大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

独裁者(11)

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独裁者(10)のつづき




<ロシア>

ユダヤ人抑圧政策を実行に移していたニコライ1世の死後、
1855年、アレクサンドル2世が皇帝になると、ユダヤ人に対して、
全ロシアでの定住を認める解放政策を推し進めた。
この後、ロシアでも産業革命が推進されることになるが、
それに金を融資したのは
ユダヤ系の財閥のフランスのロスチャイルド家・ジェームズだったといわれている。
その結果、ユダヤ人の解放がすすみ、
ユダヤ人の中産階級化がみられるようになる。
1881年、
自由主義的だったロシア皇帝アレクサンドル2世が暗殺されると、
ユダヤ人に疑いがかかり、
アレクサンドル3世は公然とユダヤ人迫害に出る。
この年の4月、
ロシアで最初のポグロムユダヤ人に対する集団的迫害行為、「破壊」を意味するロシア語)が発生した。
エリザベートグラード、キエフオデッサなどユダヤ人の多い町で
ポグロムが起こり、その後、南ロシア一帯に拡大した。
ロシアでもユダヤ人にとっての平和な時代は終わりをとげていた。
シュテトル(ユダヤ人村落)を去ったユダヤ人は、
ロシア各地の都市の零細工場労働者に吸収されていき、
一部のものは社会主義に接近していった。
1882年ユダヤ人差別法である五月法が制定された。
その後、ロシアにおいてユダヤ人に対する迫害と組織的虐殺が始まり、
迫害や貧困から脱出しようと
何百万人というユダヤ人が西ヨーロッパやアメリカに移住していった。


<フランス>

19世紀末、帝国主義膨張を肯定的にむかえる国民の感情・意識と
フランスを至上とする愛国主義が、
ユダヤ系資本へのばくぜんとした反発や、
アルザス、ロシアからのユダヤ人の流入で刺激された反ユダヤ的傾向と共鳴しはじめていた。
1894年にドレフュス事件が起きた。
フランス軍の参謀将校中、
アルザス出身の唯一のユダヤ人だったドレフュスが
スパイ容疑で裁判にかけられ、反逆罪の罪をでっちあげられ有罪となった。
反ユダヤ主義のジャーナリズムにあおられて、
群集は裁判所の前で「ドレフュスを殺せ」と叫んだという。
後に冤罪であることを示す証拠が出てきて彼は無罪となった。
しかし、1898年に
ナショナリズム反ユダヤ主義諸団体が関与した
ユダヤ暴動が多くの地方都市や植民地のアルジェリアでも起きた。


こうして、19世紀後半以降の反ユダヤ主義運動は、
全ヨーロッパを巻き込んでいく。


アメリカ>

東欧におけるユダヤ人迫害の風潮が高まった1880年代になると、
アメリカへの移民は劇的に増え、
彼らのほとんどはロシア帝国や現在のポーランドリトアニアベラルーシモルドバなどの地域に住んでいた
貧しい田舎出身のイディッシュ語を使うアシュケナージだった。
アメリカにおける反ユダヤ主義は、新移民に対する敵意として、
この1880年代に生まれ、
同時にアメリカ人の国民意識が形成された。
敵意は1890年代の国民意識昂揚の時代に広まった。
1881年アメリカにおけるユダヤ人の人口は約5万人だったが、
19世紀後半から200万人超のユダヤ人が移民し、
1924年に移民規制が厳しくなるまで続いた。
多くはニューヨーク市とその都市圏に居を構え
現在に至る最大のユダヤ人コミュニティが形成された。

●映画「独裁者」の1940年公開当時も、
国内には恐慌を脱したヒトラーを評価する人も多く、
反ユダヤ主義アメリカには根強かったといわれている。
映画の最後の演説のはじめに
「・・・・ただ、ユダヤ人にしろキリスト教徒にしろ、黒人にしろ白人にしろ、皆を助けたいだけだ。・・・・」には、
アメリカで、
黒人への人種差別、民族・宗教のちがいによる差別を実際にみたであろう
イギリス出身のチャップリンの、
ドイツだけでなくアメリカへ、
さらに世界への平和を希求するメッセージが感じられる。



<シオン賢者の議定書(ぎていしょ)>超?重要文書

1890年代の終わりから、
ユダヤ議定書』、『シオンのプロトコール』、
ユダヤの長老達のプロトコル』とも呼ばれるようになった。

1902年 ロシアでユダヤ人が世界征服を企んでいるとする、
「シオン賢者の議定書」(プロトコル)が作成される。
制作者はロシア秘密警察とほぼ推定されており、
これは、ユダヤ秘密政府のメンバーが
世界支配の方法を語った議事録という体裁をもっていた。
当時ロシア民衆が持っていた不満を
ロシア皇帝からユダヤ人にそらす意図で作成された偽書と考えられている。
1921年には英『タイムズ』紙の記者により
捏造本であることが解明、報道されたが、
すでにこの本を読んだ民衆は、内容を信じ込み、
よりあからさまにユダヤ人の排斥運動(ポグロム)が起きるようになった。
一時期ユダヤ人迫害が非常に流行するのは、
ロシア革命に伴って世界各国に流布された偽書
「シオン賢者の議定書」によるところが大きい。
1917年のロシア革命後、ロシアの反革命勢力は、
世界の共産革命やボリシェヴィズム化の危険を、
ユダヤ・ボリシェヴィズムの世界支配であると宣伝した。
世界を陰で操ろうと目論む人々(=ユダヤ人)がいるとする陰謀論は、
これを認めるだけで、不愉快な社会的現象を説明できてしまい、
多くの人々を惹きつけたという。

1920年代の初めにドイツでは、
この「シオンの賢者の秘密」としてこの偽書が出回っていた。
ユダヤ人の世界支配を企の陰謀が存在する決定的証拠とされた。

具体的には、世界支配の目標に向けてユダヤ人が党派間の対立を煽り、
自由主義理念を広め、マルクス主義などの助けを借りて
信仰や法と権威への尊重を否定させ、
最終的にはテロをまき散らして、国家間の戦争を起こさせるという。
ロスチャイルド家のようなユダヤ財閥もあり、
「シオンの賢者の秘密」が主張する
ユダヤ人秘密政府による世界支配樹立計画が
大衆の想像力にかなりの影響を及ぼすことは否定できなかった。
もともと、この偽書はロシア人の手によって
「シオン賢者の議定書」としてつくられ、
19世紀末から流布していたが、
当初は人々の関心をひかなかった。
だが第一次世界大戦後、
ロシア革命やドイツ革命といった大きな社会動乱が起こると、
不安を抱く多くの人々の心をつかむようになった。
類似本を含め世界中に広まり、
ユダヤ人による世界征服の陰謀」の話は世界的に流行した。

ヒトラーの「わが闘争」でもこの書に言及していることから、
ヒトラーもこの書から影響を受けていることがわかる。
ヒトラーは1939年の演説で、国際金融資本とボリシェヴィズムを
ユダヤ人の陰謀としている。





次回でやっと最終回


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