大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

「満州」語録 8

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*写真:「最新 満洲寫真帖」(昭和13年発行)から
上 「奉天 満州人街の盛観」
下 「新京駅」




● 『反劇的人間』「終戦後の満州で見たもの」 安部 公房

日本人は、誰かが捕って取り囲まれるでしょう。
それまでまわりにいっぱいいた日本人が、
どこかへスーッといなくなっちゃう。一人もいなくなっちゃう。・・・・・
ぼくだって戦争中からそう思っていました。
日本人というのは世界中でも連帯感の強い国民だと。
たしかに政府はそう主張したがる。
しかし現実には、どうも日本人の連帯感というのは希薄なんだな。・・・・
日本人は個として孤独だから、ある群衆を組んだときに、
異常に群集心理が出る。酔ったようになる。・・・・
しかしその人たちは、
ばらばらになると今度はほんとうにばらばらなんですね。・・・・
この戦後の体験は、いまでも非常に深い強烈な印象ですね。・・・・・
そしてその日本人の泥棒が狙うのも、やはり日本人なのです。・・・・
日本人が日本人を襲っていた。
しかも非常にそれは残酷な襲い方をしました。・・・・
ぼくは日本人の内部構造について、
日本人はとても自分自身に嘘をつくのが上手だという気がしますね。・・・
日本人はよく群がるという、
実は、はじかれるのがこわいのですよ。
なぜかといったら、もともとはじかれた状態で生きているからです。
はじかれることに対する恐怖が疑似集団を作るけど、
たとえば権力が崩壊するといった極端な状態になるとー
はじくことも、はじかれることもない。
コントロールを失った状態になるとー今度はものすごく残酷になる。
ところが、その日本人が中国人や朝鮮人を襲うことはなかった。
なぜかというと、日本人はその時すでに負けた民族だったからです。
・・・・ものすごく残虐なことをやった。・・・・
それを日本人が日本人に対してやる。
だからぼく、終戦後の海外での経験を通じて、
日本人というものについて、それ以来、認識が違ってしまいました。




●八切 止夫

なにしろ私は一九四五年の夏、あまりに死をみすぎている。・・・・
前は憲兵隊と組み、赤軍進駐後はロスケの手先となって脱走兵狩りをし、
同胞をシベリヤ送りにしていた奉天警察総局へ「それっ」と暁の攻撃をかけ、日本人が日本人の警官を雪中に引きずり出し、
興銀の並木を、ずらりと首吊りの木にしてしまった。
さてこの後が大変で、案外に日本人にはレジスタンス精神がなく、
すぐ、長いものに巻かれろといった考えが多いのか、
自分だけ助かろうと密告者が多く、私も逮捕された。・・・・・
「日本人ほど信念がなく権力に弱く、べったりしたがるのはない」と
がっかりさせられた。しみじみといやになってしまった。・・・・
付和雷同的、まことに単純そのものに、
「長いものに巻かれろ」で考えもなしに、進んで協力し、
ご愛嬌に他人を密告するのである。・・・・
おっかない国民である。・・・・





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