大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

12月8日(1)

12月8日(1)知識人・文化人



12月8日が近づいてくる。
昭和16年12月8日、
開戦の日を、当時の人々は、どう受けとめていたのだろうか。
調べてみた。
終戦(敗戦)記念日も、重要なのかもしれないが、
私には、開戦の日も、
戦争への道のりのひとつとして、
また、戦争を全体としてとらえ、
当時の雰囲気とともに、考える手がかりとして、
もっと、掘り起こされてもいいのではないかと思う。




十二月八日、宣戦の大詔が下った日、日本国民の決意は一つに燃えた。
爽かな気持であった。これで安心と誰もが思い、
口をむすんで歩き、親しげな眼なざしで同胞を眺めあった。
口に出して云うことは何もなかった。建国の歴史が一瞬に去来し、
それは説明を待つまでもない自明なことであった。
(中略)中国文学研究会一千の会員諸君、
われらは今日の非常の事態に処して、
諸君と共にこの困難なる建設の戦いを戦い取るために努力したいと思う。
道は遠いが、希望は明るい。相携えて所信の貫徹に突き進もうではないか。
耳をすませば、夜空を掩って遠雷のような轟きの谺するのを聴かないか。
間もなく夜は明けるであろう。
やがて、われらの世界はわれらの手をもって眼前に築かれるのだ。
諸君、今ぞわれらは新たな決意の下に戦おう。諸君、共にいざ戦おう。
・・・歴史は作られた。世界は一夜にして変貌した。
われらは目のあたりそれを見た。感動に打顫えながら、
虹のやうに流れる一すじの光芒の行方を見守った。
胸にこみあげてくる、名状しがたいある種の激発するものを感じ取ったのである。
・・・不敏を恥づ。われらはいはゆる聖戦の意義を没却した。
わが日本は、東亜建設の美名に隠れて弱いものいぢめをするのではないかと
今の今まで疑つてきたのである。
わが日本は強者を懼れたのではなかつた。
すべては秋霜の行為の発露がこれを証してゐる。

大東亜戦争と吾等の決意」開戦に寄せた断固たる宣言文 「中国文学」昭和17年1月(竹内好




しめ切った雨戸のすきまから、まっくらな私の部屋に、
光のさし込むように強くあざやかに聞えた。二度、朗々と繰り返した。
それを、じっと聞いているうちに、私の人間は変ってしまった。
強い光線を受けて、からだが透明になるような感じ。
あるいは、聖霊の息吹きを受けて、
つめたい花びらをいちまい胸の中に宿したような気持ち。
日本も、けさから、ちがう日本になったのだ。・・・
いやだなあ、という気持は、少しも起らない。
こんな辛(つら)い時勢に生れて、などと悔やむ気がない。
かえって、こういう世に生れて生甲斐をさえ感ぜられる。
こういう世に生れて、よかった、と思う。
ああ、誰かと、うんと戦争の話をしたい。やりましたわね、
いよいよはじまったのねえ、なんて。・・・・
銭湯へ行く時には、道も明るかったのに、帰る時には、もう真っ暗だった。
燈火管制なのだ。もうこれは、演習でないのだ。
心の異様に引きしまるのを覚える。

「十二月八日」(創作)婦人公論 昭和17年2月号(太宰治