大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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ルオマの初恋 (2)

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「ルオマの初恋」 監督:章家瑞(チアン・チアルイ)
中国映画 (東京都映画美術館)
その2




以前、タイ北部の少数民族をたずねるトレッキングツアーに
参加したことがあった。(カレン族とラフ族)
少数民族の女性の民族衣装やかぶりものにつける装飾は、さまざまだ。
衣服につける刺繍の飾りも手織りなので、
文様ハシンプルで、渦巻き、雷・波、直線、樹木、
カラフルな糸の組み合わせなどでデザインされていた。

この映画のルオマが着るハニ族の民族衣装にしてもそうだ。
腕輪、帽子の装飾、衣服の手織りの飾り、銀貨、銀細工、子安(宝)貝、
銀鋲、ビーズ、貝ボタン、木の実、刺繍、鈴、もめん糸、・・。
これらは、いまは装飾となっているが、
昔は、悪霊の侵入を防ぐ魔よけとか
体の中の魂を封じ込める意味があったといわれている。
そして帽子、かぶりものは単なる帽子ではなく、
髪の中に魂がやどっているという信仰から、
魔除けと、魂がにげないようにする意味があったという。


ハニ族の村にも、ブランコがあった。
私は、このブランコで子どもが遊ぶ風景を見て感激した。
ある学者によって、東南アジアの山地民族の村には、
日本と同じような子どもの遊びがあると聞いていたからだ。
タコあげ、コマ回し、羽子板、竹馬、おはじき、そして、ブランコ。
このハニ族と親戚にあたる民族である、
タイ・ミャンマーラオス国境付近のアカ族(イコー族)では、
ブランコ乗りは、悪霊を払うための正月の行事のひとつという。
そして、今回たまたま、コメントをくれた人のホームページを見たところ、
なんと、ネパールの山村のブランコの写真があってびっくりした。
たかがブランコだが、日本と不思議なつながりを感じるのである。


ハニの女性は糸を紡ぎ、機織をする。
東南アジアの山地民族の女性は13,4歳で機織りをするという。
ラオマが、おばあちゃんに頼まれて、
子牛にカラフルな胴着を着せるシーンがある。
胴着はとても美しく、おばあちゃんが織り上げた布だ。
まるで民族衣装のようである。
魔よけとしてなのだろうか、家族としての子牛の成長を祈り、
おばあちゃんの、いやここで暮らす人たちの魂がこもっている。
しかし、水牛は稲作の豊穣を祈るためや、
土地の守護霊にささげる儀式の犠牲になることがあるという。
雲南省や東南アジアの山岳地帯の少数民族では、おこなわれているらしい。
きっと、水牛はハニ族の人々にとって神聖な動物で、特別な思い入れがあるのだろう。


そして、映画での民族文化のハイライト。
田植えと稲魂様迎えのシーンである。

稲魂様は、冬のあいだ家で休み、再び田んぼに出る。
そして、春から秋の収穫まで水田で暮らし、稲の生長を見守るのである。
だから稲魂は、稲魂様として、賓客、マレビトとなる。
稲の実りは、天候、暑さ寒さ、雨の多少、病虫害、暴風雨などによって、
左右される
稲に魂が宿っているとかんがえ、稲の神をまつり、いのり、
稲の神の力で稲を元気に育て、稲を外敵からまもってもらう。
稲魂は、稲作を守り、豊作を恵むことによって村人の生活を保証するのである。
田おこし、田植え、稲刈り、脱穀、米倉への収納、
その折り目ごとにお酒と供物をそなえて、稲魂様(田の神)を迎え、
稲作が成功して豊作が約束されるよう祈願する。
今の日本では、ほとんどみかけなくなったが、そんな稲作の儀礼が、
東南アジアの稲つくり農民のあいだでは広く行われているという。
そんな、稲魂信仰がここ雲南のハニ族の村でも、生きている。

田植えの行事。
まず太鼓の音がひびく。若い男女が歌を唄いながら踊る。
稲魂を呼び、男女の歌の掛け合いが始まる。


(シナリオから)
男性陣の一人「稲魂様、われらの田に降りたまえ」
(女性たち、かん声をあげ一斉に田植えを始める)
再び男性「♪稲魂様、われらの田に降りたまえ」
(掛け合いが始まる)
男性陣の一人「♪若緑の早苗は麗し乙女よ」
男性陣全員「♪麗し乙女よ」
女性陣の一人「♪大きな田んぼはたくまし若衆よ」
女性陣全員「♪たくまし若衆よ」
男性陣の一人「♪乙女 嫁に来てくれな 田んぼに稲穂は伸びやせん」
男性陣全員「♪稲穂は伸びやせん」
女性陣の一人「♪若衆 乙女を娶ってくれな」
女性陣全員「♪若衆 乙女を娶ってくれな」
女性陣の一人「♪伸びた稲穂も実りゃせん」
女性陣全員「♪伸びた稲穂も実りゃせん」
(掛け合いが終わると、男性陣、女性陣、かん声をあげながら
お互いに一斉に水をすくい泥をぶつけあう)


泥んこを投げつけられると、いったん死ぬが、
すぐ新しい強い生命が誕生するという。
生命力ある田んぼになることを願って泥だまを投げあう。
生命が宿っている田んぼの泥を投げあうことによって、収穫を祈るのだ。
もともと、水をかけるのは、その人のいのちのよみがえりを願って、
いのちを再生する力を持つといわれる聖なる水をかけ、
同時にその人を祝福するといわれている。

農耕の儀礼は、大地の生産力を刺激するという意味で、
性的な模擬所作を多く伴うという学者もいる。
この掛け合いを聞くと、たしかにそんなイメージもわいてくる。

「女性の神聖は大地の神聖性に由来する。
女性の産出力には宇宙的原型がある。
すなわちそれは万物を産む母なる大地の産出力である。・・・
母なる大地の神話と祭儀には、何よりも産出力と豊穣の観念がその根底にある。」
(「聖と俗」エリアーデ

映画でのハニ族の田植えの行事は、
歌垣風の男女の掛け合いにより、楽しくおこなわれていた。
印象に残るシーンである。
歌垣とは、男女が集会し、共同飲食しながら歌を掛け合う行事で、
歌垣で婚約し,その後,多くの場合は収穫後に結婚式を挙げるという。
もとは山岳地帯の焼畑耕作民の文化・儀礼だったといわれている。
古代日本でもあったが、現代の中国南部および東南アジア北部では、
いまもおこなわれているそうだ。


日本では田植えの行事はどうだったのだろうか。長いが下に引用したい。

「田植えももとは、大事な神さまの祭りだったのです。・・・・
着飾った女たちが田に入り、田のあぜには、音頭をとるもの、
太鼓をたたくもの、ふえをふくものなどがならびます。音頭とりを「サゲシ」といいます。
神さまをさげるという意味でしょう。音頭とりが太鼓をもつところもありますが、
たいていは、棒の先に紙のきったのをはたきのようにつけたものを持っていて、
田のなかにつき立てます。
サゲシは「サゲウタ」といってサンバイサマ(田の神)をたたえるうたをうたいます。
一同もそのあとをつけてうたうのです。・・・・
もとの田植えは神の祭りとしておこなわれたのでしょう。・・・
サというのは田の神のことなのです。」<「ふるさとの生活」宮本常一


「さおりは、田降りがなまったもので、
おさばいおろしは、<お田神おろし>がなまったもので、
つまり、田の神を、苗代田から本田のほうへ迎えることである。・・・
ただ、苗代(祭り)とちがって種おろしの男が中心でなく、
こんどは、苗という子どもを育てる女が中心となって進められる。
若い生殖力が旺盛な早乙女が主力で、いわば、花形である。
・・・この「さおり」のとき、泥打ちと称し、お互いに、
田の泥をぬりつけあうことをやる。
これは苗を活着させてくれる-田の泥をほめ、
泥を元気づけるための呪術とみるべきものであろう。・・・
田植えは、田植え歌にのって進められる。田植え歌のほとんどが、
色っぽい歌からなっている。・・・稲がよく孕み、
豊かに実るようもという類比呪術からきているとみるべきであろう。
田の周囲には、男たちが立って、・・・早乙女たちをはやしたて、
興奮させるのもそのあらわれである。・・」
<「祭りの謎」榊猪之助 著>


ハニ族と日本は共通の文化をもっていた。


さて、映画で、アミンがルオマの家に来たときに、
おばあちゃんがルオマに「牛の干し肉」をとってこいといった、
その「牛の干し肉」だが、調べてみると、
山地民族では酢肉が珍重され、家畜(映画では牛)や
家禽の肉や獣肉を乾燥させ、塩と炒った米の粉をまぜて、甕につけておき、
ぴったりと密閉して、三ヶ月ほどすると酢肉のつけものができるのだそうだ。


雨が降りしきる中、ルオマハ棚田に落ち、泥に足をとられ、泣き出す。
病に伏すルオマ・・・。
おばあちゃんが棚田に出て、天に向かって、
「ルオマよ、ルオマ、帰っておいで・・・」と、歌をうたう。
美しいシーンだった。
そして、この歌がすばらしく、胸にしみいるのである。
やはり、魂である。魂がはいっているのである。
この土地では、いまでも、人間は魂がからだから離れると、
病気になり死んだりすると考えられているのだ。
そのときは、魂を呼び戻してもらわなければならない。
からだから出ていってしまった魂をよびもどし、
祈りとまじないによってしっかりと、とりこむ呪術をする。

おばあちゃんが立っていたそばには、
おそらく先祖の神や土地の守護霊にであろうお供え物や
魂がおりてくる目印のようなものがあった。



「ルオマの初恋」は、
自然と風景と人がとけあったみごとな映画であり、
ある種のなつかしさを感じさせる映画でもある。



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