大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

青い山脈 (4)

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さて、戦時中の軍歌や軍国歌謡から戦後の「青い山脈」が生まれるまで、
日本の戦争と文化とのかかわりはどういう状況であったのだろうか。
音楽界ではないが、当時の文学界(特に短歌界)の流れを、参考にしたい。
当時の知識人・文化人のおかれた言論統制のきびしい時代、
そして、一方で戦争に熱狂し、まきこまれていった状況がみえてくる。


以下「昭和短歌史(三)」(木俣 修 著)から抜粋

<昭和16年>
「昭和16年12月8日、日本海軍のハワイの真珠湾奇襲を端緒として、「大東亜戦争」の名のもとに太平洋戦争は開始された。

大詔(おおみことのり)ひとたび出でて天(あま)つ日のごとし。
見よ、一億の民(のたみ)おもて輝きこころ躍(おど)。
雲破れて路(みち)ひらけ、
万里のきはみ眼前(まなかひ)にあり。
大敵の所在つひに発(あば)かれ、
わが向かふところ今や決然として定まる。

これは雑誌 『文芸』昭和17年1月号に掲げられた高村光太郎の「彼等を撃つ」という詩であるが、文学者をもふくめた知識人のほとんどすべてがこの詩に表明されているように「歴史的瞬間」を迎えて、「対英米宣戦が布告されて、からっとした気持」(『文芸』昭和17年4月号「戦いの意志」)になったのである。
十二月八日という日を境として文学者の政治に対する抵抗というものはまったく失われて、新しい運命の前に恭順の意を示し、積極的に戦争遂行のため献身を誓ったのであった。政治権力は開戦と同時に予想される抵抗者というべきものを根こそぎ検挙してしまったのであるが、そのことは抵抗すればすべてかくのごとく処断されるのであるという威嚇をともなって、たとえば日和見的な立場に立っていたものも、ここにはっきり戦争を肯定し、一切をあげて戦争遂行の協力者となり国家のために奉仕することを誓わなければ生きていくことはできなくなってしまったのである。
こうして文学は新しい体制のもとにまったき形において政治権力に隷属することになったのである。戦争が文学をその支配下においたといったほうがよいかもしれない。・・・・・文学者の内面からは人間的な精神や人間的な要求は日ましに喪失していき、文学者は憂国的政治家を気取って、書斎を出て街頭に馳駆(ちく)して戦意昂揚のための文化運動に狂奔するといった景況を露呈するに至ったのである。・・・・
文学者はまさしく国民の精神的な指導者としての政治的任務を負わされ、そのことをすることによって文学者としての誇りを感じるような精神状態になっていた。・・・総じて文学者は単純に一兵として働いたのであった。」

「文学者に対して掣肘(せいちゅう)を加え、隷属を強要すると同時に、政治的権力は新聞雑誌はいうに及ばず、出版ジャーナリズムに対しても従来よりもいっそう強力な重圧を加えた。それは検閲という形で行われたのであるが、戦争および政治に対する批判はおろか、戦争謳歌に役立たない有閑的記事に向っても、批判の眼を向けた。そのうえ天降(あまくだ)り式に情報局その他作成の記事の掲載を命じた。その記事は誇大な戦勝ニュースか戦意昂揚に役立つ文章であった。・・・・・
その他、文学者を徴用して現地に派遣することがしきりに行われた。報道班員という名によって、文学者は軍服を着せられ、佐官待遇とか尉官待遇とかで簡単に外地に送りこまれたのである。・・・・
一般の文芸作品にしても、もはや人間的な嘆息をさえもそのまま書くことは許されなかった。もしそうしたことを犯して書けばたちどころに反戦思想支持者という刻印を額におされ、非国民という名で拉致されなければならなかった。・・・」

「・・・従来は戦争に対して若干の批判的態度を持していた歌人もないではなかったが、宣戦の詔勅の下った瞬間、一切の過去は清算されてまったく等しい愛国者となり憂国の志士となってしまったことを、これらの歌(12月8日についての歌人の作品)は雄弁に語っている。詔勅は神の声、天来の声であり、敵を撃つ軍兵は神の背光を持った聖なる使命をもって邪悪なるものを平定せんとして行動しているものであるということ、したがって、それらに刃むかう邪悪の徒はたちまち潰(つい)え去ってしまうであろうということをすべての歌人は何ら遅疑逡巡(ちぎしゅんじゅん)もなく高らかに歌っている。・・・・この没個性の聖戦讃仰(さんぎょう)と神州不滅というオプティミズムが、歌壇全面をおおってやがて真の文学精神を枯渇させ、文学創造を根絶させることになるのである。」

<昭和17年>
「・・・かつて先鋭な短歌論をものにした歌論家たちも次第に戦争を合理化するような理論を組み立てて、戦争肯定、戦争協力の働き手となっていった。・・・」

<昭和18年>
「一般文芸雑誌で辛うじて残存したものは、「新潮」、「文芸春秋」、「文学界」などであったが、・・・・戦意昂揚のための激烈な政治的論説や戦争の報道、戦争小説などが大部分を占めていて、文学の匂いなどというものは嗅ぐこともできないありさまであった。・・・
すべての(短歌の)結社雑誌がその新年号の編集後記にしるした言葉・・・聖戦完遂のために歌をもって戦えという合言葉はこの年にはじまったものではないが、いよいよそ精神が強化されたということになるであろう。・・・・
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(『大東亜戦争歌集』では)戦局激化とともに強化された思想統制の圧力や(短歌)指導者の影響が強く感じられるのである。聖戦は讃(たた)えられなければならないのであって、かりそめにも批判したり、正面からそれによってうける苦痛悲嘆をうったえたりすることは、もはや絶対に許されないことであったのである。」

<昭和19年>
「ジャーナリズムに対する弾圧はいよいよ苛烈になり、その監視のいやがうえにも厳重になってきたことはいうをまたないところ。戦争協力を具体的に示すことのないものはにらまれ、まして戦争批判などの記事でも書こうものなら、ただちに廃刊を命じられるというような状態であった。・・・・
雑誌にあらわれた作品傾向は、・・・「撃ちてし止(や」まぬ」ふうの空虚な観念的な戦意昂揚歌や、記録映画や報道記事による戦争讃歌が相変わらず多くを占めているが、ここに来てそれらのものももはや空念仏ふうのものでしかなくなってしまっている。・・・」

<昭和20年>
(昭和20年敗戦直前)
「刻々に深刻となっていく戦局に対して、なお神がかりの必勝の信念をもって、夷を滅ぼさんといっている作者もあるが、空襲の実態を歌い、疎開のことを歌っているものがかなり多い。また特攻隊に対しての感動を歌っているものもかなりある。しかし、総じてすべては戦意昂揚の建前(たてまえ)においてなされたものであって、空襲の悲惨な場面、肉親知友の爆死の実態などを人間的な悲しみや怒りのなかに歌ったものなどは見当たらない。そういうことを歌っては戦意を沮喪(そそう)するからである。歌いたくても歌えなかったのだ。よしんば歌っても発表はできなかったのである。検閲の眼はいよいよとぎすまされて、戦意を沮喪するかの傾向にあるものは断じて発表を許さなかったのである。・・・」

(昭和20年8月15日)
「国民の大部分は不安・絶望・焦燥・混乱におちいった。・・・
8月20日、長い間の灯火管制が解除されて、明るい夜のよろこびを持つことができたけれども、しかしやがて本土にやってくる連合軍のことを思うとこころは暗かった。
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GHQが戦犯の逮捕をはじめだして、戦時中時を得顔にのさばった軍、官、民の首脳者たちは深刻な事態に直面させられた。
こうした急変した情勢の中に、国民は徐々に、その生命と自由とを回復しうるという希望を持ちはじめた。・・・
それら(国家権力、軍事的支配力)に圧迫され、いためつけられていたものはようやく顔をあげて人間的なよろこびの血をよみがえらせはじめたのである。
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戦争終結によって、即座にこうした(「あなうれし とにもかくにも生きのびて 戦やめけるけふの日にある」「いざわれも 病の床をはひいでて 晴れゆく空の光仰がむ」河上肇)解放感に息づき、喜びの声をうちあげた人は、やはり戦争中つねに戦争に対して抵抗感を持ちつづけてきたものに限られていて、戦争に協力してきたもの、殊にも歌人たちの大部分は失意と前途の暗さに涙をしぼったというのが真実ではなかったかと思われる。
しかし、一時の昂奮状態から覚めて、あたりを見まわし、過ぎし日をふりかえった時、誰しも悪夢のようであった戦争と戦争中におどらされたみずからというものの所行に対する悔しさと怒りを胸にわきたたせなくてはいられなくなってきたのであった。そして戦争終結の解放感を味わいはじめ、自由になった言論を駆使して「ほんとのこと」を語りたくなっていたのであった。・・・・」


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(以下はkemukemu)

昭和16年12月8日は、知識人・文化人や一般の国民にとって、
鬱屈していたものがいっきに解放された日であったようである。
(→このブログの書庫「12月8日)
その後、多くの軍歌・軍国歌謡が発表され、みな歌った。

そして、また、昭和20年8月15日も、
時間を少しかけながら、最終的に「解放感」をもたらしたようである。
終戦後すぐに「リンゴの唄」が生まれ、
その後、民主主義を謳歌する「青い山脈」がヒットした。

戦時中の軍歌・軍国歌謡(2拍子か4拍子)も、
そして戦後の「リンゴの唄」(2拍子)、「青い山脈」(2拍子)も、
元気が出て、心を解放させる面では、共通している。

しかし、どちらも、
明るく元気な歌や曲の背景には、無数の「死」の痛みがある。

戦争は「傷」をつくるだけで、いいことはない。




(次回は最終回)
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