大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

紙屋悦子の青春

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東京・岩波ホールで「紙屋悦子の青春」を観る。



音楽としてのBGMは、最後のタイトルとスタッフのリストが
画面に出るところだけに流れた。
「ともすれば感傷に流れる傾向を避けたい」という
黒木和雄監督の希望があったからだ。
私には、それが新鮮だった。
鳥のさえずりも、波の音も、自然のざわめきも、
家で暮らす中で出る音も、実は本来、くらしのBGMだった。
じっと耳をすませば、聴こえてくる。
そして、昔はチンドンも、物売りの声も、納豆や豆腐屋さんのラッパや声が、
聞こえていた。


戦争の問題は、実に重い。
私も、学生時代、「あれはなんだったのか」「なぜ・・・」と、よく疑問に思っていた。
私の父と母と、兄、姉は満州からの、引揚者だった。
しかし私は戦後の生まれで、いわゆる団塊の世代である。
そのせいか、朝鮮から引揚げた五木寛之満州から引揚げた安部公房の作品が、
好きだった。デラシネ、故郷喪失・・・ 映画監督の山田洋次・寅さん
昭和50年代に、旧満州(現在の中国東北部)にも行った。

私にとって「戦争」の問題は、いまでも、時々頭をもたげるテーマだ。
それほどに、奥が深いのが「戦争」だと思う。
それは必ず、死、故郷、被害者と加害者、植民地、責任、罪、出会いと別れ、青春、
立場・状況とのかかわりと生き方、心の傷などの問題にふれてくるからだろう。
それだけに、おおげさに語られることは少ない。
語られたとしても、ほんの一部なのかもしれない。
何らかの形で戦争にかかわった一人一人が、
それぞれのトラウマと記憶、こだわりをかかえる。
「戦争」は共通であっても、かかわった体験や場所や年代によってちがう。
戦後61年、それを語ることのできる、当時を体験し、記憶している人たちが、
しだいに減っていく。特に、出征した年代の人たち。
銃後の人や小国民だけでは、バランスを欠く。
語ることをあきらめ、一方で、静かに耳をかたむける姿勢をもたない。
風化は、時間の問題である。
しかし健在ならば、身近な祖父母や親戚から、まだ話を聞けるかもしれない。
当時の人は、何を思い、どう受けとめていたか。
私の両親は、すでに他界した。自分自身、両親の話に耳をかたむけたか疑問である。

戦争とは何か、静かに問う「紙屋悦子の青春」は
昭和5年生まれの黒木和雄の遺作となった。