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ナチ時代の精神医学 (了)

ナチ時代の精神医学ー回想と責任

ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN)の
2010年11月26日 ベルリンにおける追悼式典での談話
DGPPN会長 フランク・シュナイダー
訳:岩井一正
(日本精神神経学雑誌2011 第113号第8号より) *一部略



「・・・・

 「精神的死」、「お荷物的存在」、「生きるに値しない人生」ーこれらすべての言葉は、口にすることだけでもつらい言葉です。これらは深く衝撃をあたえ、動揺させる言葉です。そして
精神科医言論統制、強制断種、殺人に積極的に関与していたことを知ると、われわれは恥と怒りと大きな哀しみで一杯になります。
 恥と哀しみは、私がいまその会長としてここに立っているこの組織が、犯罪行為から70年たってはじめて、自らの過去と国家社会主義の時代の先代組織の歴史を系統的に把握分析しはじめ、そしてー歴史的な細部の解明はまだ別に残されたままー強制移住、強制断種、強制研究、そして殺人の犠牲者に許しを請うことです。


 私はドイツ精神医学精神療法神経学会の名において、国家社会主義の時代にドイツ精神医学の名においてなされ、ドイツの精神科医によって実行され与えられた苦しみと不正に対して、またそれに続く時代のドイツ精神医学の長い沈黙、些少化、抑圧に対して、犠牲者とその家族にお詫びを申し上げます。


 多くの犠牲者も、そして殺されなかったものも、そしてその親族たちも、いまではもう生きていません。その限りで、この謝罪は遅きに失したものです。しかし生きているものにとって、その子孫にとってはあるいはまだ間にあうかもしれません。なかにはきょうわれわれと一緒に列席している方もおられます。そして今日のすべての心的に病んだ人々にとって、また今日の精神科医にとって、そしてDGPPN自身にとっても、あるいはまだ間にあうかもしれません。

 苦悩と不正、まして死は、とりかえしがつきません。しかしわれわれは学ぶことができます。そして多くを学びました。精神医学、そして医学全体、政治、社会を。そしてわれわれは皆で、人道的な、人間的な、個々の人間を指向した精神医学を打ち出し、作業し、犠牲者を常に念頭におきつつ、心的患者の烙印や排除に対して戦うことができます。

 われわれ精神科医は、人間に対する価値評価に陥ってはなりません。われわれは教え、研究し、治療し、寄り添い、治癒に導きます。侵すことのできない人間の尊厳は、常に個々の人間の尊厳であり、われわれはいかなる法律やいかなる研究目的によっても、これを軽視する方向に導かれてはなりません。

 われわれは学んだのです。まさに機能停止の状態から学びとったのです。このことは、たとえば、移植前の診断学安楽死のように、あまりにも早急に人間の「価値」や「無価値」を、論じようとする目下の医学倫理学的な討論にも幸いにも軌を一にしています。これらの討論は、難問として残されています。しかし、目的は私にとって、DGPPN(*・・学会)にとって、きわめて明瞭です。人道的な医学のために、人間の尊厳を守る未来のために、そしてあらゆる人間の尊厳を尊重するために、われわれは働こうではありませんか。

 ご静聴ありがとうございました。


  フランク・シュナイダー
  ドイツ精神医学精神療法神経学会(DGPPN) 会長  」

  



(了)



http://www.dgppn.de/fileadmin/user_upload/_medien/images/Psych_im_Nat/Wanderausstellung/Broschuere_Japan_2015.pdf





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