大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

「満州」語録 11

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*写真:「最新 満洲寫真帖」(昭和13年発行)から
上 「ハルピン キタイスカヤ街」
下 「ハルピン 新城大街よりモストワヤ街・地段街方面を望む」




●『新中国・見たり聞いたり考えたり』 大 久光

私は旧制中学の一年生の頃まで外地に住んでいた。
大日本帝国の植民地で育ったわけである。
そのためかどうか、植民地という言葉に対して、
他人より幾分敏感に聴き耳を立てるような傾向があるらしい。
それだけでなく、現在はすでに異国となってしまったそれらの土地に対して、常に一種の郷愁のようなものを感じ続けている。・・・・・
私の心をそそるのは、
それらの土地の自然であり、風習であり、
自分自身の幼年、少年期の記憶と固く結びついた
<時間>そのものなのである。・・・・・・
そして、それらの土地が、すでに私と全く無縁な、
失われた場所として在ることが、
私の感慨を一そう色濃いものとして強くよみがえってくるわけであろう。
そしてまた、それが私自身の意識するとせざるとにかかわらず、
自分にとって一つの罪の土地であったという観念も
また逃れ難い重さで迫ってくるのだ。
いま、東北を列車で旅しながら、短命だった「満州国」の、
そのなりたちから崩壊までのいろいろな出来事が、
パノラマのように頭の中で明滅する。
私が夢多き青春期をおくったのは
協和会服が幅をきかしている頃の満州だった。
官にも、民間にもほんとうに真剣に、理想にもえて、
満州の建国に取り組んでいる人もいた。
満州建国の歴史の中の、
血ぬられた部分や謀略の匂いのみちみちた部分には目をそむけたくなるし、
悔悟の念もしきりなものがある。
しかし、まじめに、理想にもえて、
取り組んでいた人たちの善意と努力のあったこともまた事実で、
それを思うことが、わずかに救いである。
そうでなければ、眩しくてとても目をあけて、
赤い夕日なんか眺められるものではなかろう。



●大 久光

大陸は私の青春會遊の地である。
そんなことは、建設にいそしむ新しい中国とは何のかかわりもない、
後ろ向きの世界のことである。
しかし私にとって青春の源流をさかのぼる感傷の旅でもあった。・・・・・
しかしその過去は、必ずといっていいほど、中国側の痛みであった部分に、
突き当るのだ。
それがいま、私の胸に突き刺さってくる。

・・・大連がたまらなく、懐しい。行ってみたいと思う。
行こうと思えば行ける機会が何度もあった。
しかし、その都度、藤堂氏をためらわせているものがあったという。

当時は自分では気が付かなかったが、
いま思うと日本人の生活は、
中国人に対する支配と差別の上に立ったものだった。
そのことの自責が、今になってひしひしと心を締めつけてくる。
それが現地への訪れを、ためらわせるのである。
これは植民地で暮したことのある人たちにとって、
共通の感情であり、宿命のようにさえ思われるのである。





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