大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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蟻の兵隊

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映画「蟻の兵隊
9月14日 東京・イメージフォーラム



1958年(昭和33年)生まれの監督が、
1924年(大正13年)生まれの元日本兵をとりあげた。
「あれは・・、あの戦争はなんだったか」を執念をもって、
自分がかかわった現場に行き、そして関係者を訪ね歩き、問いつづける元日本兵
主題は「日本軍山西省残留問題」から、「なぜ、自分は中国人を殺したか」に、
後半、移っていく。
問う旅は、問われる旅でもあった。
戦争で生き残り、人を殺した経験をし、それを後の世代に正直に伝えようとする
日本兵
しかし、映画の中で語られたことは、ほんの一部にちがいない。
きっと、語れないこと、言葉ではつくせないことが、
たくさんあったのではないだろうか。

一方、このドキュメンタリー映画に、演出の過剰を感じるのは私だけだろうか。
冒頭の、靖国神社で女子高校生に「このおじさんは、えらいんだよ」といって、
無理やり接近し、世代の戦争観のちがいを浮き彫りにしようとするシーン。
蟻の兵隊」だから、「蟻」が出てくるイメージ。
靖国神社で「侵略戦争を美化するのですか」と小野田元少尉と、言葉で対決させたシーン。
それに、BGM(音楽)である。必要だったかどうか。
プログラムによると、後半から「生命」がテーマとなるから、
心臓の鼓動を音として使いたいという監督の注文があったので、
音楽プロデューサーは人間の心臓音とシンセサイザーを組み合わせ、
シーンによって使い分けたという。
黒木和雄は「紙屋悦子の青春」では、感傷に流れる傾向をできるだけさけるため、
タイトルバックだけに音楽を使った。
しかし、この映画では、元日本兵の歩む道のりに、演出過剰ともいえる音楽が使われていた。
戦争から遠い世代ほど感傷的にとらえ、それを不自然と思わないのかもしれない。


初年兵に対する銃剣による刺突訓練。
この言葉や内容を聞いたのは、はじめてではなかった。
やはり元日本兵の井上俊夫の本「初めて人を殺す」(岩波書店)で、読んだことがあった。
はじめは、ふるえながら行っていたことが、恥じることなく、自然に行われてしまう。
石川達三の「生きている兵隊」
戦場で人を殺すとはなにか。罪とはなにか。「殺人のたやすさのあたえるおそろしさ」
1912年(明治45年)生まれの作家、武田泰淳は、その中国での戦場体験から、
この問題を深くとらえ、「審判」や「風媒花」、「汝の母を」などの小説を書いた。

日中戦争での日本の兵隊の心理と行動は、
ひょっとして「戦争一般」の問題だけでは、とらえられないのではないか。
補給状況の困難からくる徴発・略奪の容認、略奪・放火・殺人への発散から面白半分の愉楽へ、
戦闘員と非戦闘員の区別ができない状況、日本軍の捕虜に対する考え方・戦陣訓、
武勇伝と自慢・強がり、残虐行為の見物、勝利者意識・万能感、
中国(人)に対する優越感・蔑視、
度胸のついた一人前の男・兵士になりたい願望、「試練」という意識、強者の意識、
殺さなければ殺される状況、軍刀や銃などの兵器感覚:試してみたい、
日本軍隊内部でのうっくつ・私的制裁→外部へ、大日本帝国の軍の後ろ盾、・・・
などなど、いろいろな側面があるような気がする。


いずれにしろ、元日本兵の奥村和一さんが、演出をこえて自分の言葉で語り、
真剣に、執拗に「戦争と人間」を問いつづけている姿勢にほっとした。
「戦争」は観念や感傷だけでは、とらえられないと思った。



***
帰ってから、「私は「蟻の兵隊」だった」(岩波ジュニア新書)を読む。
酒井誠という中国通のすぐれた聞き手の質問に、
奥村さんが答える形をとって、映画ではふれていない当時の空気・ふんいき、
背景、奥村さんの考え、その後の活動の経緯などがわかりやすく書かれている。
戦争をイメージでとらえないためにも、この本は映画のプログラムよりもオススメだ。