大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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かごめかごめ (3)

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かごめかごめ (3)


かごめ かごめ
かごの なかの とりは
いついつ でやる
よあけの ばんに
つると かめが すべった
うしろの しょうめん だあれ




はじめの「かごめ」という言葉は、
このわらべ唄全体の解釈の出発点である。
この言葉の受けとめ方しだいで、
「籠目」、「籠女」の説など、なんでもありとなってしまう。
たしかに、
「暗号」、「伝説」、「謎」、「秘密」、「ホラー」の方が、
おもしろいのだが・・・・


さて、私もはじめ、
前ページの「かごめかごめ(2)」で引用した、
民俗学者柳田国男
「気をつけてみると、この「かごめ」は身を屈(かが)めよ、
すなわちしゃがめしゃがめということであった。
誰が改作したか、それを鳥の鴎のように解して籠の中の鳥といい、
籠だからいつ出るかと問いの形をとり、」という
「かごめ」=「かがめ」説について、
ホントにホント?という疑問をもった。
「かがめ」が「かごめ」に、
そんなに簡単に発音が変化するもののだろうかと。

ところが、インターネットで調べてみると、
京都地方、中国、四国、九州地方、新潟地方などでは、
昔から「かごむ」は方言で、
標準語の「かがむ」の意味で使われてきたということがわかった。
こんなことでも、大発見である。
本来ならば、各地の方言辞典などの資料で裏づければいいのだが、
方言としての「かごむ」=標準語の「かがむ」の意とする
各地の公的団体(市や町)や地元の郷土史家など個人の報告が
ネット上で以下のとおりかなりあるので、それで十分としたい。


丹波亀岡市)・綾部市・瑞穂町(京都府)、
播州弁兵庫県)、
下津井方(倉敷市)、備前岡山県)、
沢谷石見・益田市島根県
広島弁備後弁・福山弁(広島県)、
山口弁・柳井市山口県)、
松山・伊予(愛媛県)、
長崎地方、天草・八代地方(熊本県)、
佐賀弁(佐賀県
指宿(鹿児島県)、
日南(宮崎県)、
魚沼(新潟県魚沼市
・・・・・
(本当は、他にもまだまだあるのかもしれない)


それでは、なぜ、方言「かごむ」=「かがむ」として
使われていなかったと予測される江戸や関東地方にまで
「かごめかごめ」が使われていたのだろうか。
それは、おそらく、
近世初期からの水運の発達などによる関西・紀州から
江戸・関東への醸造業、漁業などの進出による
湊から陸上への伝播の力と思われる。
この段階では、「かがむ」というはじめの意味は、
すでに忘れられ、単なる唱え言葉になっていたか?


つぎに、なぜ、野田市
「かごめかごめ」(全国普及バージョン)の発祥地として
いわれるようになったのだろうか。

野田地方の歌詞が全国に広まったのは、
戦前(上海事変後)の反欧米主義のナショナリズムの高まりを背景に、
昭和8年、広島高等師範学校(現 広島大学教育学部)が、
郷土の民謡、童謡を重視し、当時の日本全土から、
伝承童謡・民謡を集め編纂して出版された「日本童謡民謡曲集」に
掲載されたことがきっかけという。
それまでは各地にいろいろな「かごめかごめ」があった。
現に、この本には野田の他に、
富山地方、愛知県三河地方、山口県熊毛郡周防村の、
そして、続編の「続日本童謡民謡曲集」には、
広島県山縣郡加計町の「かごめかごめ」が収録されていたとのことだ。(以下)

・富山地方
「かごめかごめ かごの中の鳥は いつでてあそぶ よあけごろに
 あかつきかけて なにをかつぐる たれがうしろ」

・愛知県三河地方
「かごめ かごめ 籠の中の鳥は 何時出て遊ぶ 夜明けの頃に 
 暁かけて 何とか告ぐる コツケラ コツケラ コツケラコ」

山口県熊毛郡周防村
「かごめやかごめ 籠の中の鳥は いつもかつもおりやる 
 四日の晩に 鶴と亀がすべつた 誰がうしろ」

広島県山縣郡加計町
「かごめ かごめ 籠の中の鳥は 何時何時 出やつた 
 夜中のうちに 誰がうしろ」

これらの地方の「かごめかごめ」で、
注目すべきは、江戸中期にみられた「よあけのばんに」という
はぐらかしの歌詞がみられず、
素直に意味が通じるものになっていることである。

全国の「かごめかごめ」のうち
野田のものが国民的な歌として採用され、
当時の小学校など教育現場を通じて全国に広められたらしい。
そこには、野田の「かごめかごめ」を採譜した
野田市生まれの山中直治の力があったにちがいない。
山中直治は、野田尋常高等小学校で教鞭をとるかたわら、
童謡や民謡の作曲に従事し、
昭和7年、コロムビアの専属作曲家となったという。
おそらく採譜の段階で、
歌詞の後半部分などを整理・調整して、より歌いやすいようにし、
このわらべ唄を国民的童謡とするため、
全国普及を図った可能性があると思われる。

ちなみに童謡作曲家の河村光陽を父にもつ少女童謡歌手、
河村順子が1932年(昭和7年)、
「かごめかごめ」でポリドールレコードからデビュー。
上にあげた「日本童謡民謡曲集」が刊行された昭和8年の1年前のことである。
レコード会社の競作による全国展開がされたのだろうか。
そして、戦後も引き続き、
学校の授業やマスコミで取り上げられた結果、
野田地方で採譜されたという歌詞・曲が全国的に定着し、
上の普及バージョンの発祥の地とされたようだ。



ところで、一部に「かごめ」=「囲め」という説もあるようだが、
輪遊びとしてのわらべ唄は、
あくまでも輪の中心となる対象に対して名前を呼びかけたり、
動作を指示・命令したりするのが普通で、
同じ動作をしようとしている輪の仲間に
呼びかけ合う例はみられない。

なお、ジュースやケチャップなどトマト・野菜加工食品中心の
製造販売のカゴメ(株)の「カゴメ」は、
「籠目」(籠を編んだときの目、六芒星)の意味とのこと!



いずれにせよ、柳田国男の、
「かごめ」=「かがめ」という解釈が妥当である可能性は高く、
そして、「かごめかごめ」は、
日本の西から東へ伝わっていったといえそうである。




(さらに次回へ、しつこくつづく)

・・・・