大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

ハンナ・アーレント語録 (1)

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ここで、突然、昨年から公開されている
映画「ハンナ・アーレント」の主人公
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/keyword.html


映画だけでは不十分な、
ハンナ・アーレントの言葉




イェルサレムアイヒマン』(みすず書房)から



「あきらかにこの法廷は、イスラエル首相ダヴィッド・ベン=グリオンがアルゼンチンでアイヒマンを誘拐し、〈ユダヤ人問題の最終的解決〉に彼の果した役割について裁判に附するためにイェルサレム地方裁判所に引出させようと決定したとき考えていた見世物裁判に不適当な場所ではなかった。そして、正当にも〈国家の設計者〉と呼ばれているベン=グリオンこそ、この裁判全体の見えざる舞台監督だった。彼は一度も公判にあらわれはしなかった。法廷では彼は検事長ギデオン・ハウスナーの口を通して語った。政府を代表するハウスナーは全力を注いで主人の命令に従ったのだ。・・・・・<正義>は、被告が告発され弁護され判決を受けること、 そしてそれ以外の一見より重要に見える問題-<どうしてこのようなことが起り得たのか?>だの、<なぜ起ったのか?>だの、<何故にユダヤ人が?>、<何故にドイツ人が?>だの、<他の国々はどんな役割を果したか?>、<連合国側にはどの程度まで共同責任があるか?>だの、また<ユダヤ人たちが自らの指導者を通じて自分たちの絶滅に協力したなどということはどうしてあり得たのか?>、<なぜ彼らは羊のように屠殺場に引かれて行ったのか?>だのという-はすべて保留することを要求する。〈正義〉はアードルフ・アイヒマンの重要性を強調する。・・・・・・・
裁判の対象はこの男の行為であって、ユダヤ人の苦難でも、ドイツ民族もしくは人類でも、反ユダヤ人主義や人種差別主義ですらもないのである。」



イスラエルのほとんどすべての人と同じく彼(*ハウスナー検事長)も、ユダヤ人のために正義をおこない得るのはユダヤ人の法廷のみであり、ユダヤ人の敵を裁くのはユダヤ人の仕事であると信じていたのだ。それだから、<ユダヤ民族に対する>罪のためではなく、ユダヤ民族の身を借りて人類に対しておこなわれた犯罪のためにアイヒマンを告発する国際法廷などということがちょっと言われただけでも、イスラエルではほとんど全員一致の敵意に満ちた反応が見られたのだ。・・・・・」




反ユダヤ主義が偏在的・永遠的な性格を持つという彼らの確信は、単にドレフュス事件以来のシオニズム運動における最も有力なイデオロギー的因子だっただけではない。この確信は、ドイツのユダヤ人社会がナツィ体制の初期の段階においてナツィ当局と交渉することを辞さなかったことの原因であって、彼らのこの態度はそれ以外に説明のしようがないのである。・・・・・・
これがいかに危険なものであったかがあきらかになったのは、戦争(*1939年9月)開始後だった。ユダヤ人組織とナツィ官僚とのこうした日常的な接触の結果、ユダヤ人役員は同胞の脱出を助けることとナツィが同胞を移送するのを助けることとの本質的な相違がわからなくなって来たのである。味方と敵との区別がつかないというユダヤ人に見られる危険な無理解を生んだのは、まさに前に述べたあの確信だった。・・・・・」



「1941年にアムステルダムの旧ユダヤ人街でドイツの公安警察の一隊を勇敢にも襲ったあのオランダ系ユダヤ人・・・・430人のユダヤ人が報復的に逮捕され、はじめブッヘンヴァルトで、次にオーストリアのマウトハウゼン収容所で、文字どおり死ぬまで責め苛まれた。数か月にわたって彼らは徹底的に痛めつけられた。・・・死よりも堪えがたいことは幾つもある。そしてSS(*ナチ親衛隊)は、そういう堪えがたいことのすべてを絶えず犠牲者に思い知らせるように心をくばっていたのだ。この点からすれば、これはおそらく他の場合よりも一層重要であるが、この法廷でユダヤ人の苦難のみを語ろうとしたことは真実を、しかもユダヤ人の体験した真実を歪めていたのだ。ヴァルシャヴァ(*ワルシャワ)・ゲットーの蜂起の栄光や少数の抵抗した人々のヒロイズムはまさに、ナツィが彼らに提供した比較的楽な死に方ー銃殺もしくはガス殺ーを拒否したということである。・・・・・」





(つづく)