大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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「ニーチェの馬」 (1)

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ニーチェの馬」(原題:トリノの馬)」
(監督:タル・ベーラハンガリー>)
東京・イメージフォーラム



kemukemuは、生きている


ひさしぶりに、手ごたえのある印象深い映画を観た。

この「ニーチェの馬」という作品は、監督によると、
イタリアのトリノの広場で泣きながら、
街角で鞭打たれる馬の首をかき抱き、
そのまま発狂したという有名なドイツの哲学者ニーチェの逸話に
インスパイアされて生まれたという。
「その後、あの馬はどうなったのか」という疑問を追う映画だそうだ。


ニーチェが精神錯乱の前に馬にかかわったというのは、
本当だろうか。

そこで、kemukemu探検隊は、
映画のことは別として、
ニーチェがイタリアで精神錯乱状態になったときのことを
いくつかの資料で調べてみた。


●「世界の名著57 ニーチェ」(責任編集:手塚富雄 中央公論社1978)
手塚富雄の解説から
「一八八八年末から、精神錯乱の徴候があらわれた。トリノの広場で死んだようになっているところを人に発見され、二日二晩ソファーの上で」昏睡をつづけ、目ざめたときは、もはやかれではなかった。むやみに歌い、むやみに奏した。・・・・」


●「ニーチェ」ジャン・グラニエ著(1982)(文庫クセジュ 1995白水社から発行)
「一八八九年一月三日ニーチェトリノのカルロ・アルベルト広場で発狂、昏倒する。・・・」


●「ニ―チェ ツァラツトゥストラ供彙羝?ラシックス手塚富雄訳 解説:三島憲一 2002中央公論社)」の巻末の年譜
「1889年 一月三日」、トリノのアルベルト広場で昏倒、宿の主人に運ばれて部屋に帰る。三日より七日までの間に、「ディオニュソス」あるいは「十字架にかけられた者」と署名した狂気の手紙を、知人、友人あてに出す。・・・」


一方、真実として説明されている次のような資料もあった。

●「ニーチェ その思考の伝記」リュディガー・ザフランスキー著(2000年)法政大学出版社より2001年に(山本尤訳)発行
「一八八九年一月三日、ニーチェは自分の部屋を出て、カルロ・アルベルト広場に行くが、そこで辻馬車の御者が馬を殴っているのを見る。ニーチェは泣きながら馬を守ろうとして馬の首にしがみつく。同情に打ち負かされて、彼の精神は崩れ落ちる。数日後、フランツ・オーヴァーベックが精神錯乱に陥った友人を引き取っていった。・・・・」


しかし、下の資料では「挿話の真偽のほどはたしかではない」としている。

●「ニーチェ事典」(弘文堂 1995年)
トリノ」の項から
「1889年1月初めにニーチェは知人、友人に宛てていわゆる「狂気の手紙」を書き送り、ブルクハルトの警告を受けてトリノに急行したオーヴァーベックは、部屋のなかで裸で踊り狂うニーチェの姿を発見したという。狂気の発作を起こしたとき、ニーチェトリノの街頭で馭者に鞭打たれる馬を見て、通りを横切って馬の首に抱きつき、声を上げて泣いたという説が伝っているが、ドストエフスキーの『罪と罰』の一場面を思わせるこの挿話の真偽のほどはたしかではない。」(大石紀一郎)

聞き捨てならない、
上の「ドストエフスキーの『罪と罰』の
一場面を思わせるこの挿話」という言葉に注目した。
昔読んだ「罪と罰」は「断捨離」で処分しているので、
わざわざ図書館に行き「罪と罰」を改めて流し読みし、その場面を探す。

あった、
前半に、その思わせる一場面があった。

長いが、以下に抜粋。「・・・・」は省略部分。


●「ドストエフスキー全集6「罪と罰」」(小沼文彦訳 筑摩書房)から

ラスコーリニコフの見た夢は恐ろしい夢であった。彼が見たのはその子供時代、まだ田舎の町にいた時分の夢であった。
彼は七歳ぐらいで、ある祭日の夕方、父親と一緒に町の郊外を散歩していた。・・・・・・・
 彼は父親と一緒にその道を墓地のほうへ向かって歩いていく途中、ちょうど居酒屋の前を通りかかった。・・・・・居酒屋の入口の階段のそばには一台の荷馬車がとまっていたが、それが実に奇妙な荷馬車だった。それは大きな駄馬を何頭かつけて貨物や酒樽などを運ぶのに使う、大型の荷馬車の一つであった。彼はつね日ごろ、こうした大きなたてがみの長い太い脚を持った駄馬が、まるで積み荷がないよりもこうした積み荷のあるほうがかえって楽だとでもいうように、少しの疲れも見せず、平然と、確かな足取りで、山のような荷物を曳いて行くのを見るのが大好きだった。ところが不思議なことに、いま目の前にあるこんな荷馬車につけられているのは、小さな、痩せこけた、葦毛の百姓馬たった一頭ではないか。・・・・・
 ところがそのとき突然、あたりが急に騒がしくなったかと思うと、赤や青のルバーシカの上に百姓外套をひっかけた、ぐでんぐでんに酔っ払ったひどく大きな百姓が何人か、わめいたり、歌ったり、バラライカを鳴らしたりしながら、居酒屋から」どっと外に溢れ出て来た。・・・・一人の男が叫んだ。「みんな乗せてってやるぞ、乗りなよ!」・・・・真先に飛び乗りながらミコールカはふたたびこう叫ぶと、手綱を取って、馭者台の上にすくっと立ち上がった。・・・・・「この馬はおおかた十年も駆けたことなんぞねえだろうに」「これから駆けるんだよ!」「なにかまうこたぁ一ねえや、いいか、みんな鞭を持って、支度しろやい!」
 一同は笑ったり洒落を飛ばしたりしながら、ミコールカの荷馬車に乗り込んだ。・・・・・「乗れよ!みんな乗れよ!」とミコールカは叫んだ。「みんな乗っけてってやるぞお。うんと引っぱたいてな!」と言うとぴしぴしやたらに鞭を当て、狂気のようになってもうなんで打っていいやらもわからない様子だった。・・・・・・
 「お父さん、お父さん」と彼は父親に向かって叫んだ。「お父さん、あの人たちはなにしてんの?お父さん、可哀そうに馬をぶってるじゃないの!」「さあ行こう!」と」父親は言った。「酔払いの、馬鹿どもが、悪ふざけをしてるんだよ。さあ、行こう、見るのはおよし!」と言って父親は彼を連れ去ろうとした。だが彼はその手を振りほどくと、無我夢中で馬のほうへ走り寄った。しかし可哀そうな馬はもういけなかった。息をあえがせながら足をとめ、また歩き出そうとしたが、あやうく倒れそうになった。・・・・・・
群集の中からさらに二人の若者が、横から馬を殴りつけようとして、鞭を手にして駆け寄った。・・・・・・・
 彼(*少年)は馬のそばに走り寄った。彼は前にまわった。そして人々が馬の目に、まともに馬の鞭を当てるのを彼は見た!彼は泣いた。心臓の動悸は高まり、涙が溢れ出てきた。一人の振りまわした鞭が彼の顔に当たった。だが、彼にはなんの感じもなかった。彼は手を揉みしぼり、わっと叫んで、先ほどからさかんに頭を振りながらこうした出来事に非難の色を見せていた。髪もひげも真白な老人にすがりついた。一人の女が彼の手を取ってそこから連れて行こうとした。しかし彼はその手を振り払って、またもや馬のほうへ走り寄った。馬はもう息も絶え絶えになっていたが、それでもまたまた後足で蹴りはじめた。・・・・・・「叩きのめせ!」とミコールカは叫ぶと、もう無我夢中の様子で荷馬車から飛びおりた。これもやはり酔っ払って真赤な顔をした数人の若者が、鞭や、棒切れや、棍棒やー手当たり次第の得物を引っつかんで、息も絶え絶えの牝馬のそばに駆け寄った。・・・・・・
 だが哀れな少年はもうすっかり無我夢中だった。彼はわっと叫んで人ごみを掻き分けて葦毛のそばに駆け寄り、いまは息絶えた血まみれの鼻づらを抱きしめると、その目や、その口に接吻をあびせた。・・・・・。それから不意にぱっと立ち上がると、われを忘れて、小さな拳を固めていきなりミコールカに飛びかかった。だがちょうどその瞬間、もう長いこと彼を追いまわしていた父親が、やっとのことで彼をつかまえて、人ごみの中から連れ出した。・・・・

 彼は全身に汗をびっしょりかいて目をさました。・・・「ああよかった、夢だったのか!」と彼は木陰に座って、深く息を吸い込みながら言った。「しかし、どうしたっていうんだろう?熱病にでもなりかかっているんじゃないかな、こんな夢を見るなんて!」・・・・・・・・・・・・」





夢だった。


たしかに、「ニーチェの馬」のエピソードと、
イメージ的には似ている!


おそらく、ある時期からこうしたイメージがニーチェと結びつき、
「伝説」・「神話」として、
ヨーロッパで流布されていったのかもしれない。

ただ、ニーチェトリノで昏迷、精神錯乱状態におちいったことだけは、
共通しているので、本当らしい。






・・・・・・・