大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

タルコフスキー語録 (3)

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ノスタルジア」初公開当時のパンフ(古書店で入手)から



タイトルの「ノスタルジア」は、
必ずしも原義の全容を伝える訳語ではないが、
遥か離れたものへの、
そして結びつけることのできない世界への、
しかし内なる故郷であるものへの、
焦がれるような思いを意味している。


私は、分断され切り裂かれた世界に生きることの不可能さを表現したかったのだ。


ただ、一つの旅だけが可能である。
内部世界へ向けて行われる旅だけが。
惑星の表面を走り廻っても、大したことは学べない。
私はまた、回帰のための旅も信じない。
人は出発点にもどることは決してできはしないのだ。
その間に自分自身が変化していってしまうのだから。
・・・・我々は、亀の甲羅のように、自らの魂の家を背負っているのだ。
世界の国々を旅することは、象徴的な意味での旅でしかない、
どこに辿り着こうと、
やはりまだ自分自身の魂を追い続けているのだから。


自らを精神的に乗り越えようとする努力、
成長の中で生まれた時の自分とは違うものになろうとする努力-
私は、ここに人間存在の唯一の意味づけを認める。


人類は自らを信じることをやめてしまったかのように私には見える。
・・・・・・
信じることをなくした人間、
自らの行動によって自分が生きている社会に影響を与える望みをなくした人間。


自らの源泉から遥かに離れてしまい、そこに帰れなくなってしまった者-
その人間が苦しまなければならない死に至る病い、
これこそ、この映画に描いたノスタルジアである。


我々は、自然から自らを守り、自然を征服しようと企ててきたわけだが、
その中で、物質的な発達を優先してきたあまり、最終的には、
自らつくりだしたテクノロジーと対抗するには全く無防備に成り果ててしまったのである。
私にとっては、人間は、その実質において、
本質的に精神的存在であり、
人生の意味とは、この精神性を発展させることにあるのだ。


世界を変革する前に自分自身を変革する必要があるように私には思える。
人間は、自らの精神的存在を、内部世界を、
静かに、調和を保ちながら、他の活動と同調させながら、
変えていく必要があるのだ。