大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

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「ニーチェの馬」 (了)

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ニーチェの馬」(原題:トリノの馬)」
(監督:タル・ベーラハンガリー>)
東京・イメージフォーラム



たとえ、
ニーチェの馬」の最初のエピソードの真偽のほどはたしかではないとしてしても、
この映画が、ニーチェの考え方と深くかかわっていることは、
たしかだと思う。

映画は、これから順次全国でマイナー公開されていくらしいので、
これから見る方が大勢いられる中で、
見た感想を、私があえてここで書くことがいいことか迷った。
その結果、
ある人のニーチェにかかわる文章を紹介するだけにとどめることによって、
この映画についての記事を終えることにした。


その前に、ただひとつだけ、
室内の窓からながめられた小高い丘に立つ一本の木のこと、
これは、生への「救い」であり、
永遠回帰」への転回点というべきシンボルであったのではないかと感じられる。
ヨーロッパでは古代から、
豊穣な生命力、生産力の象徴としての木、死と再生、
世界の軸としての「生命の樹」という考えがあったとされる。
監督の母国ハンガリーにも、
「天までとどく木」という民話があるという。





「世界の名著57 ニーチェ」(責任編集:手塚富雄 中央公論社1978)の解説から抜粋

手塚富雄語録)


「いま考えてみると、大学の教室でニーチェを語ったわたしは、強力な生への意志を説くかれの積極面に焦点を合わせることが多く、かれの思索の根本動機をつかむうえでは、たいへん弱かった。それが身にしみてわかったのは、日本の敗戦という歴史的事実にわれわれが出会ったことによる。・・・・・・・・・

それまでの日本人は、精神的には、なんといっても囲いをめぐらされていたのである。その囲いが、外との交渉と接触を、直接間接に左右し、それを制約しするとともに一種の防風的保護のはたらきもしていた。いま一挙にそれが取り払われてみると、日本人の心は、がらんとした、吹きさらしの空間に人間は元来あるものだということを、はじめて痛いほど感じ、それに驚くとともに、人間はこういう空間に投げ出されることこそが本来なのだということを、いまさらに悟った。人間にとって本来であることによって、それは人間に共通な世界的なことである。・・・・・

前述の状況を言い表わすのに、ニーチェの「神は死せり」にまさって的確な把握はない。神は死んで、人間はただ人間として、神の干渉もなければ、指示も保護もないありかたを露呈したのである。それをニーチェは、もっとも早く感じとり、苦痛とともに、人間であることの自覚をもって、そのなかに人間の生きうる可能性を探求した。これが、かれの生涯に通じての最大の課題であり、究極の動機だったのである。・・・・

いま、ニーチェの指摘した十九世紀末のヨーロッパの精神風景と日本の戦後のそれと比較してみると、前者においては、神は死んでも、ニーチェ流に言えばその「影」は残っていてそれを大部分の人はなお神として信じているのである。日本においては、問題となる神の質は文化的に前者の場合と違うが、とにかく神は死んだことはもちろん、その影もないというのが、わたしは正確な把握だと思っている。もちろん、そうはいっても、多数の人はたがいの喧騒にまぎれて、それに気がつかない。だが、その心をむきだしにして見れば、どの心にもその存立の基礎らしいものは見あたらない。それぞれが、自分が日々を生きていることの意義がわからない。わからないままに、たがいに咎(とが)めあったり、まぎらしあったりしている。こうして、ニーチェの言う「神は死せり」の状況は、より露骨に日本に現れたのだと思っている。そのなかにあって、わたし個人があらためてニーチェから受けたものは、この欠如、この無を、つくろうことなく身に受けようとする態度。それに次いで、微力ではあるが、その無のなかにおけるありかたを自他のために考えようとすることに尽きた。・・・・・・」


ニーチェの根本動機から発した問いは、「生きるに値する生は、どのようにして人間に可能であるか」ということに帰着するのであるが、これは、本来答えの定められない問いであって、人類の永遠の課題として、ひとりひとりが解かねばならぬものである。・・・・」


「・・・・生の根本を、意味も目的もない盲目の意志と考えるショーペンハウアーは、生を否定的に見、最終的には生からの解脱を目ざすが、ニーチェの取ったのは、意味も目的もない暗黒の生を、それにもかかわらず肯定しようという立場である。・・・・」

 
「・・・・それらのなかで、ニーチェはすでに晩年の根本思想を先取りし、一切空無の宇宙空間のなかで、真理を求める人間のパトスは虚偽への意志でしかないこと、すべての真理は恐怖と深淵のなかで人間知性が個体を保持するために、それと偽装せざるをえなかった錯覚であり、錯覚であることを忘れた錯覚が真理の名でよばれているのは生への深い必要に発することであって、すべての虚偽もそのかぎりでは真理であることなどを、独特の言語論を通じて語っている。そこにはもはや芸術への陶酔はない。・・・・・ 」


「著者(ニーチェ)は、おのが運命は人類の運命であるという信念のもとにこれ(『ツァラトゥストラ』)を書いたのであり、比喩や象徴の形でかろうじて暗示した方向は、問題の所在が、人間存在の救い、言いかえれば、いっさいの救いのない空間において救いはどうして可能かという問いにあることを示している。・・・・・
これまで人間存在に意味と価値を与えてきたその神の死は、その存在の無意味、無価値を結果するものである。人間存在は偶然である。世界と宇宙にもなんの必然性もない。このようなニヒリズムの確認、その恐怖の直視は、ツァラトゥストラの出発点である。・・・・」


キリスト教の神がなければ、神の国をめざして過去から未来へ直進する直線的な時間観念もありえない。そのような目的論を拒絶し、あくまでもこの醜悪な偶然的な地上の生に忠実であろうとするニーチェにとって、時間の観念が古代ギリシアふうの円環的なものになってくるのも必然の成り行きである。最後の審判という終局がなければ、時間は丸い輪である。だが、そういう時間のなかで演じられるものは、この醜悪な、無意味な、目的による救済をうばわれた地上の生で、それは永遠に同じ形で繰り返されると見るほかはなくなってくる。これほど堪えがたいものはないが、それをはっきりと自覚にのぼせたのが、かれの永劫回帰説で、したがってそれは、「ニヒリズムのもっとも極端な形といわねばならない」しかし、それがどのように堪えがたいものであろうと、いや堪えがたいものであればあるほど、それを肯定によって突破しようとするのが、ニーチェの態度である。「これが生だったのか、よし、それならもう一度!」この決断による突破、自己解放こそ、ニーチェ永劫回帰のことばで表そうとしている、神秘的ともいえる自由感である。こうして、ニヒリズムの極端な形式である永劫回帰説は同時に「生の肯定の最高形式」となる。生をありのまま肯定するこの自由な境地が「生の無邪気」「生成の無垢」などのことば、また「小児」のような創造の戯れという思想によって指示されるのである。・・・・・」


「・・・・ニーチェは結果をめざした政策家ではなく、動機を死守した思想家である。その偉大なところは、生を肯定して、肯定された生の無残さ、いわゆる深淵を虚飾なく見、それをそもそもの出発点としたことである。・・・・・
同じことを思想史的にいえば、ニーチェデカルト以来の人間中心主義を徹底させて、いわゆるニヒルの中の人間自立の可能性を追求したということになる。そのとき、デカルト以来、頼むに足りるように考えられてきた諸観念、たとえば調和、人間性、理性、理想など、さきほども言った低次の諸神を、かれがことごとく突き離し、否定し、殺害したこと、言い換えれば、人間が人間そのものにゆだねられた場合には、そこにはなんらの指導原理(神)は出て来ないのだということを徹底的に知りつくして、そのうえで人間の自立の可能性を探したことが、ニーチェ現代思想家としてそびえ立つところである。・・・・・・」




最後にニーチェの言葉

「・・・・人間の偉大さを言いあらわすためのわたしの慣用の言葉は運命愛(アモール・ファティ) である。何ごとも、それがいまあるあり方とは違ったあり方であれと思わぬこと、未来に対しても、過去に対しても、永遠全体にわたってけっして。必然的なことを耐え忍ぶだけではない、それを隠蔽もしないのだ--あらゆる理想主義は、必然的なことを隠し立てしている虚偽だ--、そうではなくて必然的なことを愛すること・・・・・」

ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳、岩波文庫






(了)

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