大道芸観覧レポート モノクロ・フィルムでつづるkemukemu

大道芸、昔の広告、昔のテレビ番組、中井久夫、フーコー

「むかし Mattoの町があった」 (20)

全国で自主上映
イタリア映画「むかし Mattoの町があった」
監督:マルコ・トゥルコ 制作:クラウディア・モーリ
時間:第1部(96分) 第2部(102分)
http://180matto.jp/




フーコー語録 9 (1961年『狂気の歴史』から)




「監禁の実務は、善い貧乏人のおかげで、救済行為、そして慰藉の事業と化すが、悪い貧乏人は-彼らは悪いというそれだけの事柄によって-それを抑圧の企てに変える。善い貧乏人と悪い貧乏人の対照こそは、監禁の構造と意義にとって本質的なものである。<一般施療院>は、貧乏人をそうしたものとしてさし示しているし、狂気じたいも、このような二分法によって、恩恵のカテゴリーのなかであれ抑圧のカテゴリーのなかであれ、狂気が表す道徳的態度によってそこに分類されている。・・・・」



カトリック教会は-きわめて明瞭な解答を出す。すなわち、<一般施療院>と<慈善本部>の創設以来、神はもはや貧しき者のぼろのかげに身を隠していない。餓死しかけているイエスに一片のパンを与えるのを拒むことにならないかという恐れ、かつて、慈善にかんするすべてのキリスト教神話を一貫して流れていて、救済にかんする中世の大いなる宗教儀礼に絶対的な意味を与えたあの畏怖、こうした畏怖は、「その根拠を失うだろう。慈善本部が都市に設けられると、イエス・キリストは、貧しき者、つまり自分の怠惰と悪行を保ちつづけるために、すべてのほんとうの貧しき者の救済を目的として神聖に設立された秩序に服従しようとしない者の姿をとって現れないだろう」というわけである。こうして今や、貧困〔=悲惨〕はその神秘的な意味を失ってしまう。それによって苦しんでも、何事ももはや、神の奇蹟的な束の間の出現とつながりをもたない。それは神の顕現の力をうばわれている。・・・・・・」



「中世では狂人は、神秘的な力がのりうつっているから、神聖な人物であると考えられていたと言う習慣があるが、これほど間違った意見はない。中世の狂人が神聖だったのは、何よりもまず、中世の慈善にとって狂人が、悲惨〔=貧困〕がもっている正体不明の力を共有していたからにほかならない。おそらく狂人は、他の誰よりも慈善を称揚していたにちがいない。人々は、狂人に髪の毛を剃らせて十字架のしるしをつけさせたではないか?・・・・・・・」




「十七世紀になって、狂気がいわば非神聖化されるのは、第一に、貧困が一種の権威の失墜といううきめにあい、その結果として、それが単に道徳の地平でしか認知されなくなるからにほかならない。以後、狂気が歓待される場所というと、もはや、施療院の壁のなか、貧乏人のかたわらのほかには見出せないし、十八世紀末になっても、われわれが狂気を見出す場所は、施療院のなかになるだろう。狂気にたいする新しい感受性が生れたのである。もはや宗教的ではなく、社会的な感受性が、狂人が中世の人間的な景色のなかに親しみぶかい姿で現れたのは、狂人が別の世界からやってきたからだった。今や、狂人は、都市における人間個人の秩序に関与する、≪治安≫問題を背景にして、鮮明な姿を見せようとする。昔は、別世界からやってきたから、狂人はもてなされたが、今後は閉じ込められるだろう。狂人はこの世界から来ているのであり、貧乏人、あわれな人、放浪者の仲間なのだから。狂人を受け入れる施設救済は、新しく生れる曖昧さのなかでは、彼を度外視する浄化衛生の処置になってしまう。なるほど狂人はぶらつくことはぶらつくが、もはや奇妙な巡礼の途上にあるわけではなく、彼は社会空間の布置を乱すのである。悲惨〔=貧困〕のもつ権利をもぎとられ、それの与える栄光をうばわれてしまった狂気は、貧乏や無為とともに、以後、国家に内在する弁証法のなかに冷やかな姿で出現する。」






(つづく)