大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

「むかし Mattoの町があった」 (17)

全国で自主上映
イタリア映画「むかし Mattoの町があった」
監督:マルコ・トゥルコ 制作:クラウディア・モーリ
時間:第1部(96分) 第2部(102分)
http://180matto.jp/



フーコー語録 6 (1961年『狂気の歴史』から)




「広大ないくつかの監禁施設が創設されたのは十七世紀だが、パリ市の人口のうち百分の一強がそこに数ヶ月閉じこめられた点は充分に知られてはいない。絶対王権が勅命封印状や自由裁量による収監手段を用いていたことは周知のとおりである・・・・・


ピネルが、そして十九世紀の精神医学が狂人たちに出会うようになるのは、こうした監禁の壁の内部においてであり、ピネルたちも狂人をそこにそのままにしておきながら-忘れてはならぬ点だが-狂人を「解放した」と自慢しないわけではなかったのである。十七世紀の中期以来、狂気はこうした監禁の土地と、そこをあたかも生れ故郷でもあるかのように指示していた行為と切り離せない関係にあった。・・・・・・


一六五六年という一つの日付が目印になりうるが、それは、パリにおける<一般施療院>の設立が布告された年である。一見、それはただ行政上の改革-いや、ほとんどその再編成にすぎない。既存の諸施設が、唯一の管理権のもとに統合されるわけである。・・・・・・ビセートル、・・・サン・ヴィクトール、・・・シピオン、・・・・ラ・サヴォヌリー・・・これらのすべての施設が、いまやパリのすべての貧困者「性別、出身地、年齢の別なく、地位身分を問わず、健康であれ病身であれ、病気が進行中であれ回復むかっている場合でれ、全治可能であれ不治であれ」あらゆる貧困者にふりむけられる。みずから出頭する者、あるいは王権や司法権によって送りこまれる者の区別なく、その施設は彼らを受け入れ、居住させ、食物を与えるようになる。・・・・

こうした職務は終身官たるそれぞれの院長に託されるのだが、彼らは、<施療院>の施設内にかぎらずパリ市全域にわたり、その管轄に属するすべての者にたいして、その権力を行使する。・・・・・・


もともと最初から、一つの事柄だけは明白である。つまり、一般施療院は、医療施設ではないのである。むしろそれは、裁判所とは別個に、しかも既存の権力機構とならんで、決定し、裁定し、施行するところの、なかば司法的な組織、行政上の一種の本体である。・・・・・・・
ほとんど絶対的ともいえる最高権力、上訴を許さぬ裁判、何ものによっても優先されることのない執行権-<一般施療院>は、法の限界において治安と司法とのあいだに国王が樹立した異様な権力、つまり抑圧の第三団体なのである。・・・・・

機能において、また意図において、<一般施療院>は、、いかなる医学的な観念とも関連していない。それは、秩序、当時フランスにおいて組織化されつつあった君主制的でブルジョア的な秩序の権力機構の一つである。それは国王の権力にじかにつながっていて、王権はそれを唯一の権威たる文民政府の管轄下においたのである。・・・・・・・

この構造は、君主制的でブルジョア的な秩序に特有であり、絶対主義の形式をとるその組織とおなじ時代のものであって、やがて、その網目を全フランスにひろげるのである。・・・・・・・・・・・・・」





(つづく)