大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

「むかし Mattoの町があった」 (13)

全国で自主上映
イタリア映画「むかし Mattoの町があった」
監督:マルコ・トゥルコ 制作:クラウディア・モーリ
時間:第1部(96分) 第2部(102分)
http://180matto.jp/




フーコー語録 2 (1961年『狂気の歴史』から)


「中世末期になると、癩病は西洋世界から姿を消す。農村共同体の周辺や都市の城門には、いわば大きな砂浜がはじまり、そこではこの病気ははびこらなくなっているが、その病気のおかげで土地は不毛と化し、長らく無人の地となってしまった。数世紀のあいだこの広い土地は、非人間的なものに属するようになる。十四世紀から十七世紀まで、そこでは病魔の新たな具体化が、別種の渋面をともなった恐怖が、浄化と排除によって新たにされた魔術が、奇異なまじないによって待ち望まれ、懇願されるようになる。
 中世初頭から十字軍時代のおわりまで、癩施療院はヨーロッパじゅうにその呪われた区域をふやしていた。マシュー・パリスによると、癩施療院の数はキリスト教国すべてを通算すると一万九千に達したらしい。・・・・・

・・・人々は、癩病の消滅をこのんで祝福する。例えば、一六三五年、ランスの町の住民は、町がこの災厄から解放されたのを神に感謝するために、荘厳な行列をおこなった。・・・・・
一六七二年二月二十日、ルイ十四世はサン=ラザール修道会とカルメル修道会に施療救済と軍隊に関係するあらゆる団体の財産を与えて、国じゅうの癩施療院の管理をまかせる。・・・
イングランドスコットランドでは、十二世紀に人口が百五十万だったが、この両国だけでも二百二十の癩施療院が開設されていた。だがすでに十四世紀になると、こうした施療院では空席が目立ちはじめた。リチャード三世がライポンの施療院にかんする調査を命じたとき-それは一三四二年のことだ-、もはや癩患者は存在せず、国王はこの施設の財産を貧窮者にあてた。・・・・・・・・・・

 より緩慢ではあったろうが、癩病の同じような退化現象はドイツでもみられる。癩施療院の同じような改変もみられたが、宗教改革によって救済の収容施設は諸都市の管理にゆだねられることになり、ドイツでの改変もイングランドの場合とおなじく急速におこなわれた。・・・・リップリンゲンでは、非常に早くから癩施療院に廃疾者や狂人が移されている。
 奇妙な消滅である。しかしそれはおそらく、未発達な医術の長期間の探求にもとづく影響ではなくて、例の隔離の自然発生的な結果であり、十字軍時代が終わったあと、近東諸国の伝染病流行地帯との交渉がとだえたためにおこった帰結でもある。癩病は姿をけし、あの汚辱の場所とあの祭式―それらは癩病を防止する役目ではなく、神聖な距離をもうけてそれを維持し、逆方向の興奮によってそれを固定する役目を与えられていた―を用事がなくなって見棄ててしまうのだ。・・・・・・・

 癩病者が現世から、可視的なキリスト教共同体から姿をけしたとしても、癩患者の実在はやはりつねに神のあかしとなる。というのは同時にその実在は神の怒りをさししめし、神の慈愛をしるしづけるのだから。・・・・・放棄されることが癩者には救済であり、排除は癩者にとって別種の聖体拝受の形式となる。
 癩病がさまざまの記録から姿をけし、癩者がいなくなる、ほとんどそうなってしまっても、上述の構造は残るようになる。二、三世紀後にもしばしば同一の場所で排除の現象は、奇妙にも同じ姿であらわれるようになる。貧乏人、放浪者、軽犯罪者、≪気がふれたもの≫が、癩者に見棄てられた役割をはたすであろうし、・・・・・・・・・・・・

 癩病のあと、その中継として登場するのは、まず性病だった。突如として十五世紀末、遺産相続権によるかのごとく、癩病のあとをつぐのである。・・・・・・
 しかしながら、中世文化のなかで癩病がはたしていた役割を、古典主義時代の世界でちゃんと引き受けるようになるのは、性病ではない。最初の間でこそこうした排除措置がとられたけれども、性病はやがて他の病気のなかにまぎれこむ。是非は別にして、性病患者は病院に受け入れられる。・・・性病は、一六世紀になると、治療をもとめる病気の一つになってしまう。・・・・・

 性病がある程度その医学的な脈絡からはずされて、狂気とともに排除という道徳的空間に統合されたのは、十七世紀に創設されたような監禁の世界の影響である。実際、癩病の正真正銘の遺産相続を探すべき場所は、性病などではなくて、きわめて複雑な現象のなかにおいてであって、医学は時間をかけてそれに順応していくだろう。
 この複雑な現象とは、狂気である。しかしながら、この新しい強迫観念が、一世紀にわたる恐怖のなかで癩病のあとにつづき、それとおなじように分割・排除・浄化という反作用―それは明らかにあの癩病に似かよっているが―を想起させるためには、二世紀近くの長い潜伏期間を必要とするだろう。十七世紀のなかばごろ、狂気が人間によって統制される前まで、狂気のために古い祭式が復活される前までは、狂気は文芸復興期のあらゆる主要な経験と頑固に結合されてきたのである。・・・・・」



*注:訳は原文のまま




(つづく)