大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

独裁者(8)

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反ユダヤ主義の背景 1>

ユダヤ民族の歴史は迫害と亡命、脱出と離散の歴史であったといわれる。
キリスト教会からみれば、ユダヤ教徒は聖書の生きた証人であった。
一般のキリスト教徒の目には、
あらゆる穢れと罪の化身としてしか映らなかった。

キリスト教は、ユダヤ教に起源を持つといわれているが、
キリスト教ユダヤ教から分離すると、
イエス・キリストを救世主と認めなかったユダヤ人を侮蔑し、
ユダヤ人は永遠に過ちの証人となり、
キリスト教信仰の正しさを示すものとなった。
キリスト教信仰が根を下ろすとすぐに、
ユダヤ人に厳しい非難が向けられ、ユダヤ人は神殺しの民族とされた。


反ユダヤ主義、反ユダヤ感情は、すでにキリスト教の聖書の世界にみられる。
○はコメント
(*「反ユダヤ主義を美術で読む」(秦剛平著)などを参考にした)


パウロ<テサロニケの信徒への手紙一 2章 14-16節 >紀元50~52

「兄弟たち、あなたがたは、ユダヤの、キリスト・イエスに結ばれている神の諸教会に倣う者となりました。彼らがユダヤ人たちから苦しめられたように、あなたがたもまた同胞から苦しめられたからです。ユダヤ人たちは、主イエス預言者たちを殺したばかりでなく、わたしたちをも激しく迫害し、神に喜ばれることをせず、あらゆる人々に敵対し、異邦人が救われるようにわたしたちが語るのを妨げています。」

パウロは、ユダヤ人がイエスを殺したと明言している。


注:以下4つの福音書の成立年代は諸説あるようだが、
多くの学者の説ではマルコが最初で、最後がヨハネとされている。


<マルコによる福音書 15章11節以下>紀元70年代?

ローマ帝国ユダヤ州総督ピラトは群集に向かって「それでは、ユダヤ人の王とおまえたちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と。それに対して群集は「十字架につけろ」と叫ぶ。ピラト「いったいどんな悪事をはたらいたというのか?」群集はイエスを十字架にかけろと執拗に要求し続ける。
15章の15節
「ピラトは群集を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。」


ルカによる福音書 23章13~23節>紀元80年代?

「ピラトは祭司長たちと議員たちと民衆を呼び集めて、言った。『あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返しきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。』しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ』と叫んだ。このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。しかし、人々は、『十字架につけろ、十字架につけろ』と叫び続けた。ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたというのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから鞭で懲らしめて釈放しよう。』ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。・・・」


<マタイによる福音書 27章 24-26節>紀元80年代?

「ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。『この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。』 民はこぞって答えた。『その血の責任は、我々と子孫にある。』
そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。」

○ピラトが群衆の前で手を洗って言ったことは、自らの手で、自らの言葉で直接イエスの処刑に関与することを避けたいと思い、「この人(イエス)に関わってきや手を既に清めた。これから起こることや、この人がこれから流すであろう血に関しては、もはや私には責任がない。この人の処遇ついては、お前達の責任において決めよ」という意味で、兵士達にユダヤ人の望む通りにさせよと命じた。
ピラトはユダヤの群集の声という流れに逆らうことができなくてとか、群集に押し切られて・・・というイメージが強く出ている。

○マタイによる福音書では、ここでイエスを十字架に引き渡す結果責任を、そのときイエスの周囲にいたユダヤ人とその子孫たちにまで無限拡大し、ピラトに手を洗わせて、彼を免罪にしている。ピラトはローマの公権力を代表する者で、この公権力を免罪しなければ、ローマ帝国での伝道は危険なものになるからで、マタイ福音書の記者は、ユダヤ人の子孫たちにまで結果責任を負わせることで、ローマ帝国での伝道の道を手に入れた。

キリスト教反ユダヤ主義者が説教でくりかえしたのは、マタイ福音書の記者が民衆に言わせた『その血の責任は、我々と子孫にある。』という言葉であったという。


ヨハネによる福音書 19章1~16節(新共同訳聖書)>紀元90年代?

「そこで、ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。 兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、そばにやって来ては、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、平手で打った。 ピラトはまた出て来て、言った。「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。」 イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、「見よ、この男だ」と言った。 祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると、「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫んだ。ピラトは言った。「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。」ユダヤ人たちは答えた。「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。」 ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、再び総督官邸の中に入って、「お前はどこから来たのか」とイエスに言った。しかし、イエスは答えようとされなかった。そこで、ピラトは言った。「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」 イエスは答えられた。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」
そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。 それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトがユダヤ人たちに、「見よ、あなたたちの王だ」と言うと、彼らは叫んだ。「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。 そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。こうして、彼らはイエスを引き取った。」


ヨハネによる福音書 8章44節(新共同訳聖書)>紀元90年代?

エスは、
「わたしの言っていることが、なぜわからないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころにしていない。・・・・」

ヨハネによる福音書では、イエスの言葉として、ユダヤ人が悪魔であることを印象づけ、イエスを十字架に架けたのは悪魔であるユダヤ人だとされている。


また、キリスト教の歴史において、
「ユダ」と「ユダヤ人」は、しばしば同一視され、
ともに憎しみの対象とされることが多かったという。
ユダはイエスの12人の弟子たちの中で唯一ユダヤ(地名)出身者であった。
(他の11人はガリラヤ出身)
後期に成立した福音書ヨハネ福音書など)ほど強く、
ユダがイエスに対する「裏切り」者とみなされ、
エスの受難物語では、ユダがイエスユダヤの官憲に引渡し、
ユダヤの大祭司が彼に死刑の判決を下し、
ローマ総督が彼の無罪放免をはかったにもかかわらず、
ユダヤの民衆による死刑要求の声に押されて、
やむをえず、彼を十字架に処したように描かれている。
ユダもユダヤ民衆も、
ともにユダヤ人としてイエスを死に追いやったというのである。
ヨハネ福音書では、イエスを拒否するユダヤ人は、
「悪魔」としてのユダに由来し、本質的に「人殺し」とされている。
キリスト受難劇においても、ユダとユダヤ人は結合し、
ユダとユダヤ人が、
エスを引き渡した者として同時に非難の的とされている。

古代キリスト教神学者であるアウグスチヌスも、
ユダをユダヤ人の代表者とみる。(説話集)

やがて、このアウグスチヌスにより、
「離散するユダヤ人」、「さまようユダヤ人」のイメージがつくられていく。

<アウグスチヌス「神の国」第18巻第46章>~426年

「彼を殺し-彼は死んでよみがえるように定められていたからである-彼を信じようとしなかったユダヤ人は、ローマによっていっそう惨めな仕方で滅ぼされ、その国からまったく絶やされてしまった。その国では、すでに外国人が彼らを支配し、彼らは根こそぎにされて全地に散らされたが、わたしたちにとっては、彼ら自身が聖書を成就したことによって、キリストに関する予言をわれわれが捏造したのではないことの証拠になった。・・・・」

ユダヤ人は「離散のユダヤ人」になり、ローマに対する2回目の反乱に失敗したユダヤ人たちの大半は、紀元135年以降、追い立てられパレスチナの土地を離れる。アウグスチヌスのユダヤ人理解が展開されれば、ユダヤ人は最後の審判まで世界をさまようという中世の理解が生まれ、19世紀にまで継承された。




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