大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

「むかし Mattoの町があった」 (23)

全国で自主上映
イタリア映画「むかし Mattoの町があった」
監督:マルコ・トゥルコ 制作:クラウディア・モーリ
時間:第1部(96分) 第2部(102分)
http://180matto.jp/




フーコー語録 12 (1961年『狂気の歴史』から)



「・・・監禁の意味は、曖昧な社会的目的性、それによって社会集団が、異質あるいは有害な構成要素を排除できるそうした目的性につきると想定しても必ずしも間違ってはいない。その場合、監禁は≪非社会的な人間≫の自然発生的な排除といえるだろう。・・・・・・」



「少なくとも充分には知られていなかった狂気を、家族の解体、社会的な無秩序、国家にたいする危険として、判然としないまま把握しはじめたにちがいない。しかも、この最初の知覚はしだいに組織化され、結局一つの医学的意識というかたちをとって完成したようであるが、その意識は、当時まだ社会の病としてしか認められなかったものを、自然の病気として定式化したらしいのである。・・・・・・・・」



「・・・・こうした追放行為は、癩者を隔離した行為とおなじく唐突である。・・・伝染を防止するという理由で癩者が追放されたのではなかったのであり、≪非社会的な連中≫追払うためという理由で千六五七年ごろパリの住民の百分の一が監禁されたのではなかったのである。こうした行為には、他の深い理由があったにちがいない。すなわち、その行為は、習慣上ごく長期間たくみに見逃され無視されてきた無縁の人々を隔離しなかった。それは、社会景観になじみぶかい人々を変質させることによって無縁な人々をつくりだし、彼らを、もう誰にも認知してもらえない異様な人物像に変えたのだった。それは、人々が探りを入れなくなったときになって、<無縁の人>を出現させていたのであり、絆をたちきって、親密なつながりをばらばらにしていた。その行為の結果、人間のなかの何かが、人間の力のおよばぬところへ持ち出され、われわれの地平から際限なく遠いところへ後ずさりしてしまったのである。要するに、この行為こそが、疎外〔=錯乱〕を生みだしたのであると、いいうるのである。・・・・・・・・・・」



「 性病患者は、今後百五十年のあいだ、同じ監禁の空間のなかで気違いと共存することになる。そして、彼らのおかげで、気違いは長い間、ある烙印をおされるわけであって、近代人の意識はその烙印に、両者に同じ運命をふりあてる、しかも両者を同じ懲罰の体系に位置づける、曖昧な近親関係を認めるようになる。・・・・・狂気にたいする罰と放蕩にたいする罰のこうした近親関係は、ヨーロッパ意識における古代模倣の一つの跡ではない。それどころか、その関係は近代世界の入口において定められたのである。というのは、その関係がほとんどさらけ出されたのは十七世紀だったのだから。・・・・・・〔監禁の空間では〕狂気は罪と隣り合うようになり、恐らくその点でこそ、今後数世紀にわたって、非理性と罪過との近親関係が結ばれるのであり、今日、精神錯乱者はこの関係を一つの宿命として感じ、医師はその関係を一つの自然な真理として認めているのだ。十七世紀の真最中につくりだされたこの人工的な監禁の空間のなかで、〔狂気と罪のごとき〕曖昧な結合がいくつか組み立てられたのであり、ごく最近、合理主義の時代にはじめてそれらは密接になったのであるが、百年以上にわたるいわゆる≪実証的な≫精神医学によっても、その結合は打破されるにいたらなかった。
 まさしく奇異なことであるが、懲罰と治療とのこうした混同、罰する行為と治す行為とのこうした準同一性を容認したのは、合理主義なのである。合理主義が前提としたのは、医学と道徳の明確な結びつきによって、永遠の懲罰の予測であると同時に健康の回復のための努力であるようなある種の治療であった。根底において人々が探し求めているのは、悪をおこないつつ善をはたす医学的理性の策略であった。・・・・・・」


「人間がおこなう拘束は、神の裁きを助けて、それを無益にしようと努める。こうして、抑圧は身体の治療と魂の浄化において、二重の効果をあげる。かくして監禁は、あの名高い道徳的な矯正処置-懲罰と治療-を実現可能にするのである。・・・・」






(つづく)