の地でありながら、他国どうしの戦場と化したり、
いったんは日本の手に接収され、更にロシアの占領下におかれ、
再び日本の植民地となって四十余年
-満人といわれたり州人といわれたりした現地在住の中国人達は、
いまこそ本来の姿に戻り得たのである。
-そのことを、われわれは、
日本の近代史がおかしたかずかずの罪悪への強い反省をこめて、
心から祝福してあげねばならない。
それなくしては、われわれの「郷愁」は
かつての侵略者の恣意的な独りよがりにすぎなくなってしまうであろう。



●『望郷 満州』 北小路 健

満州国は日本によって築かれた国であった。
われわれは一様に、国策に沿って、
一庶民として、応分の営為をなしつつあると信じていたが、
その国策が、そもそも侵略的であったあったとすれば、
「王道楽土」も「五族協和」も日本人本位の身勝手な旗印ではなかったのか。
私たちが、日本国家から見放されて、
みずから身一つを守らなければならなくなった敗戦の時点で、
私のなかにはこうした烈しい反省が芽ばえていた。
日本近代史が犯した誤りを、
われわれ一人一人が背負わずには済まない宿命を噛みしめる敗戦生活が、
その後につづいた。
満州国は、日本の敗戦とともに地上から消えた。
そしてわれわれは、植民地「満州」の無残な終焉を、
たしかにこの目で見届けて来た。荒涼たる風物と、
人心の荒廃と-それは忘れることのできぬ惨憺たる体験だ。
それから三十数年―かの地に永く育った者の胸裡に、
否応なく望郷の念をかきたてて迫って来る面影がある。
人は永く住みついた土地と、そこに展開したおのれの歴史を、
そうやすやすと忘れ得るわけはないのだ。
敗戦による苦渋の想いは、いまや歳月が薄め、消去してくれた。
満州はいま「中国東北部」といわれる。
われわれの瞼にありありと浮んで来るあのころの面影は、
新しい時代の建設の中で、ただならぬ変り様にちがいない。
いまそこにあるのは、かっての面影の残影にすぎないのだ。
あれがそのままの姿で、われわれの前に再びあり得ることは決してない。
あれは「満州」の原風景であった。幻なのだ。
だから私は、それが幻であったことをみずからにいい聞かせるために、
わざわざもう一度かの地をおとずれようとは決して想わない。・・・・・
その「幻の地」を「故郷」と呼ぶより呼び様のない切なさが、
いま私のなかにある。





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