大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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「戦争とストレス」語録 13

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その1『戦争における「人殺し」の心理学』から ~12
(デーヴ・グロスマン著)



「 殺人の恍惚に酔いしれているなら別だが、少し距離をおくほうが破壊は簡単になる。1フィート離れるごとに現実感は薄れてゆく。距離が膨大になると想像力は弱まり、ついにはまったく消え失せる。というわけで、最近の戦争では目をおおう残虐行為の大半は遠くの兵士が行っている。自分の使っている強力な武器がどんな惨事を引き起こしているか、かれらには想像することができなかったのだ。
             グレン・ゲレイ「戦士たち」

・・・犠牲者が心理的・物理的に近いほど殺人はむずかしくなり、トラウマも大きくなる。

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<図>
(近い順)

性的距離、素手、ナイフ、銃剣、近距離(拳銃/ライフル)、手榴弾、中距離(ライフル)、長距離(狙撃、対戦車ミサイル)、最大距離(爆弾、砲撃)




 いっぽうの極には爆撃や砲撃がある。長距離殺人が比較的容易であることを示すためにしばしば引き合いに出される例だ。だが、反対側の極に近づくにつれて、殺人への抵抗感はしだいに強烈になってゆき、ついにその極にいたって最大に達する。銃剣やナイフでの刺殺になると抵抗感はすさまじいほどになり、素手で殺すにいたってはとうてい考えられないことになる。しかし、これでもまだ終わりではない。極の極には、セックスと殺人が渾然とまじりあう背筋の凍る領域があるのだ。」



「 (*第二次大戦中)ハンブルグでは7万人が死んだ。ドレスデンでは、1945年の同様の焼夷弾爆撃で8万人ほどが命を落とした。東京では、焼夷弾によるたった2回の空襲で、22万5000人(*?)が火事場風のために死んでいる。広島に原子爆弾が落とされたときは7万人が犠牲になった。(*ただし、1945年12月末までに約14万人が死亡したと広島市は推計している)第二次大戦を通じて、両軍の爆撃機の乗員たちは何百万という女性、子供、老人を、自分の妻や子や両親と変わらない人々を殺害した。これらの航空機のパイロット、航空士、爆撃手、射手は、主として距離という要因がもたらす精神的な後押しによって、これらの民間人をあえて殺すことができたのである。頭では自分たちがどんな災禍をもたらしているか理解していても、距離のおかげで気持ちのうえではそれを否認することができたのだ。・・・遠くからはだれも友だちには見えないのだ。遠くからなら、人の人間性を否定することができる。遠くからなら悲鳴は聞こえない。」



「紀元前689年、アッシリアセンナケリブ王はバビロンの都を破壊した。

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 バビロンでは、だれかが何万という男女や子供を自分の手で押さえつけ、そのおびえたバビロン人たちをべつのだれかが突き刺し、切り捨てていかねばならなかった。ひとり、またひとりと孫や娘や息子が暴行され虐殺される悲鳴を聞きながら、祖父たちは苦悶の涙を流していた。わが子が暴行され切り刻まれるのを見ながら、父と母は断末魔の苦しみに身をよじっていた。

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 ナチでさえ、たいてい男女や家族を別々に収容していたし、犠牲者を銃剣で突き殺すことはめったにしなかった。殺すときは機関銃を好んで使い、ほんとうに大仕事のときはガス室のシャワーを選んだ。バビロンの悲惨さはまさに想像を絶している。

 
 私の落とした爆弾が・・・・・ここに引き起こした悲惨な死を思いを描くことができなかった。私に罪悪感はなかった。達成感もなかった。ーーダグラス・ハーヴィ(第二2次大戦の爆撃機パイロット。再生ベルリンを60年代に訪れて)ポール・ファシル『戦時』より


 ハンブルグとバビロンではどこが違うのだろうか。結果にはなんの差もない。どちらも罪もない人々が痛ましい死にかたをし、都市は破壊された。では、なにが違うのか。
 その違いは、ナチの死刑執行人がユダヤ人に対してしてことと連合軍の爆撃機がドイツや日本にしたこととの違いである。カリー中尉がベトナム人でいっぱいの村に対してやったことと(*ベトナム戦争中の1968年、アメリカ軍兵士がソンミ村のミライ集落で非武装ベトナム人住民を虐殺した事件)、多くのパイロットや砲手が同じベトナム人の村に対してやったこととの違いである。
 その違いはつまりこういうことだ。バビロンやアウシュヴィッツやミライ(*ソンミ)村の虐殺者についてじっくり考えるとき、そんな慄然たる行為を行ないえたかれらの病的な、理解不能な精神状態にたいして、人は心理的に嫌悪感を覚える。相手は同じ人間なのに、どうしてそんな非人間的な残虐行為を働けるのか理解できない。その行為を私たちは人殺しと呼び、その行為者を犯罪者として捕らえて裁きを受けさせる。それがナチの戦争犯罪人であろうと、アメリカの戦争犯罪人だろうと、そして個人を裁くことで、これで文明社会では許容されない逸脱行為なのだと自分に納得させて心の平和を得るのである。

 しかし、ハンブルグや広島に原爆を落とした者について考えるとき、その行為に嫌悪感を抱く人は少ない。少なくとも、ナチの死刑執行人に対するほどの嫌悪感を抱くことはないはずだ。この爆撃機の乗員たちに精神的に共感するとき、すなわち自分自身
をかれらの立場に置いてみるとき、自分だったらそんなことはしないと心から言いきれる人はほとんどいないだろう。だから、犯罪人として裁くことはしない。私たちはかれらの行動を合理化する。
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 爆撃機の乗員の境遇に同情の手を差し伸べるとき、私たちはまた犠牲者にも同情する。奇妙なことだが、イギリスやドイツの戦略爆撃の生存者には、その経験によって長期的なトラウマに苦しんだ者はほとんどいない(*kemukenu注:??)。ところが、ナチの強制収容所の生還者のほとんど、そして戦闘を経験した兵士の多くはトラウマに苦しんだし、いまも苦しみつづけている。犠牲者の目から見れば、このふたつの惨事には質的な相違があるのだ。

(中略)

爆撃の死は、距離というきわめて重要な要因によってやわらげられている。爆撃は非対人的な戦争行為であり、特定の個人の死を意図したものではないという意味で自然災害に近い。」






(つづく)