「むかし Mattoの町があった」 (6)
全国で自主上映中
イタリア映画「むかし Mattoの町があった」
監督:マルコ・トゥルコ 制作:クラウディア・モーリ
時間:第1部(96分) 第2部(102分)
http://180matto.jp/
(イタリアの年表)
★反ファシズム・パルチザン関係 ■トリエステ関係
1696 ■神聖ローマ皇帝レオポルト1世による人種隔離政策のためトリエステのユダヤ人は旧市街に設けられたリボルゴのゲットーに強制移住。
1861.3 統一イタリア王国成立。
1914.7.28 第一次世界大戦勃発。
1915.4.26 ■英仏露、イタリアとロンドン秘密条約締結。参戦の代償にトレンティーノ、トリエステ、イストリア半島、ダルマツィア等を約束する。
5.24 イタリアの参戦。
1918.11.3 第一次世界大戦休戦協定調印。
1919.3.23 ムッソリーニ、ミラノで「戦闘ファッシ」を結成。
1920. ■トリエステ、イタリアヘ併合。
8~9 ★トリノ、ミラノを中心に労働者の工場占拠闘争。
1921.1.20 イタリア共産党結成。
11.7 全国ファシスト党結成。
1922.10.24 ファシスト党、ナポリで党大会を開く。
28 ファシスト武装軍、ローマ進軍を開始。
30 国王、ムッソリーニに組閣を命じる。ファシスト政権誕生。
1923. 1.1 ソヴィエト社会主義共和国連邦成立。
14 ファシスト国防義勇軍が創設される。
1924.6 ★復員兵士の反ファシズム団体「イターリア・リーベラ」(自由イタリア)結成。
6.27 ★反ファシズム諸党派、アヴェンティーノ連合結成。
1925. 1.3 ムッソリーニ、下院で演説。ファシズム独裁の宣言。
1 ★反ファシズム地下新聞「ノン モッラーレ!」の刊行開始。
4.30 ★クローチェの起草した「反ファシズム知識人宣言」が発表される。
1926.11.6 ★国家防衛法の制定により反ファシズム活動の弾圧強化。
11.8 ★共産党国会議員のグラムシ逮捕。(1937.4獄から移された診療所で死去)
11.25 国家防衛特別裁判所の設置。
1927. 1.4 イタリア労働総同盟解散。
1929. 2.11 イタリア政府とローマ教会のラテラーノ協定。ヴァチカン国家の誕生。
1931.11.8 大学教授のファシズムに対する忠誠の宣誓。
1933. 1.30 ヒトラー、ドイツ首相となる。ナチス政権樹立。
1935.10.3 イタリア、エチオピア侵略開始(1935.5エチオピア併合)
7.18 スペイン内戦始まる(-1939.1)ドイツ、イタリア政府、フランコの反乱軍支持。
1937.11.6 日独伊防共協定。
12.11 イタリア、国際連盟を脱退。
1938. 5 ヒトラー、イタリア公式訪問。ムッソリーニはドイツのオーストリア併合を承認
7.14 ファシズムの学者たちが人種主義的な十カ条の宣言を諸新聞に発表。
反ユダヤ・キャンペーンが始まる。
秋 イタリアで「人種法」成立。
9.18 ■ムッソリーニ、トリエステで人種政策の重要性について演説。
以後トリエステのユダヤ人は海外等へ逃れる。
1939. 4.7 イタリア、アルバニアを併合。
8.23 独ソ不可侵条約締結。
9.1 ドイツ軍、ポーランドに侵攻。第二次世界大戦勃発。イタリアは中立を宣言。
9.3 英仏、対独宣戦布告。
1940.6.5-12 ドイツ軍、フランスに侵攻・制圧(6.15パリを占領)
6.10 ムッソリーニ、英仏に対し宣戦布告。
9.27 日独伊三国同盟締結。
9. 7 イタリア軍、エジプト侵攻。
10.28 イタリア軍、ギリシアを侵攻。
1941. 4.6-17 イタリア軍はドイツ軍とともにユーゴスラヴィアを侵攻する。
6.22 ドイツ軍、ソ連を侵攻を開始。
12. 8 英米、日本に宣戦布告。太平洋戦争開始。
12.11 イタリア、ドイツ両国がアメリカに宣戦布告。
1942.1.18 ベルリンで日独伊軍事協定調印。
夏 ★行動党 結成。
1943. 1 .31 イタリア軍、スターリングラードで敗北.ソ連、奪還。
1 ★行動党機関紙「イターリア・リーベラ」(自由イタリア)創刊。
3 ★北イタリアの大都市で工場労働者のストライキが続発。
5 チュニジア戦線でドイツ軍とともに降伏。
7.10 英米連合軍、シチリアに上陸、全島を占領。
7.24 ファシズム大評議会で、ムッソリーニの不信任案を可決。
7.25 ムッソリーニが逮捕され、国王はバドリオ元帥に組閣を命じる。英米軍との間で停戦交渉を開始。
9. 3 英米連合軍、イタリア半島南端のカラーブリア地方に上陸。
9. 3 バドリオ政府が休戦協定に署名。
9. 8 バドリオ、連合軍との休戦協定調印を発表。
ドイツ軍はナポリ以北のイタリア半島に進撃し、数日中に占領下においた(-10)。
★レジスタンス運動の開始。
9.9 ★反ファシズム諸勢力はローマで国民解放委員会(CLN)結成。
国王とバドリオ政府、首都ローマから南イタリアの、港町ブリンディジに逃れる。
連合軍はサレルノに上陸、ナポリ攻撃作戦に入る。
9.10 ■ドイツ軍は北イタリアを占領し、ウーディネ、ゴーリツィア、トリエステとユーゴのポーラ、フィウメ、ルビアーナの各県を含む「アドリア海沿岸軍事地区(管区)」(OZAK)を設置。
9.12 イタリア中部のグランサッソに拘禁されていたムッソリーニドイツ軍の奇襲部隊によって救出される。
9.23 ムッソリーニ、北部のサロにファシスト新政府(イタリア社共和国)を樹立。
9.28-10.1 ★ナポリで自然発生的な民衆の対独蜂起が勝利(ナポリ四日間)
10.13 バドリオ政府、ドイツに宣戦布告し、イタリアは連合軍の「同参戦国」の地位を得る。
10.16 ヒトラーの指令を受けて、ファシスト社会共和国軍の新設ため、全占領地域に徴兵制を布告し1924年及び1925年生まれの男子に11月9日までの出頭命令。(しかし、出頭者は予定の18万人の半数にも充たず、またこの中からも脱走者が絶えなかった)
注:イタリア精神保健改革の中心となったフランコ・バザーリアは1924年ヴェネチア生。
11.14 ヴェローナで全イタリアのファシストが再起、集会を開催。
11.30 ドイツ軍、ヴェネツィアのユダヤ人ゲットーに対する一斉捜索。
12. 8 旧「国防義勇軍」を吸収、軍警察隊を合わせて編成したファシスト警備隊の「共和国警備隊」が設置された。
1944. 2 ■トリエステの親衛隊の司令官グロボクニクは、「目には目以上を、歯には歯以上を」とパルチザンへの弾圧命令を発す。
4 ★CLN諸党派の参加する国民連合政府バドリオ政府がサレルノに誕生。
(「サレルノ転回」)
3.23 ★パルチザンによるドイツ兵に対するローマ、ラゼッラ街の襲撃。
3.24 ★ドイツ軍によるパルチザンに対する報復としての虐殺(ローマ)
4. 4 ■ナチス支配下のイタリアで唯一の強制収容所がトリエステのサン・サッバに建設される。
6. 4 連合軍、ローマを解放。
6上旬 ★北イタリアCLNの下に自由義勇軍(CVL)総司令部設立。パルチザン諸部隊を軍事的に統合し、連合軍到着以前に北イタリアの解放をめざす。
6.21 ムッソリーニ、「黒い旅団」の設立を布告。(18歳~60歳ファシスト党登録者)
夏~秋 ★各地に「パルチザン共和国」、「解放区」の出現。
8.22 ★パルチザンによるフィレンツェ解放。
8.25 英米連合軍、フランスのパリ解放。ゴート・ライン総攻撃開始。
秋 ドイツ占領軍SS部隊が北イタリアの各地で「ユダヤ人狩り」を展開。
12.7 ★北イタリアCLNと連合軍のあいだに軍事的なローマ協定成立
1945.2~4 ソ連軍が東から、英米軍が西からドイツを占領。
3.29 ★北イタリアCLN、「蜂起委員会」を設置。
4.9-21 連合軍、ゴート・ライン総攻撃再開、突破。
16 ★北イタリアCLNの総蜂起指令。
18 ★トリノをはじめ北イタリア諸都市のストライキ。
18-25 ★パルチザン、アルプス山岳地帯を擁するピエモンテ州山岳地方全域を解放。
23-25 ★ジェノヴァ蜂起、解放。
24-27 ★ミラノ蜂起、解放。
25-28 ★トリノ蜂起、解放。ドイツ軍逃亡。ヨーロッパンでの第ニ次世界大戦終結。
27 ★ムッソリーニ、コモ湖畔でパルチザンに逮捕され、翌日処刑される。
30 ★■トリエステの反ファシスト解放委員会、民衆が蜂起。ドイツ軍がトリエステから撤退。
5.1-2 ★■トリエステに、西からは連合軍が、東からはチトー率いるユーゴスライア・パルチザン軍が入り、トリエステ解放。
7-8 ドイツ、無条件降伏。
6.12 ★■チトーのユーゴスライア・パルチザン軍はこの日まで、トリエステを完全に置いた。(「トリエステの40日間」)
6.15 ★自由義勇軍解散。パルチザンの武装解除。
6.19 ★行動党のパッリ内閣成立(-12.10)。解放イタリアの初代首相となる。CLN解散。
『イタリア抵抗運動の遺書』(ピエーロ・マルヴェッツィ、ジョヴァンニ・ピッレリ編)の
解題で、河島英昭は次のように書いている。
「イタリアの民衆はファシズムの試練に耐えたその苦しみと、闘い抜いた喜びの上に、今日のイタリアの文化は築かれている。あまりにも重いこの歴史的事実への反省なしに、私たちはイタリアの文化を語ることができない。・・・・・」
また、須賀敦子は『コルシア書店の仲間たち』で、
戦時中パルチザンに参加していた
ダヴィデ・マリア・トゥロルド神父の詩を紹介する。
ずっとわたしは待っていた。
わずかに濡れた
アスファルトの、この
夏の匂いを。
たくさんねがったわけではない。
ただ、ほんのすこしの涼しさを五官にと。
奇跡はやってきた。
ひびわれた土くれの、
石の呻きのかなたから。
「一九四五年、四月二十五日、ファシスト政権と、それにつづくドイツ軍による圧政からの解放をかちとった、反ファシスト・パルチザンにとっては忘れられないその日のこみあげる歓喜を、都会の夏の夕立に託したダヴィデの作品である」(須賀敦子)
(つづく)
イタリア映画「むかし Mattoの町があった」
監督:マルコ・トゥルコ 制作:クラウディア・モーリ
時間:第1部(96分) 第2部(102分)
http://180matto.jp/
(イタリアの年表)
★反ファシズム・パルチザン関係 ■トリエステ関係
1696 ■神聖ローマ皇帝レオポルト1世による人種隔離政策のためトリエステのユダヤ人は旧市街に設けられたリボルゴのゲットーに強制移住。
1861.3 統一イタリア王国成立。
1914.7.28 第一次世界大戦勃発。
1915.4.26 ■英仏露、イタリアとロンドン秘密条約締結。参戦の代償にトレンティーノ、トリエステ、イストリア半島、ダルマツィア等を約束する。
5.24 イタリアの参戦。
1918.11.3 第一次世界大戦休戦協定調印。
1919.3.23 ムッソリーニ、ミラノで「戦闘ファッシ」を結成。
1920. ■トリエステ、イタリアヘ併合。
8~9 ★トリノ、ミラノを中心に労働者の工場占拠闘争。
1921.1.20 イタリア共産党結成。
11.7 全国ファシスト党結成。
1922.10.24 ファシスト党、ナポリで党大会を開く。
28 ファシスト武装軍、ローマ進軍を開始。
30 国王、ムッソリーニに組閣を命じる。ファシスト政権誕生。
1923. 1.1 ソヴィエト社会主義共和国連邦成立。
14 ファシスト国防義勇軍が創設される。
1924.6 ★復員兵士の反ファシズム団体「イターリア・リーベラ」(自由イタリア)結成。
6.27 ★反ファシズム諸党派、アヴェンティーノ連合結成。
1925. 1.3 ムッソリーニ、下院で演説。ファシズム独裁の宣言。
1 ★反ファシズム地下新聞「ノン モッラーレ!」の刊行開始。
4.30 ★クローチェの起草した「反ファシズム知識人宣言」が発表される。
1926.11.6 ★国家防衛法の制定により反ファシズム活動の弾圧強化。
11.8 ★共産党国会議員のグラムシ逮捕。(1937.4獄から移された診療所で死去)
11.25 国家防衛特別裁判所の設置。
1927. 1.4 イタリア労働総同盟解散。
1929. 2.11 イタリア政府とローマ教会のラテラーノ協定。ヴァチカン国家の誕生。
1931.11.8 大学教授のファシズムに対する忠誠の宣誓。
1933. 1.30 ヒトラー、ドイツ首相となる。ナチス政権樹立。
1935.10.3 イタリア、エチオピア侵略開始(1935.5エチオピア併合)
7.18 スペイン内戦始まる(-1939.1)ドイツ、イタリア政府、フランコの反乱軍支持。
1937.11.6 日独伊防共協定。
12.11 イタリア、国際連盟を脱退。
1938. 5 ヒトラー、イタリア公式訪問。ムッソリーニはドイツのオーストリア併合を承認
7.14 ファシズムの学者たちが人種主義的な十カ条の宣言を諸新聞に発表。
反ユダヤ・キャンペーンが始まる。
秋 イタリアで「人種法」成立。
9.18 ■ムッソリーニ、トリエステで人種政策の重要性について演説。
以後トリエステのユダヤ人は海外等へ逃れる。
1939. 4.7 イタリア、アルバニアを併合。
8.23 独ソ不可侵条約締結。
9.1 ドイツ軍、ポーランドに侵攻。第二次世界大戦勃発。イタリアは中立を宣言。
9.3 英仏、対独宣戦布告。
1940.6.5-12 ドイツ軍、フランスに侵攻・制圧(6.15パリを占領)
6.10 ムッソリーニ、英仏に対し宣戦布告。
9.27 日独伊三国同盟締結。
9. 7 イタリア軍、エジプト侵攻。
10.28 イタリア軍、ギリシアを侵攻。
1941. 4.6-17 イタリア軍はドイツ軍とともにユーゴスラヴィアを侵攻する。
6.22 ドイツ軍、ソ連を侵攻を開始。
12. 8 英米、日本に宣戦布告。太平洋戦争開始。
12.11 イタリア、ドイツ両国がアメリカに宣戦布告。
1942.1.18 ベルリンで日独伊軍事協定調印。
夏 ★行動党 結成。
1943. 1 .31 イタリア軍、スターリングラードで敗北.ソ連、奪還。
1 ★行動党機関紙「イターリア・リーベラ」(自由イタリア)創刊。
3 ★北イタリアの大都市で工場労働者のストライキが続発。
5 チュニジア戦線でドイツ軍とともに降伏。
7.10 英米連合軍、シチリアに上陸、全島を占領。
7.24 ファシズム大評議会で、ムッソリーニの不信任案を可決。
7.25 ムッソリーニが逮捕され、国王はバドリオ元帥に組閣を命じる。英米軍との間で停戦交渉を開始。
9. 3 英米連合軍、イタリア半島南端のカラーブリア地方に上陸。
9. 3 バドリオ政府が休戦協定に署名。
9. 8 バドリオ、連合軍との休戦協定調印を発表。
ドイツ軍はナポリ以北のイタリア半島に進撃し、数日中に占領下においた(-10)。
★レジスタンス運動の開始。
9.9 ★反ファシズム諸勢力はローマで国民解放委員会(CLN)結成。
国王とバドリオ政府、首都ローマから南イタリアの、港町ブリンディジに逃れる。
連合軍はサレルノに上陸、ナポリ攻撃作戦に入る。
9.10 ■ドイツ軍は北イタリアを占領し、ウーディネ、ゴーリツィア、トリエステとユーゴのポーラ、フィウメ、ルビアーナの各県を含む「アドリア海沿岸軍事地区(管区)」(OZAK)を設置。
9.12 イタリア中部のグランサッソに拘禁されていたムッソリーニドイツ軍の奇襲部隊によって救出される。
9.23 ムッソリーニ、北部のサロにファシスト新政府(イタリア社共和国)を樹立。
9.28-10.1 ★ナポリで自然発生的な民衆の対独蜂起が勝利(ナポリ四日間)
10.13 バドリオ政府、ドイツに宣戦布告し、イタリアは連合軍の「同参戦国」の地位を得る。
10.16 ヒトラーの指令を受けて、ファシスト社会共和国軍の新設ため、全占領地域に徴兵制を布告し1924年及び1925年生まれの男子に11月9日までの出頭命令。(しかし、出頭者は予定の18万人の半数にも充たず、またこの中からも脱走者が絶えなかった)
注:イタリア精神保健改革の中心となったフランコ・バザーリアは1924年ヴェネチア生。
11.14 ヴェローナで全イタリアのファシストが再起、集会を開催。
11.30 ドイツ軍、ヴェネツィアのユダヤ人ゲットーに対する一斉捜索。
12. 8 旧「国防義勇軍」を吸収、軍警察隊を合わせて編成したファシスト警備隊の「共和国警備隊」が設置された。
1944. 2 ■トリエステの親衛隊の司令官グロボクニクは、「目には目以上を、歯には歯以上を」とパルチザンへの弾圧命令を発す。
4 ★CLN諸党派の参加する国民連合政府バドリオ政府がサレルノに誕生。
(「サレルノ転回」)
3.23 ★パルチザンによるドイツ兵に対するローマ、ラゼッラ街の襲撃。
3.24 ★ドイツ軍によるパルチザンに対する報復としての虐殺(ローマ)
4. 4 ■ナチス支配下のイタリアで唯一の強制収容所がトリエステのサン・サッバに建設される。
6. 4 連合軍、ローマを解放。
6上旬 ★北イタリアCLNの下に自由義勇軍(CVL)総司令部設立。パルチザン諸部隊を軍事的に統合し、連合軍到着以前に北イタリアの解放をめざす。
6.21 ムッソリーニ、「黒い旅団」の設立を布告。(18歳~60歳ファシスト党登録者)
夏~秋 ★各地に「パルチザン共和国」、「解放区」の出現。
8.22 ★パルチザンによるフィレンツェ解放。
8.25 英米連合軍、フランスのパリ解放。ゴート・ライン総攻撃開始。
秋 ドイツ占領軍SS部隊が北イタリアの各地で「ユダヤ人狩り」を展開。
12.7 ★北イタリアCLNと連合軍のあいだに軍事的なローマ協定成立
1945.2~4 ソ連軍が東から、英米軍が西からドイツを占領。
3.29 ★北イタリアCLN、「蜂起委員会」を設置。
4.9-21 連合軍、ゴート・ライン総攻撃再開、突破。
16 ★北イタリアCLNの総蜂起指令。
18 ★トリノをはじめ北イタリア諸都市のストライキ。
18-25 ★パルチザン、アルプス山岳地帯を擁するピエモンテ州山岳地方全域を解放。
23-25 ★ジェノヴァ蜂起、解放。
24-27 ★ミラノ蜂起、解放。
25-28 ★トリノ蜂起、解放。ドイツ軍逃亡。ヨーロッパンでの第ニ次世界大戦終結。
27 ★ムッソリーニ、コモ湖畔でパルチザンに逮捕され、翌日処刑される。
30 ★■トリエステの反ファシスト解放委員会、民衆が蜂起。ドイツ軍がトリエステから撤退。
5.1-2 ★■トリエステに、西からは連合軍が、東からはチトー率いるユーゴスライア・パルチザン軍が入り、トリエステ解放。
7-8 ドイツ、無条件降伏。
6.12 ★■チトーのユーゴスライア・パルチザン軍はこの日まで、トリエステを完全に置いた。(「トリエステの40日間」)
6.15 ★自由義勇軍解散。パルチザンの武装解除。
6.19 ★行動党のパッリ内閣成立(-12.10)。解放イタリアの初代首相となる。CLN解散。
『イタリア抵抗運動の遺書』(ピエーロ・マルヴェッツィ、ジョヴァンニ・ピッレリ編)の
解題で、河島英昭は次のように書いている。
「イタリアの民衆はファシズムの試練に耐えたその苦しみと、闘い抜いた喜びの上に、今日のイタリアの文化は築かれている。あまりにも重いこの歴史的事実への反省なしに、私たちはイタリアの文化を語ることができない。・・・・・」
また、須賀敦子は『コルシア書店の仲間たち』で、
戦時中パルチザンに参加していた
ダヴィデ・マリア・トゥロルド神父の詩を紹介する。
ずっとわたしは待っていた。
わずかに濡れた
アスファルトの、この
夏の匂いを。
たくさんねがったわけではない。
ただ、ほんのすこしの涼しさを五官にと。
奇跡はやってきた。
ひびわれた土くれの、
石の呻きのかなたから。
「一九四五年、四月二十五日、ファシスト政権と、それにつづくドイツ軍による圧政からの解放をかちとった、反ファシスト・パルチザンにとっては忘れられないその日のこみあげる歓喜を、都会の夏の夕立に託したダヴィデの作品である」(須賀敦子)
(つづく)